その3 焦り

 私が再び詰将棋本を開いたのは、1週間程が過ぎてのことだった。たった例題を1問解いただけで、私はかなり将棋に対して嫌気がさしてしまっていた。


 あの日、私は微塵ながらも人生に希望を見出せていた筈なのに。今は何もやる気が起きない。これも病気のせいなのか?自分自身の根性の無さに凄まじい程の焦りと苛立ちを感じていた。


 そんな中、臨床心理士とのカウンセリングの日がやって来た。これで入院してから、確か3、4回目だ。当時何を聞かれていたのか覚えていないが、「最近はどう過ごしていますか?」とは必ず聞かれていた。


 どう過ごしているかと聞かれても、あらゆる扉や窓には鍵が閉められ、廊下は誰かが徘徊しているような所で、することなんてない。外部との連絡が不可な為、もちろん携帯もない。ちなみに、自傷行為、自殺防止の為に尖ったものや、コード類も全部没収されている。私は自傷行為は無かったし、死にたくてたまらなかったけど、病院で入院している身で死のうとは思わなかった。


「この前…本を読んでみました。」


「何の本ですか?」


 マスクをした小柄な女性臨床心理士。歳は30代ぐらいだと思う。


「将棋の本です…。」


「ぷいさん、将棋するんですね!」


「いえ、初めてです。何かしないといけない気がして…。」


 そう、それが正直な気持ちだ。何かをせねばならないという感情に襲われるのだ。何もしない自分はクズだ、と心の中で思ってしまう。


「本を読んで、内容が頭の中に入って来ますか?」


 内容が…頭の中に…?


 少しばかり、頭の中で駒を動かしてみた。一応、覚えているような気がする。


「なんとなく覚えているような…。」


「そうですか。新しいことを始めるとはいいと思いますので、ストレスを感じない限りは挑戦してみてくださいね!」


 その晩、私は再び詰将棋の本を開いた。例題を全て解いた。したいからしたのではない。しなければならないような気がしたからだ。

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