第21話:届かぬ加護
それから日が暮れるまで歩いても、特にこれという事態はなかった。
魔獣の襲撃はあったが、それは彼らの自然な営みであって、一行も一定以上の労苦を伴うものではない。もちろんそれも、襲ってくる相手によるらしいが。
前の晩と同じように夜営の準備をしていると、カズヤたちがどこに荷物を置くのか、どこで眠るのか、そういったことを注視されている気はした。
その度にグランの意向を問うても、気が付いていない振りをしろと返ってくる。つまり勘違いではない。
しかし結局、次の朝までなにも起こらなかった。これが続いては、それだけでも疲れてしまう。ふた晩続いて、満足な睡眠を取れていない。
「思った以上に冷えるな……」
三日目を登って、昼食にはまだ早いというころ。シヴァンの指示が飛んで、休憩となった。
視界に占める白色の割り合いが増えて、気温も我慢の限界を超えつつある。このまま進むべきか、作戦を考えるらしい。
「高い山に登れば寒いのは、当たり前じゃないのか」
「それはそうだよ。僕だって、大地の心臓のことくらいは知っている」
「大地の心臓?」
「カズヤの世界では、呼び方が違うのかな。大地の奥底にある、炎のことだよ。低い場所ほどそれに近いから、暖かいんだ」
マグマのことだろうか。高いところが寒いのは、それとは関係なかったはずだが。
「火山が噴火した時に出てくるやつか? 俺の世界では、溶岩と言うんだが。岩が溶けた物だ」
「岩が溶ける、か。なるほど、そう見えるね。それはこちらでは、アレトアの怒りと言う」
「アレトアってなんだ?」
「大地の女神の名だよ」
詳しく聞いてみると、どうやら大地の心臓とは、本当にその女神の心臓のことらしい。大地の女神は炎の神と双子であり夫婦で、互いに力を与えあっているのだと。
その心臓が地中深くにあり、それが下から地面を暖めているのだとグランは言った。
「なるほどな」
「どうも違うと言いたげだね」
「いやまあ……俺の世界の常識とはちょっと違う。でも俺は、そういうのに詳しくないんだ」
地球の地盤の下にはマグマがあったり、高所が寒いのは空気密度のせいだとか、なんとなくは知っている。しかし他人に説明出来るほど、しっかりと理解しているわけではなかった。
そんな話をしている間に、方針が決まったようだ。シヴァンに言われて、騎士たちが部下の兵士を何人かずつ呼び集めている。
「おい、お前たち!」
「どうやら僕たちも行くらしいよ」
離れた位置から呼ぶシヴァンには聞こえないよう、やれやれといった風にグランは呟く。
それにはカズヤも同意だ。カズヤは一枚布で出来た上衣と、同じ生地で出来たズボン。その下には、薄いパンツしか穿いていない。
上衣とズボンの厚みや着心地は、現代のトレーナーに近い。平地なら快適だが、雪のある場所を歩くのは勘弁してほしかった。
「あんたらは、防具もマントもあるからいいだろうけどな」
伯爵以外の者たちも、グランたちも、それぞれ革製と見える防具を身に着けている。騎士たちは、最初に金属製の胸当てだったと思うのに。
どうやらある程度、この事態を想定していた部分があるようだ。
「心配するな。お前にも、防寒着くらいは貸してやる」
「そうしてくれ。でないと、さすがに死ねる」
こんな世界だから、ふかふかの毛皮でも着させられるのかと思った。カズヤはそういうごてごてとした衣服を好かない。
しかし与えられたのは、革製のジャケットのような物だった。金属鎧を着る時に使う、
見た目に手作りという感は強いが、きっちり丁寧に仕上げられていて、オーダーメイドと言ったほうがいいのかもしれない。
たっぷりと綿が使われているそうで、思い込めばダウンジャケットにも見えなくはない。
「では、出発!」
ブーツも貸りて、残るは大腿部辺りだ。しかしそこまでの用意はなく、仕方がないので手拭いを巻き付けた。
