第20話:警戒すべき相手

 アルフィとディアが、なにを目的としているのか。なにをしようとしているのか。その結論は出なかった。

 当たり前だ。何度か出会ったことと、巨大な縞玉をカズヤに渡した以外の、判断材料がない。

 ならば目下の予定を変更する理由もないのだから、そのまま遂行する。それが唯一、決まったことだ。


「カズヤ。向こうに、いい茂みがある。小便を出しておこう」

「こっちにも連れションがあるのか」

「トゥ――なんだって?」

「いや、なんでもない」


 今日、何度目かの休憩。斜面がきつくなってきて、短い休憩を挟む回数が増えた。カズヤは既に疲労困憊だが、置いていかれるわけにはいかない。

 昨夜からこちらの様子で言うと、落伍したからと咎められることはない気がする。しかし一行がここまで来るのに、何度も襲われそうになった。

 その姿は熊か狼かという大型の肉食獣であったり、カズヤの腕ほども太い蔓を伸ばす植物であったりした。聞けばこの世界では、珍しいことでないという。

 それぞれ難なく撃退してはいる。だが伯爵や、その部下たち。グランたちも、それぞれ手練れであるから、そう見えるだけだ。カズヤが孤立していたなら、為す術もないだろう。

 置いていくと言われたとしても、どうにか着いていかなければならなかった。


「どうだい、いい茂みだろう」

「どういうのがいいんだか、俺には分からん」


 並んで小用を済ませた前は蔦が覆って、他の者たちの姿はよく見えない。それが目隠しとしてということなら、大きな木の陰でも同じことだ。


「そうだね、それは君を呼び出すための口実だからね」

「あん? どういうことだ」

「僕たちは今、とても危険だということさ」


 いつも軽快に話す、グランの口調が変わった。優しげに笑むのは変わらず、声だけが太く通りにくくなる。

 危険と聞いて、辺りを見回した。耳もすませた。だが怪しげな影も音も見当たらない。

 そういう感覚にしたところで、グランとは比べるべくもなく、なんの保証にもならなかったが。


「いや、そういうことじゃない。これさ」

「ん、いつの間に受け取ったんだ」


 グランが背負い袋から出したのは、縞玉を入れた革袋だ。それを彼は、右手だけで軽々と差し出す。

 カズヤも片手で持てなくはないだろう。しかしおそらく、ぷるぷると震えっぱなしになってしまう。まずはそこに驚いた。


「最初から、マシェには渡していないよ」

「へぇ。マジシャ――奇術師にでもなったほうがいいんじゃないか?」

「ははっ、それはいいね。検討しておくとするよ」


 さほど上手い冗談と思って言ったのではなかったが、グランは気に入ったらしい。口調が一瞬だけ戻って笑う。


「誰が、いつ、これを狙ってくるか分からない」

「誰が、って。あいつらのことか」

「まあ――当面はそうだね。でも僕たちがこうやって、目の届かないところに居る。なら他の誰が、誰と話していても気付かれない」

「ああ……」


 ゆうべのことがあって、和気あいあいと、とはいっていない。けれどもその分、騎士や兵士たちには緊張感があった。

 苛々、ぴりぴりとしたものでなく、連帯感によるものだろう。カズヤには、苦手な空気だ。

 その兵士たちが、他人の持ち物を狙ってくる。どうもそれが今ひとつ、ぴんとこない。


「兵士がそんなことをするのか? 戦うだけじゃなくて、犯罪者を捕まえたりもするんだろ?」

「たしかにそうだけど、それはそうしたほうが、得だからだ」

「得?」

「給金だよ。捕まえた相手が、逃がしてくれたらカネをやると言えば、裏切る兵士は少なくない」


 上司からの評価を下げたり、自分が犯罪者になるリスク。それと実利を天秤にかけ、得になるほうへ傾く。

 極めてシンプルな考え方だが、カズヤは現代の日本人だ。信用が第一などとは信じないが、それを建前としなければならないことは知っている。


