第2話 画廊の村
ガタン、ゴトン……ガタン、ゴトン
断続的に擦れる音が聞こえる。あぁ、眠ってしまったか——やばっ!
目を開け、ガバっと勢いよく起き上がると、俺は
檻の外は、作業場のようだ。天井は飛んでも届きそうもない。大きな振り子が一際、目を引いた。粉砕機だと後々教えてもらうものだ。
木製の建物内は、いくつかの島を作っている。奥の3つの島は
手前の島は木製の長椅子に並んで座り、色違いの鉱物を長机に置いてゴリゴリと削っている。赤、青、黄、そして白色の粉。4色を作っているようだ。何だ? どこだここ。
顔を上げ、キョロキョロしている俺に気づいた土色の耳が生えた奴が近づいてきた。
唸りつつも土耳を注意深く見る。赤い目は丸く、睨まれても怖く無いだろう。
「起きたー。お腹減ってるかな?
何を言っているかは分からなかったが、襲ってこないようだ。声が黒い肉の声に似ていた。肉は、どこに行ったのだろう。
檻の中に、動かなくなった虫と赤い実を盛られた皿が置かれた……俺、虫は食わねーぞ?
赤い実だけを食べ、皿を檻の外に押し出す。
土耳が皿を回収して何やら呟き、どこかに歩いていった。
「お腹減ってないのかな。巣穴にあったから持ってきたけど、毒実を食べるなんて……。」
「本当だろうね、リュシー? 赤い実を食べる獣なんて、ウソだったら……。」
「商人の掟でしょ? 良いよ、ホントだから!」
さっきの土耳が帰ってきたようだ。一緒に歩いてきた老婆に聞かれ、商人だと名乗る少女は、腰に手を当て言い放った。少女の黒い左腕は、あの時の肉だ。土耳め……。
土耳は檻の前に赤い実を載せた皿を、また俺の前に置いた。さっき食ったばかりだぞ?
「アオキツネくーん、食べて良いんだよー? 食べて欲しいなぁ……食べてくれないかなぁ?」
「……食べぬではないか。ウソをつきよって!」
「ウソじゃないってー!」
顏を背け拒否していると、少女は泣きそうな顔になっていく。何だ? 赤い実を口に押し付けてまで食わせたいのか。
いい加減、鬱陶しいので食ってやると、花が咲いたような笑顔になった。良く分からん奴だな。
「ほら、ほら! 食べた! この子、食べられるんだよ。」
「何? ……まさか、狼ですら嫌がる毒実だというに。」
老婆が震えている……寒いのか? 他の職人たちも手を止め、俺を見ている。
食い過ぎて、ゲップが出た。
「「「「くっさぁーー!」」」」
思い切り吸い込んだ少女は卒倒し、老婆を含む数名が逃げ出した。
うん、いつも通りの威力だな。
「良いか、リュシー。この子の世話をするのだぞ?」
「はーい、がんばりまーす。」
老婆は鼻をつまんだままの土耳に何かを言うと、まだ伸びている若者を引きずって戻っていった。
そばに立っていた少女は、俺に目の高さを合わせて睨んでくる。
「むむ、こうしてると臭くないのに……。」
「
「私は、リュシー、だよ? リュ、シー。リュシー!」
「
何度も言っているのは、何だろう。舌が回らない。
他の職人たちに「言える訳ねーだろ。」と揶揄されていたが、リュシーは「言えたら面白いじゃん!」と言っていたらしい。
この頃の俺は、人間たちが何を言っているのかサッパリだった。
工房で共同作業によって制作された塗料は、色付士自身かあるいは修業中の弟子たちが、都度、必要量の鉱物をすりつぶして油で練るという手作りらしい。売れない色付士が転業して、塗料作りを専業とする者もいるとか。
俺にも兄弟がいた。生き別れ、というやつだ。エサを求めて自然と別れていった。
赤い実を食べるのが俺だけ、というのもあるかもしれない。
赤い実こと『毒実』を食べた俺の息は臭いらしい。あくびをした途端、リュシーは逃げた。
職人たちは鼻をつまむ程度だ。土耳は鼻が良いのか。
「そうだ、牙に毒があるか調べないと。……よいしょ。キツネさーん、これ噛んで―?」
「あむ。」(また押し付けられたら嫌だからな)
