前章
その後はとにかく、二人きり家に籠って映画三昧。
二、三回楽しんだから俺は普通だったが、
ジンジャーは初めて見たように感動していた。
やっぱり、猫の体と人間の体で、
動体視力的な違いがあるからだろうか?
今になっても猫なのか人間なのかわからないが。
【ジンジャー】
「ご主人! さっきの映画、すごかったにゃん!」
【ジンジャー】
「宇宙の中を、こうぐるんぐるんって!」
【ジンジャー】
「目が回りそうだったにゃん」
そんな小学生並みの意見を聞かされるが、
べつに苦でもない。
俺もパンフレット読むまでは、
壮大なテーマが込められてるなんて知らなかったし。
【ジンジャー】
「最後なんて、思わず拳を握ったにゃん!」
【将人】
「たしかに、あんな予想外なことばかり起こると、
帰還シーンもドキドキするよな」
【将人】
「最後なんて火噴いてたし」
【ジンジャー】
「とっても恐かったにゃん! このまま燃えちゃうかもしれないって、ハラハラしたにゃん!!」
映画を見てからこんなふうに意見し合えるのは、
素直にうれしかった。
劇場へ行くときはいつも一人だから、
映画の感想を言い合う相手なんていなかった。
それが今、できている。
彼女のおかげで……
【ジンジャー】
「んにゃぁ? また考えごとかにゃ?」
【将人】
「あ、あぁ……なんでもない」
【将人】
「いつもより早いけど、そろそろ寝るぞ」
【ジンジャー】
「はいにゃ!」
ボフンッ!!
【将人】
「ちょ!」
【将人】
「でも、ベッドは一つだし、そうなるよな……」
仕方ない……
まあ、今朝だって……知らなかったまでも、
ジンジャーと一緒に寝てたわけだし。
いや、ほぼ無意識で胸を触って、
蹴落とされたりは勘弁だからやっぱり……
しかも、シングルベッドとなると……
女の子だからスペース的な問題は大丈夫……か?
いや、それ以外の問題が解決されていない!
【ジンジャー】
「ご主人! 早く寝るにゃ!」
【将人】
「あぁ、うん」
俺はベッドじゃないと寝られないし、
だからといってジンジャーを床に寝かせるわけには。
【将人】
「はぁ……」
いろんなことを考えながらジンジャーの隣へ。
布団の中はすでに彼女のぬくもりに満ちているし、
体がソワソワして落ち着かない。
心なしかいい香りも漂ってくるし……
このままじゃ、朝まで眠れないんじゃないか?
そうだ、べつのことを考えよう!
【ジンジャー】
「ご主人、明日はべつの見るにゃん!」
【将人】
「あぁ、そうだな……」
べつの映画……
明日には再配達されるだろうし。
【ジンジャー】
「明日はなにを見るんだにゃん?」
【将人】
「それは……お楽しみだ」
【将人】
「それより早く寝ろ」
【ジンジャー】
「はいにゃん!」
明日……明日……
次に目が覚めたら、彼女は猫に戻っていたりして……
そうして、今までと変わりない暮らしがまた続く。
猫だったジンジャーとの生活が……
物足りなかったわけじゃない。
彼女が来る前よりも満たされていたわけだし。
だけど、今の彼女が元に戻ってしまったら、
俺はどうなるんだろうか?
