第2話 風紀違反検査
桜の花は散って久しく、新緑が眩しい季節。4月に入学した一年生もだいぶ高校生活に馴染んできたようである。委員会活動でもそれなりに仕事を任されるようになった。
「ちょっと、お前カバンの中を見せてみろ」
現在時刻は午前8時14分、生徒がひっきり無しに通る校門。
「え、いや、なんで!」
私ともう一人は所属委員会の任務を進行中である。
「ほう、最近の保健体育の教科書はこんなカラフルなのか〜」
「ひっ・・・」
カバンを開けられた登校中の男子生徒は顔面蒼白である。そんな彼を尼削ぎの女子生徒、
私と千春は風紀委員なのだ。他人のカバンを勝手に開けて見られたくないものを暴露するチンピラではない。今、行なっているのは登校中の生徒の風紀違反検査である。服装の乱れ、違反物の持ち込みなどを取り締まるのが目的だ。
とは言っても、カバンの中に入れられた違反物をどうやって見定めるのか、と私は思っていたのだが・・・現在、私の頼もしい同僚は4つ目の『カラフルな保健体育の教科書』を押収した。野生の勘なのか。空港の持ち物検査よりも恐ろしい。
「おはよう、山西」
声をかけられた。高校生にしては穏やかなのに、どこか小さな子どもを連想させる声で。
「おはよう、桜木さん」
声のする方を振り返る。
「今日は山西たちが風紀違反のチェックしてるんだね。」
「そうだよ」と言って私は千春の方を見る。私には桜木さんの検査をすることは出来ない。だが、あいにく千春は5人目のターゲットをいじめている。どうやらうちの高校は保健体育指導に力を入れているらしい。
「私は山西にやってもらうのかな?」
「それしかないみたいだけど・・・」
しかし、どうする?私と桜木さんの組み合わせはまずいぞ。困っていると桜木さんが提案した。
「見てチェックするのが難しいなら、直接触ってみる?」
あ、なるほど。それなら私にも可能・・・ってアホか!私の理性が華麗にノリツッコミを入れる。『カラフルな教科書』に載っていそうな展開じゃないか。いや、でもこれは職務だから。同性だし。いいんじゃ・・・。
逡巡する私を見て彼女はクスッと笑う。
「もちろん、千春ちゃんがね」
「え、なんで?」
「見るだけじゃわからないものをチェックするために触るんだよ。元々、私を見れない人じゃ意味ないと思うよ」
そして、いたずらっぽく付け加える。
「あれ、それとも山西がやりたかった?」
「そんなことありません!断じて」
「そっか、じゃあその赤い顔も関係ないのか〜」
私は慌てて彼女の方から顔を背ける。そして、無理に話題を変えた。
「でも、千春、時間かかりそうだよ」
彼女の5人目のターゲットはなかなかの粘りを見せている。
「じゃあ」と桜木さん。「山西がチェックしたいことを質問して、私がそれに答えるのは?」
「それ、桜木さんが嘘を言っても分からないんだけど。」
「誓って誠実に答えるよ」
まあ、でも他に方法もあるまい。私は確認事項を思い出す。
「じゃあ、頭髪について。染めたりしてない?」
「してない。セミロングの黒髪、およそ10万本が頭から生えています。」
これは、これは。馬鹿みたいに誠実だこと。
「スカートの丈は?短すぎたりしない?」
「大丈夫。我が校の校則に定められた適切な丈のものが腰回りにあります。」
「違反物について。変なものは持ってきてない?」
「持ってきてないよ。今日は部活もないから、学校指定のスクールバッグに教科書類とお弁当、あと着替えが入ってるくらいです。」
ん?なんか違和感を感じるが。
「では、最後に、我が高校の制服をきちんときていますか?」
「はい!」
最後だけは元気な声でシンプルな回答だった。
「じゃあ、行っていいよ。」
***
「なあ、山西」
桜木さんが言ってしばらく、背中を何かでつつかれたので振り向く。そこに千春。彼女の手には丸めた5冊目の『教科書』。君は、勝ったんだね・・・。
「あの、近森委員。公衆の面前でそれを持ち歩くのはどうかと・・・」
私の親切な忠告も馬耳東風に、彼女はヒソヒソ声で別件について語る。
「さっき、ゆきを通したな。」
「うん、桜木さんを通したよ。それが何か?」
「あれは確かに困る案件だよな〜」
困る?私は彼女の真意が読めない。私がきょとんとしていると、千春は何を勘違いしたのか慌てて付け加えた。
「いや、別にお前を責めているわけじゃないぞ。ゆきもちゃんとした制服を着ていたわけだし。でも、あれの対応は委員によって別れるだろうが。まあ、ゆきもお前のためにやったんだろうし、両者納得しているなら・・・」
彼女は何を言っているんだ?
