10月27日(土) 萩の玉木文之進旧宅を観る。

萩の玉木文之進旧宅を観る。


ここは松陰神社とうって変わって観光客はだれもおらず、北の小山を超えて吹く風が開けっぴろげの家屋を吹き抜ける静かな場所だ。


静かに玄関からあがると、ガイドのおばあさんがやってくる。伊藤博文別邸のガイドさんと違い、静かで落ち着いた語り口で玉木文之進について話し始める。


この人はとても厳しい人で、幼い吉田松陰はこの叔父さんの薫陶を受けて育ったそうだ。松本村の塾ということで名前をとり、ここで松下村塾が始まり、吉田松陰があとあと継いだということで、多くの人は吉田松陰ばかりみて松下村塾と騒ぐが、その背景として玉木文之進がいて、この人がいたからこそ吉田松陰と松下村塾があり、その後の明治維新へと続くと説明する。


風呂もトイレも外にあるという素朴な家屋で、前は人も住んでいたが修繕がかかり不便ということもあり、今はこうして萩市に管理されているらしい。


玉木文之進はもともと杉家で、家督を継ぐために玉木家に入り、吉田松陰は杉家から吉田家に入る。その後の家系について聞くと、他から養子をもらっても名前を残していくのは難しいと聞いた。結婚しても子供ができなかったり、結局もともとの名字でもないから軋轢があったりと、家名を残すのはなにかしら運命に翻弄されるようで、どんなに努力してもろうそくのように消え入ろうとする家名の存在を感じてしまった。


吉田松陰は死刑となり、玉木文之進の実子の彦助は奇兵隊に参加して命を落とし、乃木希典の実弟で養子となった正誼は萩の乱で死に、本人は門弟の多くが参加した萩の乱の責任をとって自刃する。


そしてこの家に住み込み、学んだ乃木希典は、明治天皇を慕って殉死する。この小さな家に、日本の歴史に深く刻まれた人々が関わっていた。不思議だ。


冬は寒さが身にしみるとガイドさんは言う。縁側から外を覗くと、のどかで、低い石垣に畑のある良いところだ。


ガイドさんにお礼を言って家を出る。時間はしみじみと行き来する。

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