取りとめもない考えが頭の中を駆け巡る。
猫に戻ってしまえば彼女は確実に、
俺より先に逝ってしまう。
戻らなかったとしても、寿命が人間みたいじゃなく、
猫のように短かったら……
想像すると、その先の人生は、あまりにも静かだ……
その答えがどちらだろうと、俺が一番に思うのは、
彼女にこのまま一緒にいて欲しいということ。
けれど、いつかは……
その時が来れば、俺は今まで起こったことさえ……
楽しかった日々さえ、恐れてしまうかもしれない……
【ジンジャー】
「ご主人……ご主人……」
【将人】
「どうした?」
レースカーテンを透かして差し込む月明かりに、
ジンジャーの表情がおぼろげに照らされる。
【ジンジャー】
「暗いとなんだか恐いにゃん」
【ジンジャー】
「もっとくっつくのにゃ」
か細い腕で俺を抱きしめる。
隣にある彼女のぬくもりがどうしてか恐ろしい。
なのに、それを振り切ることもできない。
【ジンジャー】
「あったかいのにゃ……」
【将人】
「お、おい!」
【ジンジャー】
「ん、んにゃ? これはなんだにゃ?」
生地の上から股間をさすられ、
そのくすぐったさに心臓がドキンとする。
【ジンジャー】
「ご主人、まさか――」
【将人】
「そんなわけないだろ? いいから――」
【ジンジャー】
「でも、大丈夫にゃん!」
【ジンジャー】
「こういう時、どうすればいいのか知ってるにゃん」
ジンジャーの小さな指先につつかれ、
俺の股間がゆっくりと硬さを増していく。
【将人】
「んっ! な、なにしてるんだ?」
【ジンジャー】
「ご主人、いっつもあの黒い板で見てたにゃん?」
【将人】
「黒い板? あぁ、パソコンのモニターか」
【将人】
「こういうのは、もっと互いを知ってから――」
【ジンジャー】
「でも、ここに書いてあるにゃん?」
彼女が取り出したのは、
ベッドの下に隠してあったはずのエロ本だ。
ずっと隣で映画を見てたのに、いつの間に……
【ジンジャー】
「お互いをもっと知るために、貪るように交わ――」
【将人】
「あーもう!」
【ジンジャー】
「も、もしかして……私じゃ、イヤか……にゃ?」
この表情には困らされる。
拒否できなくなってしまうから……
【ジンジャー】
「私もっと、ご主人を知りたいのにゃん……」
【ジンジャー】
「だから、その……いつものお返しとして……」
【ジンジャー】
「ご奉仕……させてほしいにゃん?」
まさか、女の子からこんなことを言いだすなんて……
いや、言われるまで待ってたなんて、
男として情けない。
実際、顔を合わせたときから、
彼女とはいつかシたいと思っていた。
それは性欲やストレス発散とかいう類だったが、
今は少し違っている。
しかし、どうするべきだろうか……
紳士的になるべきか?
だけど、彼女に求められている時点で俺は……
【将人】
「……わかった」
起き上がって互いを知る準備を始める。
月明かりに照らされ透き通るような彼女の裸体は、
激しい劣情を纏って妖しく輝き、
俺のすべてを魅了してやまない。
やさしく……
そうでありながら恥じらいを孕んだ表情の彼女を、
あたたかく抱きしめる。
互いに見つめ合っているときの、
この胸の苦しさを切なさというんだろうか……
相手の吐息が首筋から胸元をくすぐり、
その微熱が妙に甘美で誘惑的な香りをしている。
深い瞳に飲み込まれそうな、
恐怖とも幸福とも思える不思議な感覚の中、
一言だけ囁く。
【将人】
「……あのさ……」
【将人】
「ずっと……一緒にいてくれないか?」
彼女が瞼を閉じると、そっと唇を重ねる。
【ジンジャー】
「ちゅっ……へへっ」
ふわりとした感触と彼女の体温は、
ひだまりのように全身を包み、やがて心にまで届く。
ファーストキスを捧げると、
彼女はうれしはずかしという具合に目を逸らした。
だけど、離れた唇の冷たさが寂しくて、
もう一度……
今度は少しだけ強めに、やわらかい唇が、
キスに合わせて形を変える感触を堪能する。
マシュマロのようなやわらかさとグミのような弾力。
生クリームのようにしっとりしていて、
砂糖のように甘い。
【ジンジャー】
「ちゅっ……ちゅぴっ……ぷはぁ……」
【ジンジャー】
「ちゅるるっ……れるっ、にちゅっ……」
蜜のようにトロリと流れ込んでくるジンジャーの舌。
【ジンジャー】
「ちゅぴっちゅっ……れろっ、ちゅぷ、ちゅぱっ」
生暖かい唾液が糸を引いて絡みつき、俺の体に溶け込んでくる。
【ジンジャー】
「むちゅっ……ぢゅぶっ、ちゅぴ……んっ、ふっ!」
抱きしめていたジンジャーの体が、嗚咽と共にか弱く崩れ落ちる。
【将人】
「えっ、おい、どうしたジンジャー?」
【ジンジャー】
「んぐっ……ゲホッゲホッ……」
【将人】
「だから、そういうことはするもんじゃ――」
【ジンジャー】
「ゲホッ……ひゅぃぃ……ゲホゲホッ」
激しく咳き込みながら喘鳴をあげて呼吸をしている。
ただ咽ただけじゃないのは明らかで、
母さんが喘息の発作を起こした時みたいだった。
【将人】
「えぇと、どうしよう……」
普通なら対処法を知っていてもおかしくない。
だけど、俺は知らなかった。
母さんの場合、前兆で薬を飲むようにしていたから。
【将人】
「ジンジャー……やっぱり昨日のが……」
【ジンジャー】
「はぁ……ケホッ……ケホッ……」
必死に頷くその仕草があまりにも苦しすぎて、
自分の無力さに腹が立ってくる。
だけど、憤りを覚えていても仕方がない。
彼女の背中をさすりながら、横に寝かせる。
【将人】
「大丈夫だ……ゆっくり、ゆっくり呼吸するんだ」
【ジンジャー】
「ヒュー……ヒュー……」
【将人】
「そうだ……その調子だ……」
【ジンジャー】
「ご……ごしゅじん……」
【将人】
「いい、大丈夫だ喋るな」
【ジンジャー】
「ほ……ほ、星が……見たいの……ゃ」
途切れ途切れに発せられる言葉は、
今にも静寂に掻き消されそうな程か弱く、重たい。
【将人】
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
【ジンジャー】
「だ……いじょうぶ……にゃ……」
【ジンジャー】
「きっと……元、に……戻る……だけ……ゃん」
元に戻る?
