7月29日(日) 広島市中区加古町にあるJMSアステールプラザで広島市民劇場7月例会、オペラシアターこんにゃく座「ネズミの涙」を観た。

アステールプラザ中ホールで、広島市民劇場7月例会、オペラシアターこんにゃく座「ネズミの涙」を観に行った。


台本・演出:鄭義信

作曲:萩京子


観終わって、ブレヒトの「肝っ玉おっ母とその子供たち」を思い出した。戦争の中、大切な肉親が奪われても必死に生きる姿がたやすく重なった。


陽気な舞台役者さん達がサムルノリの楽器のチャンゴを持って一列に登場し、威勢の良い音によって舞台は親しみやすく始まるが、前日に観た複雑な劇の演出との比較がどうしても行われてしまい、オペラとミュージカルの違いはどこにあるのかなどと考えることもあり、前半は集中して舞台を鑑賞できていなかった。テンジクネズミの天竺座の家族と野ネズミの兵隊達とのやりとりも、何だか調子が良すぎて、自分の趣味と一致せずに、すれ違ったままどんどん劇は展開されていった。


しかし、後半が始まると一気に集中してしまった。サムルノリの楽器の演奏に合わせての西遊記の舞台では、実に見事に歌役者が躍動して、聞き慣れずにいたサムルノリの楽器の響きの味わいを少しだけ楽しめた気がした。確かな技術と技量に完成された見事な舞台空間によって悲劇的な話が前進して、泣き笑いを受用することによって人生の悲喜こもごもを乗り越えて進んでいく逞しさがフィナーレで謳歌される。


聞き取りやすい発声に、感情豊かで溌剌とした身体の動きで、舞台全体が爽快な調子に貫かれ、辛気臭いところがない。やや子供向けな感じもするが、漫画の「ワンピース」を読むように質の高さを素直に楽しめた。無声映画の伴奏のようにピアノは場面をうまく表現して、兵隊が攻めてきて緊迫するシーンでは、プロコフィエフのソナタの階調を無理にでも感じ取ってしまうこともあった。


戦争のさなかで翻弄されても必死に生きるねずみ達の話は、トルストイの小説のような、雄大な大地で展開される様々な人生の数奇な移り変わりを感じさせる時間の尺があった。トルストイもブレヒトも戦争を実際に体験したのだろうか。


前日は、戦争と原爆の劇を、今日は戦争に生きるねずみ達の劇を、明日は平凡な日常を。


経験しなければ決してわからないことがある。劇や映画、報道で知っても、その最中に身を置かなければ何もわからないようなものだ。


劇を観れば観るほど、日常がおろそかになっていく。日常を満たす劇か、それとも忘れさせる劇か、もしくは日常をないがしろにする劇か。


平和を尊ぶべきなのに、反作用が起こっているように憂鬱な気分に支配される。フィナーレにもらった元気は、一時的な効果しかなかったのか、まるで強い薬を飲んだような副作用によって、逆効果を発揮している。


それとも、数日経ったあとに本来の効き目は現れるのだろうか。

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