「……かわいぃ。」
いつか、その耳を噛んでやるからな。悶えている少女が差し出した細長い棒を噛み、思いを募らせた。
検査の結果、俺は牙にも唾液にも毒は無いらしい。安心したのか、目の前に指をチラつかせたリュシーの指を噛んでやった。満足だ。
「
「ふん、噛んだバツだもんねーだ!」
木皿に、ちょこんと赤い実が載っている。俺にとっての赤い実は、防衛手段だ。飯ではない。
土耳は俺の息すら耐えられない癖に、フンの臭いに耐えられるのだろうか。
まぁ、いっか。
着々と、爆弾の準備は整いつつあった。
俺は機械ではない。飯も食えば、用も足す。
その瞬間が、たまたま朝食に重なっただけだ。そしてリュシーの12歳の誕生日祝いと、商人としての門出祝いにも、たまたま重なっただけだ。
「えへへ……へへ。」
主賓であるリュシーが白目を剥いていようとも。俺は静かにリュシーの鼻を押さえる。
半日かけての換気と掃除、俺と赤い実の関係を調査するなど皆が協力して事に当たっていた。
以降、俺は雨の日を除いて、屋外に置かれるようになる。エサから赤い実が無くなったのは、言うまでもない。
「もう、私まで外で勉強する羽目になっちゃったじゃん!」
「
「今日から丁寧な言葉遣いと作法を覚えて、来年には、おじちゃんたちと行商で……。」
リュシーは体育座りで声を出しながら本の文字を追っている。読む箇所を指で差しているので、俺も何となく追っていた。
森にも落ちていたな。寒い時期に、本を立てておくと冷たい風を防ぐのに役立つし。
じっとリュシーの口と声を見聞きする時間が出来た瞬間である。
「すっごく見られてる……。」
「う、ぐうぃう?」
「真似してるのかな、良いけど。」
荷車などの絵が描かれ、下に説明が書いてある本。
リュシーは寝る時も枕元に置き、俺は聞いた文を復習して覚えていった。
――――――――――
数か月後。
言葉と知識を習得していくと、リュシーが話す内容を理解できるようになった。上手くは話せないが。キツネにしては上出来、だそうだ。
今日は朝早くから雨が降り始めた。室内で雨音を聴きながら、リュシーに撫でられる。
どうしたのだろう、皆が昨日の夜から泣いている。
「勉強、しろ?」
「しないの。」
「勉強、しなの?」
「しないの。」
うむむ、違いが分からない。上手くいかず、モヤモヤした気持ちから尻尾で机を叩いていると、誰かが尻尾を押さえてきた。ん、困ったのか?
チラっと見ると、リュシーの妹分がポロポロと涙を流しながら立っていた。1か月程度で職人たちには慣れたが、こいつだけは慣れない。すーーぐ泣くのだ。尻尾を後ろから掴むようになっただけマシか。
ここに来て2日目。妹分は朝食をリュシーと食べていた。俺と初めて会ったのも、この時だ。
目が合うと怖がり、少しでも動けばビクっと硬直し、リュシーが俺を妹分に近づけただけで泣いた。ギャン泣きである。
鉱石を色と大きさ別に仕分ける作業を担当していた妹分は、格子状に区切られた棚を前にして泣いていた。どうやら入れるべき場所に手が届かないらしい。泣きながらも手を伸ばし、何とか入れようとしていた。
職人たちに向け吠えると、なぜか妹分が驚いて鉱石を落としていた。声を発しただけなんだが。以後、妹分が困った時は俺が職人を呼ぶようになっていった。
今では当たり前の
「で、リオはまた困ったの?」
「うん、これ初めて見たから……。」
また、という部分を強調してリュシーが言うと、リオは握っていた半透明な粒を見せた。大きさは小指の爪程度の楕円球、森で見かけた物に似ていた。湧き水の近くだったか。
大した感動も無く見ていた俺とは違い、目を大きく開けたまま口をパクパクとさせたリュシーは、椅子から立ち上がり、叫んだ。
「お、お、おばぁぁーーちゃぁーーん!
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