本当に戻るだけなのか?
瞼に佇む雫に月明かりを浮かべながら、
彼女はひっそりと俺に微笑む。
【ジンジャー】
「お、お願い……にゃ……」
首を横に振りながらも部屋のレースカーテンを開け、
彼女を抱きながら夜空を見上げる。
彼女と一緒に、いつも見ていた星々。
暗澹たるダークブルーをキャンバスに、
ちりばめられた奇跡たち。
不思議なのにあることが当たり前の彼らは、
変わらずに輝き続けて……
彼女がスッと腕を上げ、暗黒を指さす。
眼に映るその一瞬……
星が流れる。
永遠の中に煌めきながら……
きっと、今日から……
明日も明後日も……
続いていく……
ずっとこのまま……終わることなどない。
流星がやさしく語り掛け、彼女と互いに見つめ合う。
閉じられた瞼の中で、感じる彼女のぬくもり……
それこそ星のように美しく、奇跡的……
重ねた唇で彼女がなにか囁くと、
俺の腕の中で力なく瞼を閉じた。
【将人】
「ジンジャー……」
彼女を強く強く抱きしめる。
だけど、まるで抜け殻のように……
本当に壊れてしまいそうで腕の力を緩めた。
頬をすり寄せるとまだぬくもりがあった。
だけど、吐息が聞こえない。
彼女だけ時間が止まってしまったみたいに……
彼女を置いてけぼりにしてしまったみたいに……
【将人】
「ジンジャー……」
熱くなった目頭を冷まそうとするみたいに、
寒いときみたいに歯を鳴らしながら息をする。
胸の内に溜まった苦しさは堪え切れず、
徐々に目の前が霞んでくる。
このやるせなさをどうすればいい?
わからない……
ただ、彼女をもう一度強く抱きしめる。
彼女はここにいるのに、
こんなにもあたたかいのに、
彼女はここにいたのに……
【将人】
「ジンジャー!!」
【ジンジャー】
「グゴッ! にゃっ。い、いびきなんてかいてないにゃ」
飛び起きると素っ頓狂な様子で俺を見つめる。
【将人】
「……そっちじゃねぇだろ!!」
なんだろうか……このモヤモヤした感じは……
男だったら殴ってた……ミンチになる程の渾身の力で。
女だったら?
【将人】
「はぁ……ジンジャー」
【ジンジャー】
「ちょっと! ご主人、苦しいにゃ!」
【ジンジャー】
「恐い夢でも見たかにゃ?」
【将人】
「べつに……なんでもねぇよ」
【ジンジャー】
「よしよし、大丈夫にゃん! もう恐くないにゃ!」
【ジンジャー】
「それよりご主人、なんで泣いてるにゃん?」
【将人】
「知るかよ!」
投げやりな返事をするとジンジャーはクスリと笑う。
【ジンジャー】
「ひょっとして……心配してくれたかにゃん?」
【将人】
「ねぇよ!」
【ジンジャー】
「でも、きっと……ご主人のおかげにゃん?」
こう言われるとどうにも反応できない。
このまま怒った様子を続けなきゃ決まりが悪いし。
だけど、恥ずかしいし……
【ジンジャー】
「その……ありがとうにゃん?」
またこういうことを言う……
卑怯だ。
呆れた表情をするのが一番だと思い、
聞こえるように深く大きな溜息を吐き出す。
ジンジャーはなにか企みを含んだ笑みで返した。
【将人】
「な、なんだよ?」
【ジンジャー】
「それよりご主人……」
【ジンジャー】
「まだまだ、いーっぱい、遊ぶのにゃん!!」
そこにいる幸せ~猫の願いが叶ったら?~ 白鳥一二五 @Ushiratori
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