その4 意地

 連日で、私は詰将棋に打ち込んだ。これまでのような、何もしない生活は駄目だ。変えなければならない。


 この思考は、うつ病特有の物である。焦りから、何かをしようとして、そして、それを成し遂げることができなくて再び自分を責める。負のスパイラルだ。病気なのだからできなくても当然なのに。


 しかし私の場合は、返って意地でも今の生活スタイルを少しでも変えよう、新しいことをしてみようという考えが功を期した。


 思えば入院してから一ヶ月は経っていた。限りなくストレスが無い空間で、更にドクターによる適切な治療。その頃、もしかしたら私の場合は、少しながら回復へと一歩前進していたのかもしれない。


 私は、これから先どうなるか不安で一杯だったが、運命を詰将棋に全て託してしまっていた。


 1週間程かけて、1手詰の問題を全て解くことに正解した。今、当時取り組んでいた本を見直せば、5分もかからない程度のレベルであるのだが。


 だけど、当時の私は、時間をかけ、がむしゃらに1問1問真剣に取り組んでいた。


 そして、これから3手詰の問題に取り掛かる。羽生さんは鬼だった。1手詰から3手詰の差は、初心者からすれば馬鹿みたいに高い壁だ。


 たった2手の差ではあるが、それがまた難解なのだ。


 私は見事に最初の一問を間違えた。自分では解けたつもりだったのだが。悔しかった。私は必ず自らの手で正解したくて、次の問題へと手を出した。


 ここに銀を打てば、王様はどっちに動く…?


 右か、右斜め下か…?


 1、2分は考えた。


 いや違う。銀じゃない。最初に桂馬けいまを打つんだ。結局5分以上かけて初めて3手詰を解くことができた。


 嬉しかった。


 久しぶりの感情だった。

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