7月31日(火) 広島市中区中島町にある広島国際会議場フェニックスホールで「PMFオーケストラ広島公演」を観る。


広島国際会議場フェニックスホールで、PMFオーケストラ広島公演を観に行った。


ヴェルディ:歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲

バーンスタイン:ハリル

マーラー:交響曲第7番ホ短調

指揮・ヴァレリー・ゲルギエフ

フルート:デニス・ブリアコフ

PMFオーケストラ


マーラーが大好きだから、この日のマーラーをどれだけ楽しみにしていたか。小さい頃はゲームが好きで、楽しみにしていたゲームソフトが発売されるのをくたびれるほど待ったように、今回も似た心持ちで待つ……、ことはできなかった。時間はもう早いから、気づいたらこの日を迎えていた。前日の夜も、この日の公演の存在を忘れて、夕飯の献立を何にするか考えていたほどだ。


ヴェルディもバーンスタインも良かったが、マーラーが良かった。複雑な性格の第一楽章から笑みが止まらなかった。前から三番目の列の席だから、オーケストラから近すぎて音のバランスが悪いだろうと思っていた通り、良いとは言えなくも、十二分に音楽を味わうことができた。いつも音響機器でしか聴けなかったマーラーが、実際の音の粒となって眼の前に現れ、それも好きな指揮者であるゲルギエフで楽しめるという幸いは、期待どおりだった。各楽器の表現が、こんなにも意味のあるもので、これほどの効果があるのだと、一時間以上あるこの曲を聴いている全ての間に感じられて、音の運び、切れ目ない推移、楽器は生彩を持ってようやく本当のマーラーを自分に味わわせてくれた。


アルメニアのイェレヴァンでマーラーの交響曲第1番を聴いたことがあるのが唯一の経験だ。その時はマーラーをほとんど知らず、馴染みやすい交響曲第1番だけを楽しめる程度だった。しかし今は違う、マーラーを何度聴いたか。クラウス・テンシュテットの指揮するロンドンフィルの第7番を、あらゆる季節、広島市の中区の範囲で、どれだけ聴いたことか。一度のポチョムキンでショスタコーヴィチの曲を聴くたびに映像がつきまとうのとは違い、情景入り乱れるマーラーの曲同様に、あらゆる記憶が連射する打ち上げ花火のように次々に開いて消えていく。事前学習どころではない、先入観でたっぷり盛られ溢れたまま来たのだ。


夢に見た光景が現実の音となってやってくるのは、レオポルトミュージアムでシーレの絵画を見た時と同じで、あれほど渇望していた本物はやっぱり違う。普段見て聴いているのは、なんと平板だったのだろう。なにも気づけていなかったのに等しい差異が、嬉しい驚きとなって期待を満たしていく。


人には絶対的な個人的趣味がある。二度と離れず、頂点に位置して人生の終わりまで関係は変わらないと言い切れるほどの存在が。シーレ、プルースト、マーラー、彼らの作品に会えたことは、生まれてきたことを心底から感謝させるものだ。


ゲルギエフのマーラーを聴けたことは、かけがえのない時間だ。素晴らしい音楽作品を、素晴らしい指揮者で聴けたことを、心から感謝したい。次はいつになるのかわからないが、広島でマーラーを聴ける楽しみに、この思い出を試金石として、未来の公演を量らせてもらおう。

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