近森、桜木さん、私は同じクラスである。先日、桜木さんと私の間で何かがあった。(何があったのかは私も知らない。)その影響で私と彼女の間を誤解する噂が音速の如く広まったが、それは光速の如く消滅し、今では元どおりだ。だが、今、目の前にいる同僚の中では消えてなかった様だ。
「あの、言わんとしてることが掴めないんだけど」
私の催促に彼女は沈黙。それは、婉曲な表現を直球に直すのに要する間だったのであり、なおかつその直球を投げるかを逡巡する間だったようだ。その間を経て、『教科書』を握る彼女の手に力が込められるのがわかる。そして、彼女は顔を上げた。頰を薄桃に染めて。
「私はいいと思うぞ」
「何が?」
「ちゃんと愛し合いたかったんだよな」
***
私は桜木さんの姿を見ることが出来ない。
それどころか、彼女の持っているものすら見ることが出来ない。
だから、私は彼女の存在を視認することが出来ないのだ。そのことをクラスメイトなどの私の周囲の人は知らない。だが、彼女が誤解を招くといけないので、その事実を彼女にだけには伝えてある。
まあ、そのせいで、私は彼女から今回のようないたずらを仕掛けられるのだが。
***
私は自分の教室に急いでいた。自分のミスを確認するために。
桜木さんと話しているときに感じた違和感の正体。それは彼女が着替えを持っていたこと。現在、体育の時間はすべて座学で保健の内容をやる。だからこそ、千春は男子の持ち物を『保健体育の教科書』と表現したのだ。
そして、桜木さんはこう言った。「今日は部活はない」と。
では、彼女の『着替え』とは何だったのだろう?
彼女はスカートの丈を聞かれたとき、こう答えている。
「適切な丈のものが腰回りにあります。」
決して「着ている」とは言っていない。そして学校指定のスクールバッグは肩にかけると荷物が腰回りにくる。つまり、彼女の『着替え』=『女子の制服』だったのではないか。
では、彼女は私と話している時に何を着ていたのだ?
その答えは、近森の発言からわかる。
「ゆきもちゃんとした制服を着ていたわけだし」
「ちゃんと愛し合いたかったんだよな」
ここから導かれる結論は一つ。
彼女はちゃんと制服を着ていたのだ。男子用の学ランを!
千春よ。私と彼女はそんな関係じゃないぞ!
***
ガラガラ。音を立てて教室の引き戸を勢いよく開ける。
私はツカツカと自分の席に歩み寄る。そして、誰もいるようには見えない隣の席に声をかける。
「桜木さん」
「何?」
やはり、彼女はそこにいた。
「今、何着てるの?」
「セーラー服だよ」
もう着替えたのか。
彼女は何事もなかったように平然としている、と思ったら、堪えかねたように、フフッと笑った。
「直接触った方が良かったみたいだね」
たまらずに私はつい言ってしまった。
「次からは絶対にそうする!」
あっ。すぐに自分の掘った墓穴に気づいた。だが、もう遅い。その後、散々にからかわれたのは言うまでもない。
今に見ていろ、と私は思うのだ。その見えない、こしゃくな笑顔に向かって。
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