9月23日(日) 広島市中区幟町にあるエリザベト音楽大学のザビエルホールで「朴葵姫リサイタル2018In広島を」聴く。

エリザベト音楽大学のザビエルホールで、朴葵姫リサイタル2018In広島を聴きに行った。


この人はかわいいだけでなく、腕前も素晴らしいと6年前くらいのNHKのラジオで聴いていたから、ソロコンサートがあることを知って嬉しくなった。クラシックギターのソロコンサートはほとんど聴いたことがなく、世界的に有名なギターを聴ける、それも自由席だからやる気を出せば悪くない席に座れる。


ということで、一時間前に行ったおかげで、最前列の中央寄りに座ることができた。どんな人なのだろうかと期待していたら、頭がくらつくほど可愛らしい人が登場した。なぜかやましさを感じてしまった。というのもやましい気持ちも持っていたからだ。


アイドルを好きになってそのコンサートに行ったことはなく、仮にアイドル集団の一人を好きになったとしても、決っして足を運ばない自信がある。そんな自信などまったく無意味だが、音楽が良くなければ、やっぱり満足はできない。


ところが、朴葵姫さんは、愛らしいだけでなく、なにより音楽が素晴らしいのだ。これはファンになって足を運んでしまうだけの明確な二つの理由がある。かわいい、腕前が良い。これは言うことなしだ。本当に素晴らしいことだと思う。


前半は、フェルナンド・ソルの「エチュードop.6-11」と「魔笛の主題による変奏曲」、ミゲル・リョベートの「ソルの主題による変奏曲」、アグスティン・バリオスの「ワルツ第3番、第4番」と「最後のトレモロ」、あと曲の追加があったが覚えきれずに曲名を逃してしまった。


やはり経験が乏しいからギターの音色の比較はできないが、演奏中は表情と体の動きを大げさにはせず、静かに、打ち沈んだように演奏するのは好感を持てた。それでいて音色は無理がないので、聴き始めは耳に慣れずに実感がわかず、アイポッドに入っているヴォルフガング・レントレのスペイン・ギター作品集の印象で見ようとしていたが、平然と、あの小さい手で驚くほどの運指で曲を奏でる姿は、並でないことに気がついた。


曲が終わって立ち上がり、笑顔で挨拶するその愛くるしい姿にひきかえ、演奏中の姿は、椅子に座り、片方の足を立ててギターを支え、静かに演奏する姿は、音楽に人生を打ち込む端麗な女性に成り代わる。


また曲ごとにわかりやすい解説をしてくれるので、きゃぴきゃぴした感じではなく、理知的な頭で物事を捉えている思慮のある雰囲気がふんわりと伝わってくる。


古典的なソルの曲から始まり、リョベートで発展したギター曲の音色が展開し、バリオスで主題をいくつも含んだ印象の違うワルツを弾き分け、素敵なトレモロで前半は終わる。


後半は、上垣内寿光さんとのギターデュエットで始まる。フェルナンド・ソルの「アンクラージュマン」を聴いて、上垣内さんの音色はずっと硬質で乾いており、朴さんの音色はもっとこもっていてふくよかなことに気がついた。それぞれの個性の音色でデュエットは進み、聴き応えがあった。


それから朴さんの音色の持つ表現の効果が体ですこしは感じられるようになり、こんなに素晴らしい音色を出していたのかと驚いた。ローラン・ディアンスの曲では、情熱的で技巧的な曲を淡々とこなし、アルベニスの「セビリア~スペイン組曲より」では、曲の前の解説で、セビリアという都市を訪れた時の印象を語ってもらえたので、青空が広かったことを聴衆に印象づけ、自分は朴さんの眼と表情からその光景を盗み、自分の記憶を混ぜ合わせて頭の中に浮かび上がらせ、強烈な日差しの昼を経て、夜のフラメンコが踊り立つ、乾いた哀愁をアルベニスの曲に聴いて取った。


ラストはアルベルト・ヒナステラの「ギターソナタ」で、この曲でも演奏前に解説をして、それだけでなくクラシックギターの演奏技法を一つ一つ事例を交えて紹介してくれて、それらのほとんどがこの曲で使われているので、探してみてくださいと笑顔で伝える姿は、可愛らしいのは当然だが、人に教えるのが上手な人だと思った。


不協和音と様々な演奏技法で弾きこなされるこの曲は、ギター曲の重要なレパートリーと説明されたが、非常に面白い曲で、演奏は難しいものだと思われる。響き良いギターの哀愁と抑えの効いた艶を聴くのではなく、荒々しく、不気味で、過激で、暴力的で、やはり憂いを含むもあまり表情を変えずに素晴らしい腕前で弾く朴さんに、自分は何度も感じていたヒラリー・ハーンと同種の性質を認めずにはいられなかった。


そしてアンコールは、フランシスコ・タルレガの「アルハンブラの思い出」が弾かれる。ああ、コンサート初めの音色に対して疑問も感想も浮かばなかったのは、達人の絵に何ら意匠を汲み取れない素人のように、自分に感性がなく、演奏に目立って派手なところがなく、味わいのなさと見過ごす内に味わいのあることを汲み取れないようなものだと考えてしまった。素晴らしいアンコール曲だ。一音一音が明確に研ぎ澄まされて作り上げられている。


そんなわけで、コンサートは非常に満足いくものだった。ちなみに、上垣内さんとのデュエットの前に、上垣内さんによる三つの質問があり、1つ目が「趣味は何ですか?」で、その答えが写真とあり、10年前からしていて、今は1920年代の二眼レフのフィルムカメラを使っており、シャッターを待つ間が音楽と似ていると答えられていた。これが非常に興味深く、極度の凝り性であることは間違いないく、またフィルムカメラを使うところに決してミーハーではなく、探究心に溢れた、いわば特別なオタクと呼ばれる性質を持ち備えていることに、とても好感がもてた。その嬉しそうに答える姿は、たやすく男を虜にするものだった。


2つ目の質問が「好きな食べものはなんですか?」で、すき焼き、親子丼、あと一つはなんだったか、牛丼だったか、とにかく甘辛い食べ物が好きで、B級グルメもいけるらしく、名古屋の何かを言おうとして、具体的な食べ物は言われず、広島も同様にと言われていた。この人は気取らない、庶民的で、とても好感がもてた。当然、笑顔とわずかな恥じらいと気づかいが、威力のあるものだった。


そして3つ目の質問が「10年後の展望はなんですか?」のような意味の質問で、その答えが、現状を大切に維持しながら、信頼における音楽家になることとあった。自分は思った。すでに信頼における音楽家だろうと。しかしそれは音楽への低い理解力で判断した自分の程度の低い信頼であって、彼女の求める信頼の高さは、あの可愛らしい笑顔の底に頑固に沈む妥協のない本物の音楽家の希求によって定められ、凡人には到底その高さを知ることはできない。


この答えで、再び自分はヒラリー・ハーンを思い出した。エフゲニー・キーシンのピアノ同様に、彼女も特別で、信頼できるヴァイオリニストだと前々から思っていた。本当に朴葵姫さんは素晴らしい音楽家だと、答えを聴いて嬉しくなった。


なんて素晴らしいことだろう。本当に可愛らしい一流の演奏家に、奢りない音楽家の魂が宿っているのだから。これは奇跡のようなものだ。顔の良さによって性格や生活が崩れるのではなく、確固とした知性と明晰さでぶれずにいるのだから。


おそらく自分は熱に浮かされたミーハーだろう。それでも構わないので、一人のファンとして、類まれな才能と努力を兼ね備えた可愛らしい演奏家を応援したくなった。

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