第4話 音から人へ
檻が横倒しになった。中の俺は当然のことながら叩きつけられる。
黒い水たまりが俺の眼前にまで広がってきている事に気づき、濡れたくないので檻を足場に立つ。臭いから職人たちの使う水のようだ。キレイな石以外を洗い流す水だったような。
リュシーが婆さんと話していると、職人の一人が檻を持ち上げてくれた。お前は良い奴だ。噛まないでやろう。
体を振るい、気を落ち着ける。婆さんの部屋は2人分のベッドと机、そしてテーブルが一つある。なぜ片方の机だけが散らかっているのだろう。婆さんに危害を加えるつもりは無かったのか。
誰がやった、と職人たちの声が飛び交う中で、リュシーが婆さんから離れた。何か言われたのか、一度頷いて俺の方に歩いてきた。
職人から檻を受け取ると、真剣な顔を近づけて小声で訊いてくる。
「ねぇ、ここにいた人の事、分かってたの?」
「音、きくた。」(音、きいた)
「聞こえたの? どんな音?」
「ゆか、ぐぎぐぎ。あっちいた。」(あっちいった)
リュシーは廊下を一度見て、ゴクリと喉を動かした。まさか、探す気なのか? 今は音、聞こえないぞ? リュシー、おーい。
何度か呼びかけている間に廊下に出たリュシーが立ち止まる。今度は何だ?
「えっと、どっちに行けば?」
「……にく。」
はぁ、考え無しに動いたのか。俺の言った肉は、森での第一印象だ。リュシーは「太ってないもん。」と言いつつ、お腹に手を当てている。……心当たりはあるようだ。
婆さんの部屋に出入りする足音に交じり、遠のいたはずの足音が耳に届いた。
「るしー、ぐぎぎ、きた。」
「え? あっち?」
音の方向に鼻先を向け、リュシーを呼ぶ。暗い廊下の先、半開きになっている地下倉庫の扉は誰かが中にいる証拠だ。探検したからな……閉じ込められた時はリュシーに怒られた。
地下倉庫に逃げ道は無い。通気口くらいはあるが、俺ですら入れない細さだ、子どもでも通れないだろう。
足音が大きくなり、地下倉庫の扉が開くと同時に俺は短く吠えた。
現れた職人見習いは立ち止まり、こちらを向いた。リュシーまでビクっとしたが無視する。
「リュカ君? ……夜に倉庫に入って何をしてたの?」
リュシーの問いにリュカは答えない。追い詰められたネズミのような顏。森で何度も見た顏だ。たとえ勝てなくとも、追い詰められたネズミは白にさえ噛みつこうとする。
檻の中からでは吠えるくらいしかできない。婆さんの部屋にいる職人が来てくれれば、安心できるだろう。
「ねえ。」
「うるさい、僕に話しかけるな!」
再度問いかけたリュシーに被せるようにしてリュカは大きな声で言った。
リュシーに襲い掛かっても困る、数回吠えておく。ビクっと震え、気勢を
廊下で騒ぐ俺たちに気づいた職人たちが顔を覗かせたためか、リュオはリュシーを押し退けるようにして走っていった。
たたらを踏むリュシーの側に小さな袋が落ちた。リュオがぶつかった拍子に落としたようだ。
リュシーが文句を垂れながら袋を拾い上げる。俺に言う事は無いのか? 檻は揺れたぞ?
