五色人

 五色人は、熊本県の山都庁にある幣立神社に祭られています。ここに「五色神面」という面が社宝として奉納されています。五色とは、赤、白、黄、黒(紫)、青の五つの色。


 西暦300年に大和王権が日本を取るまで、日本の首都は、大分県にありました。近年まで、ウガヤ王朝の子孫は、ここを出ることができませんでしたから、多分、宇佐神宮辺りでしょうか。大和王朝の前のウガヤ王朝は、八幡系の人たちのことです。天皇家は、大和王権が成立するまで、大分県にある首都で、73代まで数えられています。その後は、また1代目から今の天皇に続くというのが、大分県史、「ウエツフミ」に書かれている内容です。これは、武内宿祢の口伝にも残っている事です。多くの神社から出土しているペトログリフにもその痕跡があります。これらの真偽のほどは置いといて、五色人が、当時かそれ以前、大分県を中心とした国の近くにいたのではないかという話をします。


 まず人種です。

 黄色は、黄色人種。今の日本人ですね。

 赤は、ユダヤ人。古事記に出て来る猿田彦は、赤ら顔で獅子鼻だったそうです。

 黒は、ミクロネシアン系でしょう。インドネシアや台湾から南九州に入ってきた入植者。

 青は、現在いませんが、モンゴル人と日本人は、生まれた時、お尻に青い蒙古斑があります。あながちいなかったとは言えないでしょう。

 白は、今でいう白系ロシア人が日本の大分からさほど離れていない地域に住んでいた事になります。


 一説によりますと、韓国の東半分を古代、新羅(しらぎ)と言っていたのは、白い人達という意味だったとか。目が尖ってえらが張った特徴的な朝鮮人とは別に、カッコいい人がいるのはそのせいかもしれません。昔は、北の美女に南の美男と言われていました。北は高麗人。高麗人は、元をたどれば、南満州人の人たちのことですね。


 幣立神社の建立は、一万五千年前と言われています。ご神体の鏡石だと六千年前。九州で一番最近破滅的噴火をして九州の人々を土地から追い出した鬼海カルデラの噴火は七千年前。新羅の話は二千年前。青色人種の研究がないので年代は定かではありませんが、西暦ゼロ年以前のある時期の九州辺は、人種のるつぼだったのではないでしょうか。今では、そんな面影は薄く、みんな日本人です。米を食べて、日本で生活していると、みんな日本人になっちゃうんでしょうね。


 赤のユダヤ人ですが、ユダヤ人12氏族の内、何氏族かは、日本経由で、アメリカに渡ったのではないかという説があります。出エジプト記というのは4000年前。そのころは、まだ海抜が低く、日本と大陸とのアクセスが容易だった。北海道は、葦原地帯だったので、葦の船を作りやすく、それで千島列島を辿れば、アメリカに到達できたと言う分けです。

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