日本の神とは

 太古、天皇が、稲作を広めだしたとき、我も教えてくれと、我も我もと天皇に押し寄せた。なんせ米だと1年以上も食料を保存できる。その日暮らしの狩猟と採取から脱却できて、生活が豊かになるからだ。だからと言って稲作。そんなに簡単に、一度に大勢に教えることはできない。押し寄せてきた人は、先に我に教えろと争いになった。

 そこで、皇后が鏡を準備し、暴れている人を呼んで鏡を見せた。まだ水鏡を見るぐらいしかなかったころだ。彼らは、自分が荒れた鬼の形相をしていることに気づかされた。

 カガミ(鏡)を見た彼らは、ガ(我)が取れて、天皇を守るカミ(守)となった。これが神の語源である。

 だから神社の神は、すべて元、生きていた人たち。もしここに外国の神が入るとしたら、それは、人々を守るカミ(守)だったという事だろう。彼らは、すべて、生を受けて、その時代に活躍した人たちだ。


 聖徳太子の十七条憲法の12条

「十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。」

(https://ja.wikipedia.org/wiki/十七条憲法 参照 )


 これは、民はおおみたからだ。その民からむやみに税を取るな。天皇は一人だけ。二君はないとうたっている。十七条憲法は、江戸時代まで守られていた憲法だ。明治時代になって、欧州に追いつけと欧州の憲法をまねて日本は、おかしくなった。絶対君主制の憲法をまねるって、今だとおかしいとすぐわかることなのだが仕方ない。


 十七条憲法の12条にあるように、太古から天皇のおおみたからである民を貴族、官僚、武士が守り、興す体制が出来上がっていた。

 天皇は、稲作農家の荘園主。稲作が、日本に広まったときからの習慣だ。稲作と、それに関わっている人は、みんな天皇のカミ(守)なのだ。これも、一つの民主主義と言えるだろう。

 民主主義というのは現代になってやっとできた思想のように見えるが、日本は昔からそうだったということ。これは、女性の主権を見れば明らかだ。キリスト教国の聖書は、女を数えていない。キリストに民が3万人押し寄せて来たという記事があれば、それは、男の数だけで、女子供は数に入っていないのである。近代まで、女は文字すら書かせてもらえなかった。ところが、日本では、平安時代に、紫式部によるライトノベルである(光源物語)が、もう、書かれていた。


 考古学的には、麦も稲作も1万5千年前から始まったとある。麦は、平地に自生しているものだ。しかし、米は、亜熱帯地域のそれも汽水地に自生していた植物。これを人工的に再現することに至る人はまれなことだっただろう。


※汽水地とは、川と海が交わる地域。氷河期のころは、海抜が200メートルも低かった。7千年前は、マイナス80メートル。縄文時代には、日本にも広大な干潟があった。

 

 稲作ができるようになると、家族全員が、その日の糧を探して走り回る必要はない。太古でも多くの人が、別の職業に就くことができる。その証拠が勾玉だ。勾玉の原石は、新潟糸魚川の翡翠。翡翠は、鉄より硬い硬度を持つ。これを日本人は、太古にあの形にし、穴まであけていた。これは、狩猟採取を中心とした生活体系ではなしえない。専属の職人がいて初めて成しえることだ。中国では、この宝を持っていることが皇帝の証だった。どれほどの価値があるものを日本人が作っていたかわかる話だ。現代でも、日本人の技術が、世界に先駆けているゆえんである。


 ここまでに三種の神器の、鏡と勾玉の話を出したので、草薙剣(くさなぎのつるぎ)にも少し触れておく。物事は、すべて平和裏に解決することはなく。ある時は、武力を使うことも必要だということだ。


 カミ(守)とは、天皇の荘園を守る人々全員を指す。日本の八百万の神とは、それを言った当時の日本人の人口を指す。神社の神さんが、元生きていた日本人だったことも頷ける。日本の神は、今も息づいている。

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