「何これ、白? でも何か違う感じ。」
「青石。」
前足でタシタシと叩きながら教えてやると「はいはい、ごめんごめん。」となおざりに撫でてきた。リュシーの手はあまり柔らかくない。爪立てんな。
「ぬーん。」
「見ただけで分かるわけないでしょ? じいちゃんたちでも間違うんだよ?」
「分かる、におい。」
「え? ニオイ?」
クンクンっと鼻を動かすリュシーに「肉。」と言うと、「フゴッ!」と変な鳴き声をした。
森にもいたな、どんくさい奴。今のリュシーの顏をなんて言うんだったか……。
「青石、食える。緑も。」
「え、食べるの? うひゃあ!」
指ごと白く塗られた青石を咥えると、普段見せない表情でリュシーは指を引き抜いた。
青石は緑になりかけだな。少しずつ中身を吸い、体に取り込んでいく。白が食ってるのを見て、俺も食べ始めたんだった。青い体毛が仄かに緑色に光る……確か、全身が光る奴もいれば、体の一部しか光らない奴もいる。違いは良く分からない。
「わぁ、キレイ。」
「見たことないのか?」
「え?」
「ん?」
光が消えていったので、体を確認する。俺は、緑には成れなかったようだ。もっと食べるべきだろうか。
リュシーの言っている事が、前よりも理解できるようになった気がする。言いにくかった発音も上手く言えたような。体が少し大きくなったのか、檻が狭く感じるな。
「キ、キツネがしゃべったぁー!」
「リュシー、うるさい。」
そんなに驚く事か? 食べる物を食べて大きくなる、当たり前じゃないのか? 人間は良く分からんな。
婆さんの部屋に慌てて戻ったリュシーが、職人に怒られている様子を見ながら思う。
人間は、何色に変わるのだろう。
主張するリュシーに拳骨を落とした職人が、婆さんに断りを入れ、部屋を出る。婆さんは元気が無さそうだが大丈夫なのだろうか。
ズリズリと引きずられるリュシーが放さないので、俺まで引きずられた。
隣の部屋に入った俺たちは、リオの横に座るように言われた。どうやらリュシーを引きずっていた職人がリュシーの父親らしい。リュシーの2倍ほどの身長、顏はボサボサの
「はーい、静かにしてまーす。」
リュカが地下倉庫から出てきた事と、白く塗られた石を落とした事を伝えると「お前たちは、もう寝ろ。」と言われていた。取り付く島もない、だっけか?
鼻の穴に前足を突っ込んでも起きないリオで遊びつつ、リュシーに訊ねた。
「リュシーは、もう寝るのか?」
「こら、リオで遊ばないの……キツネさんが光った事とか石の事とか、分からない事ばっかりだよ。」
「大変だな、人間は考える事が多くて。」
「誰のおかげで、こんなに考えさせられてるのかなぁ? うりうり。」
「いつも大して考えてないだ、いってぇ! 尻尾も痛いんだぞ!」
檻から、はみ出た尻尾で遊び始めたリュシーに本当の事を言ったら、強く握りやがった。
噛んでやる、絶対噛んでやる!
檻から足を出し、リュシーを追いかける。部屋でドタバタしているうちに、空は明るくなっていった。
朝日が差し込む部屋で俺とリュシーは向かい合い、疲弊した互いの隙を窺っていた。
なお、リオは未だに眠っている。多分、火事でも起きないのでは?
「ぜぇ、はぁ、もう諦めて、寝ないと、はぁ。」
「檻の中にいるんだ、はぁ、寝なくても平気だぞ。」
「この、青毛虫!」
「うっせ、チービ! 足太いんだよ!」
「あー! 気にしてんのに!」
少女と足の生えた檻が闘う図。さすがに肌に噛みつくのは、上位の獣としてやりすぎだろう。黒をいじめすぎてはいけない。エサが増えないからな。
「ほっほーう? 人をなめていると……こうだ!」
「うわぁ! は、な、せぇ!」
足の届かない尻尾を狙うとは、逆さ吊りのままでジタバタしても脱出できない。
勝ち誇った顏のリュシーだが、背後でゆらりと揺れる影が腕を振り上げた事に気づいた。
リュシーの父親のようだ。怒り過ぎて黄色くらいには威圧感がある。死んだふりしていよう。
「朝まで何を騒いでるんだバカ娘ぇーー!」
「んにゃーーい!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます