第3話 昼休み

「ねえ、山西」

「何?」

「今日、昼休み空いてる?」

「空いてるけど」

 4時間目の化学が終わって教室に戻るときに桜木さんに声をかけられた。

「じゃあ、今日は一緒にお昼を食べよう」

「えっ」

 少々面食らう。彼女は私の中の「注意すべき人間リスト」にしっかり記されている人だ。蛍光ペンでアンダーラインを引いてもいい。だって彼女の姿が私には見えないのだから。だが、せっかくのお誘いを無下にするのは人としていかがなものか。

 結局、私は流された。

「いいけど、どうしたの急に?」

「今日の化学が楽しかったからかな」

 それは理由になるのだろうか?

 今日の化学は実験で、試薬を混ぜ合わせて変化を観察するというものだった。教室の席ごとに班を作って行うので、席が隣の私と桜木さんは当然同じ班になる。

「山西、それとそれ、混ざりすぎるとかなり危険だって。」

「それ引火すると爆発するらしいよ」

「その混ぜた時に出るガスを吸うと最悪死ぬらしいよ」

 等々。

 やたら脅された。それがいつもの口調ではなく、珍しく真剣そうなので私も過度にびくついてしまった。あれだけスリリングな化学実験もそうはないだろう。

 あとで聞いた話によると確かに桜木さんの脅しに嘘はないが、発生する確率は極めて低いという。どうりで周りは和やかに実験していたわけだ。その中で決死の形相で試験管を握る自分。かなり恥ずかしい。

 また、桜木さんにしてやられたのだ。


 ***


 教室に着いて、弁当箱を取り出すと肩をぽんと叩かれた。

「さあ、行こう」

 どこに?

「ここじゃないの?」

「うん、私についてきて」

 スタスタと歩き出す靴音。

「ちょっと、待って!私がついていけないの知ってるでしょ」

「あー、ごめん、ごめん」

 彼女は楽しそうに言う。

「忘れてた!」

 白々しい。

「そっか」と少し考えたようだ。「じゃあ、手でも繋いでいく?」

 一瞬にして私の顔が赤くなるのを感じる。

「もう!」

 周りからは見られるの知ってるくせに!

 あはは、と桜木さんは楽しそうに笑う。私はちょっと気恥ずかしくなってうつむく。

「屋上に行こうよ」

 

 ***


 階段室を抜けると空が広がっていた。まるで絵の具を塗ったみたいにきれいな青。そこに柔らかそうな雲。陽だまりを吹き抜ける優しい風。

「気持ちいーね」

 桜木さんははしゃいでいるようだった。

「そうだね。すごく爽やか。」

 私は屋上にくるのは初めてだった。そもそも、屋上に向かう生徒は少ない。今だって見回しても誰もいない。でも、とても気持ちの良い場所だった。

「良かったね、山西」

「ん?何が?」

「こんな気持ちのいい場所を二人で貸切だよ」

「ああ、そっか」

 桜木さんからすればそうだね。

 誰もいない屋上に二人きり。そして、私は桜木さんの姿が見えない。そんな状況で学校の屋上に弁当箱を持ってぽつんとたつ高校生。それって・・・

「完全にぼっち飯じゃん!」

「かわいそうに。山西、クラスに馴染めなかったんだね」

 連れてきたのあなたですやん!

「そして、何も見えない方を向いて一人で喋りかける・・・」

 うん、確かにその通りだけど、かなり語弊を招くよ。

「山西、もしかしたらさ・・・」

「何?」

「私は山西が生み出した脳内彼女かもしれない!」

 ・・・。

 いや、ちょっと待てよ。落ち着こう。

 周りの誰もが見えてるのに私にだけ見えない女の子。そんな状況ありえるのか?確かに今まではそういうこともあるのかと適当に流してきた。でも、そんなことが起こるよりも、もっと可能性が高いのは・・・

 そうだよ。妄想だよ!

 誰も見えない自分だけの彼女的な!?逆だけど!そうか、山西修子。君はそんなにも学校生活が辛かったのか。だとしても痛くないか。ダークマターもびっくりの真っ黒歴史だよ!

「あはは!」

 やめてくれ、幻聴よ。

「冗談だよ」

 不意に私の左の手のひらが暖かくなった。それはあまりにもリアルな人の温もりだった。

「私はちゃんとここにいるよ」

 それだけで私は、ああこれは現実なんだなと思った。

「山西」

「何?」

「今、さっきの化学の時と同じ顔してた」

 私はまた桜木さんにしてやられた。


 ***


 「うわぁ、山西のお弁当きれいだね。」

「え、ありがとう」

「自分で作ってるの?」

「まさか、お姉ちゃんが作ってくれるんだ」

「へぇ〜」

 すると、突然お弁当の中から竜田揚げが一つ消えた。取られた!

 そして、すぐに隣から「うっ・・・」と、うめき声。

 ちょっと待って。何その一服盛られたみたいなリアクション。

「・・・美味しい」

 どうやら感嘆の「うっ・・・」だったらしい。(なんだ、それ?)

「すごいね、この唐揚げ。お弁当なのに衣カリッカリだし、肉汁ジューシーだし!」

「もしかして、竜田揚げ食べるの初めて?」

「うん、へー、これが竜田揚げか〜」

 まあ、それだけ喜んでくれたら姉も竜田揚げも本望だろうよ。

「これは、お返ししなきゃだね〜」

「え、くれるの?」

「うん、はい、どうぞ」

「ありがとう!・・・って桜木さん」

「どうぞ、好きなのとって」

 桜木さん、わざとでしょ!

「あのね、全く見えないんだけど!」

 私は桜木さんの姿が見えないのと同時に、桜木さんが触れているものも見えない。当然、桜木さんが今差し出しているであろうお弁当箱も見えない。

「そう、じゃあ何が出るかはお楽しみ!」

 なんかロシアンルーレットみたいな企画が始まったぞ。

 私が手をこまねいていると、桜木さんは見かねたようだ。

「しょうがないなぁ。じゃあ、口開けて」

 ?

 私は素直に口を開ける。

「はい、山西、アーン」

 !

「いや、ちょっと待って」

「どうしたの?」

 どうしたもこうしたも・・・

「あれ、山西、照れてるの?」

「べ、別に・・・」

 それを聞いて桜木さんは我が意を得たとばかりに明るい声を出す。

「そうだよね。周りに誰もいなくて山西には私が見えてない。私は山西がお弁当箱を見られないから、口に入れてあげるだけだもんね。何も照れる要素ないもんね〜」

「そうだよ!何もないよ」

 私も思わず強がってしまう。これは完全に彼女のペースだ

「はい、じゃあ口開けて」

 そうだ、何も恥ずかしいことはない。むしろ恥ずかしがったら桜木さんの思う壺だ。

 私は口を開けた。特に意味もないけど目も閉じた。

 沈黙。けっこう長い沈黙。

 ・・・いや、長くない?

「桜木さん、まだ?」

 こらえきれなくなって口を開けたまま尋ねる。

「山西」

「ん?」

「その顔面白いね」

 もう!

 思わず口を閉じそうになったのと、口の中に何かが入ったのは同時だった。

 もぐもぐ。

 ふわっふわの卵焼きだった。正直とても好きな味だ。

「どう?」

 散々焦らしたくせに桜木さんは何事もなかったかのように尋ねる。

「・・・った」

 からかわれた直後なので素直にいうのはちょっと悔しかった。

「ん?よく聞こえないな〜」

 悔しかった。けれども・・・

「・・・美味しかった」

 だって、しょうがないじゃん。本当に美味しかったんだから!

「よかった!」と桜木さんはなんだか嬉しそうだ。彼女のことだから、何かを仕掛けて来るかも、と思ったが杞憂だったようである。

「はい、じゃあこれも」

 桜木さんはそう言って水筒を手渡した。それじゃ、ありがたく。ほどよく冷えたそれが私の喉を潤す。

「ほうじ茶だね」

 その時、確かに感じた。見えない宿敵がニコッと笑うのを。

「あ、それ、間接キスだね」

 私は盛大にむせた。


 ***


 私は散々からかわれてお弁当はまだ半分も残っている。一方その犯人はもう食べ終わってしまったようだ。恐るべし。

「ごちそうさまでした」と言ってから彼女は急に大人しくなった。

 これ幸いにと私は急いでお弁当を食べる。

 不意に私の左肩が重くなった。

「桜木さん?」

 尋ねてみると返答がない。何度か尋ねてやっと反応があった。

「あ、ごめん、うつらうつらしてた。」

「食べたら眠くなるって子どもみたいだね」

「違うよ!ちょっとだけ」

 ムキになって訂正してくる。これは珍しいものを見た。(見えてないけど)

 私がニヤニヤしてあげると、桜木さんは「ちょっと待ってて」と言った。どうやらどこかに行ったようだ。からかわれてバツが悪いのだろう。かわいいとこもあるじゃないか。


 5分後。

 私は誰もが納得のボッチ飯シュチュエーションの中でお弁当を完食した。

 桜木さんはまだ帰ってこない。遅いな、と考えながら階段室へ向かう。くすんだねずみ色のドアノブに手をかけた時、

 バタン。

 勢いよく扉が開いた。その向こうには誰もいない。

(普通なら、かなりのホラーだよな)と考えてたところ、「きゃっ!」という声とともに私は後ろへ倒れ込んでしまった。

「ごめん、山西」

 仰向けになった私の上から声がする。桜木さんだ。私は体の上に重みを感じる。

「大丈夫だよ。桜木さんこそ・・・」

 大丈夫、と聞きながら体を起こそうとしたところ、前に伸ばした右手が何かを捉えた。

 あったかいものだった。そして、柔らかいものだ。

 さらに、その何かが、私には見えない。

 結論。

「何か」=「桜木さんのあたたかくて柔らかいもの」=「おっぱ・・・

「ねえ、山西、ダメだよ。そんなことしたら」

 桜木さんの困ったような声で私はふと我に帰った。・・・と同時に私の右の手のひらはなぜか結んで開いてを繰り返しているのに気づく。

 ・・・まずい。

「いや、桜木さん、これは違うんだよ!事故であって決してわざとじゃ・・・」

 必死の釈明。桜木さんはクスッと笑った。

「そんなに揉んだら肉まんの中身がはみ出ちゃうよ」

 ・・・。・・・。・・・。

 え、肉まん?

 私の右手はガッチリとつかんでいた。桜木さんが買ってきた温かくて柔らかい肉まんを。

「下の購買で売ってて、美味しそうだったから買ってきたんだ。アンパンとかカレーパンとか揉む人いるよね。肉まん揉む人もいるのか〜。あれっ、山西、どうしたの?顔真っ赤だよ?お〜い・・・」


 結論

 桜木さんとのランチタイムはかなり刺激的である。


 



 

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