桜木さんの笑顔が見たい

下谷ゆう

第1話 数学

 突然だが、私、山西修子やまにし しゅうこは数学が苦手だ。その苦手たるや、まっすぐな筋金が入っていると言っていい。

 一つ例を挙げよう。

 あれは中学3年の12月、高校入試の二ヶ月前だった。入試問題の過去問に挑戦してみる。その結果は5点。もちろん、10点満点ではない。100点満点での点数だ。目の前に立ちはだかる圧倒的な壁の前に、私は部屋の隅で体育座り。見かねた姉が一言。

「大丈夫、先月の2.5倍じゃん!指数関数的進歩じゃないか」

 姉よ、あまり嬉しくないぞ・・・。

 

 そんなこんなで、受験日を迎えた。そこで私は思い知ったのだ。

「あきらめなければ夢は叶う!」

 そう、神様は何を間違えたのか、私を合格させてしまったのだ。まあ、運も実力のうちですかね〜、唖然とする周囲に私は澄ました顔をしたものである。


 そして、話は高校一年生の教室に飛ぶ。

 「じゃあ、山西さん。問2を黒板にお願いね」

 ・・・はい、詰んだ。

 先生、そのお願いお受けしかねます。この授業を真面目に拝聴しておりましたが、何一つ理解できておりません、と私が若い女性教諭に送った流し目は華麗にスルーされる。

 真っ白なノートのページ。何やらいびつな立体の図が載った教科書のページ。私は腕組み考える。待て待て、そもそもこの立体の体積って求まるのか、問2よ。もし求まるのなら・・・人類ってすごいな。

 時間だけが刻々と過ぎていく。ノートに増えるのは真っ白な平原を汚す謎の曲線。シャーペンの芯が確実に浪費されていく。

 おお、神よ!なんとかして!

 その時、真っ白だったノートに数字の羅列・・・否、数式が現れ始めた。

「・・・おお!?」

 ハリーポッターみたいな光景が目の前にある。そして、瞬く間に答えが導かれた。

「山西さん、できた?」

「あ、はい!」

 私は意気揚々と黒板に出て板書を始めた。流れるようにチョークが走っていく。気分は天才物理学者だ。

「できました!」

 したり顔で振り返る。すると、私は見た。漫画的な演出かと思ったけど確かに。教室の皆の上に「・・・」が浮かんでいるのを。

「えっと、山西」

 教室最前列の片平渚かたひら なぎさが「・・・」を破って声を発した。

「立体の体積を求めたんだよね?」

「もちろん!」

 片平は少し困った顔をした。

「じゃあ、なんで答えにマイナスが付いちゃったの?」

「えっ?」

 黒板に向きなおると、カッコつけて走り書き風に大きく書かれた「−39㎥」。

 絶句。自分の頰に血が巡るのを感じる。すかさず先生のフォロー。

「山西さんはきっと四次元の立体を求めちゃったんだね〜」

 にこっ、という微笑も付いてきた。

 先生、それはフォローか?・・・かわいいけど。

 教室の皆の笑い声と先生の解説を背に私は自席へ戻る。そして、隣の席に向けて顔をしかめて見せた。

「ひどいよ。桜木さん」

「・・・ご、めん」

 息も絶えだえに謝ってくる。笑いを必死にこらえてる。とりあえず、謝る気は無いよね。

「いや、山西があんまり嬉しそうに黒板にいくもんだから・・・」

 大変お気に召されたらしい。笑いは止みそうにない。

「あんな神がかった演出で答えが出てきたら嬉しくなるよ!」

「問題は自分の力で解こうね〜」

 ぐうの音もでない。

 恐ろしいことに彼女にかかれば私にあんな演出をすることなど造作もないのだ。実に恐ろしい。

 桜木ゆき。私の隣の席。普段は隣にいることも忘れるくらい影が薄い。彼女のことを可愛いという人もいるようだが、私には理解不能だ。

 そして、私の天敵である。

 私の数学が苦手っての知ってるくせに。ふてくされてそっぽを向く。

「あ、山西怒った?」

「ごめんて、ちょっとからかっただけだから」

「お〜い・・・


 6時間目終了のチャイムとともに目が覚めた。まずい!寝てしまった。ただでさえ苦手な数学、ちゃんと授業を聞く必要があるのに・・・。

「ん?」

 顔を上げると向こうにこちらを見るクラスメイト。その顔は赤面している。

 なんだ?、と思って周りを見ると皆が私を見ている。何、この状況?

 突然、耳元に風。体がびくっとなる。

「さっき、返事してくれなかったからな〜」

 耳元でささやかれる桜木さんの声。彼女はそれだけ言い残すと教室を後にしたようだ。

 さて、私は混乱している。この教室の奇妙な空気はなんなんだ?

 背中をぽんと叩かれた。振り返ると片平が立っている。面白いものを見るような表情を貼り付けて。

「やったじゃん、山西」

「はい?」

 彼はニヤニヤしている。

「ごめん、片平。状況が全くつかめない。何があったの?」

「何って、桜木さんが・・・」

「桜木さんが?」

 気がつくと片平の顔は真っ赤になっていた。そして、「言わせるな!」とだけ残して走り去る。

 おいおい、何をやったの、桜木さん!!


 その後、私は彼女が何をしたのか知ることはなかった。

 一度、あるクラスメイトにあの時、桜木さんは何をしていたのか尋ねたことがる。

「え、山西さん、最後の方は起きてたじゃん。覚えてないの?」

 これが返答。それができたら苦労しない。


 だって、私は彼女の姿を見ることが出来ないのだから。




 



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