寄せ集めの格好で、マシェの近くを歩くのは恥ずかしい。
しかし彼女は、「それなら暖かそうね」と笑って言う。気休めで言っているのではなさそうだ。
「変じゃないか?」
「変? 寒いところで、暖かくするのが?」
なにを言っているのか分からない。本気でそう感じているようだった。
「いや、騎士たちは揃いの防具で、格好いいじゃないか」
「それはそうね。でもそんなことより、怪我や病気をしないようにするのが先だと思うわ」
ファッション的な良い悪いという感覚も、ないわけではなさそうだ。その上で、関係ないと言っている。ようやくそう理解して、カズヤは少し、ほっとした。
◇◇◆◇◇
頂上まで、あと少しという辺り。周囲は岩と雪しか見えない。雲に入ったようで、見通しはあまり良くない。
ここまで来たのは、十四人だ。グランたちとカズヤとで四人。シヴァンと騎士が四人。兵士が六人。
体調が万全でない者を省き、伯爵の護衛に信用の厚い者を残した結果だった。
ジュネはまだ、着いてきているのだろうか。見回しても、姿は見えない。あまりそうして、怪しまれてはまずいのだろう。グランが「大丈夫」と言うのを、信じることにした。
「あの辺りのようです」
「うむ、そのようだ」
一人の騎士と、シヴァンが頷きあった。なにかと思って、指さす方向を見る。
そちらと今居る付近に、それほどの違いはない。一つ違うのは、積もった雪の量だ。こちらは概ね一面が白く覆われているのに、あちらは真っ黒な地面の色が目立つ。
「どうしてあんなに黒いんだ」
「焦げたからに決まってるだろうが」
マクナスの声を聞いたのは、しばらく振りな気がした。いや実際にそうだろう。この前がいつだったか、覚えてはいないが。
「焦げた?」
「行ってみれば分かるよ」
ひと言、文句を言っただけで。仕事は済んだというように、マクナスはさっさと行ってしまう。
代わりにグランが返事をしたが、解説する気はないらしい。
いいから教えろよと、思わなくはなかった。だがグランには、口でも敵わない。諦めてマクナスのあとを追う。
「これは……」
その付近に達すると、そこから向こうの広い範囲で、雪のない部分が目立つ。
それでも残る雪を退けてみると、赤茶色の地面が見えた。どうやらそれが、元の色らしい。
巨大な鉤爪で手当たり次第に、しかも執拗に引っ掻いたような黒い模様が一面に広がる。しかもあちこちに、深く抉れたり穴の空いたのが見える。
そんな光景には、見覚えがあった。
「雷禍が居たのはここか」
「そうだと思うよ」
ようやく気付いたのか、とでも言いたいのだろうか。マクナスはちらと、バカにした視線を向けた。
腹立たしくて顔を背けると、そちらではマシェがにこりと笑う。
「しかしシヴァンさま。広さはともかく、この雪では――」
「最悪それも、やってのけねばならんだろうがな」
平地で見ただけでも、雷禍は行ったり来たりしていた。その範囲は、野球場が何個入るだろう。
そんな面積を、雪を退けつつ、どんな物かも分からない動物の糞を探す。
冗談でもやっていられない。面倒とかいう限度さえ超えている。
「しかし私の予想が正しければ、日中を過ごしたねぐらがあるはずだ。まずそれを探そう」
助かった。大きな穴を探せというなら、散歩をしているのと同じだ。高い山だから息苦しくはあるが、誰一人として高山病になる気配さえない。
「お前たちは私と来い」
シヴァンと話していた騎士は、もう一人別の騎士と兵士を連れて捜索に向かった。こちらにも騎士が一人と、シヴァン。兵士が二人付く。
尾根を越えてまた、ふた手に分かれ、一時間も探すと日が暮れてくる。
そんな穴くらいは、すぐに見つかる。散歩みたいなものだと言ったのは誰だったか。
変化もない景色に、カズヤは辟易し始めていた。
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