8月2日(木) 広島市中区基町にある広島市映像文化ライブラリーで成瀬巳喜男監督の「おかあさん」を観た。


映像文化ライブラリーで、成瀬巳喜男監督の「おかあさん」を観た。


この映画監督は名前だけ知っていた。NHKラジオの「まいにちフランス語」2012年度の後半に放送されていた“映画の話をしよう!”で梅本洋一さんと一緒に講師を努めていたエレオノール・マムディアンさんがこの監督の研究をしていると述べていたのを記憶していた。エレオノールさんのフランス語は澄んだ美しさで、落ち着いていて、思慮に溢れていたのを覚えている。そんな人が研究対象としていた映画監督の作品はどんなものかと観に行った。


この作品だけで断定すれば、ラジオで聴いていただけのエレオノールさんの印象との関連は無理が要らなかった。昭和27年のこの映画には、当時の世相が表れていて、鼻の穴をほじってから煎り豆に手を伸ばす男の子や、理髪コンテストの試し切りのモデルとして長い髪を切られて泣くワカメちゃんスカートの少女が出てくる。田中絹代さんのおかあさんは、息子の死、旦那の死、クリーニング屋の家業の引き継ぎなど、苦労が絶えずも、常に人様の為を思って生活し、子供にも同様の教育をする。わかめちゃんスカートをはく子を養子に出す時も、相手の両親は子供がいなくて寂しいからと諭す裏には、自分に置き換えて考える姿があり、自分の娘がいなくなることは本人が一番寂しいことを知っていての自己犠牲であり、姉妹の子供を預かって育てておきながら、自分の娘を手放す皮肉も、この田中絹代さん演じるおかあさんの人の良さによる人生の悲壮ともとれる。


珍しいことはない。慎ましくも仲の良い家庭に、静かに訪れる不幸によって徐々に悲しみは溢れていくも、おかあさんが慈愛に満ちた奮闘でなんとか見せかけの明るさを保ち、突如とした家族の崩壊を起こさせない。しかし、終わり間際の、娘さんのナレーションと、おかあさんの細かい仕草と表情に、暮秋が見て取れてしまう。未来に期待するも、陰りの進行は徐々に、確実に侵してくるという人生の慈悲のなさを予感させているのではないだろうか。


日々の暮らしの些細な出来事は大切な印象として映る。陰に覆われていつかは消えるまでも、その間は無理にでも、必死に頑張る姿が生きるということだろう。


派手さは決してない。それで良いのだろう。汲み尽くすには十分な素晴らしい要素が全編を通して微笑ませ、庶民の大切にすべき、ありふれた基本がある。


エレオノールさんはこれをどう観たのだろうか。彼女の静かで、冷静な声は、この映画の感想をどのように述べただろうか。映画も人も、通底しているのは、浅薄でない好ましいたたずまいだ。

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