「あれだけ居る兵士がか――じゃあどうしてマシェに渡す振りをしたんだ。あの子に危険を被せることになるじゃないか」


 問うと、なにやら驚いた顔をされた。至極小さな反応だったが、じっと見つめられて、さらには微笑みかけられる。

 なんだか気持ちが悪い。


「いや、それは無用の心配だ。それと、心配が足りない」

「はあ? 分かるように話してくれ」

「もちろんさ。まず、彼女だけが狙われるという心配はない。マシェになにかされたとして、僕たちがなにか言い出せば面倒だからね」


 それは心配がないのでなく、心配を増す話だ。そう感想を持って、先に言われたのはそういうことかと納得した。


「なにかするなら、俺も含めた四人にってことか?」

「出来れば彼女だけを、と考えるだろうけどね。それは僕とマクナスが見張っている。同時にそれが、マシェに持たせる振りをした理由さ」

「ええと……ああ、そういう。でもそれなら、俺が持っていたって同じじゃないか」


 意図は理解したし、きっと間違ってはいないのだろうとも思った。それだけに、どうして自分ではダメだったのかと思う。

 決して、マシェが女性だからと、騎士道の真似事ではなかった。


「いやそもそもカズヤには、持っておく手段がなかったじゃないか。それと単純に、マシェなら、もしもの時に自衛出来る」


 反論のしようがなかった。きっと腕相撲をしても、戦闘訓練のようなことをしても、マシェに勝てないだろう。いや絶対に勝てない。

 自分がなんの役にも立てないのだと、昨夜感じた気持ち。

 それが無責任な第三者の発言にさえ思えて、けれどもやはり動かぬ事実だと納得していて、奥歯を噛んでごまかすことしか出来なかった。


「さて、もう一つ」

「まだあるのか」

「もう忘れたのかい。心配が足りない、というほうさ」


 忘れたのでなく、それはもう済んだのだと思っていた。


「警戒が必要なのは、兵士だけじゃない。あそこに居る全員さ」

「騎士たちもか……いやでもシヴァンは、それほど興味がなさそうだった」

「彼らには見栄があるからね。許すと言った相手から、なんの理由もなく物を奪うのはためらわれる。目立たない機会を窺っていると見るべきだ」


 この世界の人間に、そういうものだと言われてしまえば、疑う余地はない。まるきり信用はしなくとも、「そうなのか……」以外に返せる言葉は見つからなかった。


「ああ。あそこに居る全員、と言ったのは間違いだ」

「うん? 伯爵は違うとか、そういうことか」

「いや。国を滅ぼしてでも、手に入れる価値がある物だからね。例外はないさ。つまり、ここに居る僕も信用すべきでない」


 なんの冗談を言っているのか。宝石を奪おうなどと考える人間が、そんなことを親切に教えるものか。

 しかしそれで油断をさせて、ということも。いやいや油断させるほどの相手でないことは、十分以上に理解しているはずだ。

 もともとカズヤは、縞玉などと言われても、まだその価値を理解していない。

 宝石が高価な物だと知ってはいても、自分には縁のない物だ。日本にいたころ、テレビ画面に高額の現金が映れば、あれが自分の物ならなと思った。

 しかし宝石に対して、同じ感覚を持ったことはない。

 そんなカズヤを、警戒する意味などないだろう。けれどもそれは、カズヤが自身のことだから分かっていることだ。

 そうと話したところで、信用されない可能性が高い。


「そうだ、それでいい」

「え……」

「カズヤは無愛想な割りに、すぐに人を信用しすぎる。それくらい考えて、疑うべきだ」


 悩むカズヤに、グランは笑みを残しながら、ひどく真面目な顔で言った。答えに詰まっていると、彼は周囲を気にしつつ、片腕を高く上げる。

 するとすぐに、ほんの僅かな草の音を立てて、何者かが脇の藪から顔を出す。


「ジュ――」

「静かに」


 それは見間違いようもなく、ジュネだった。あれから姿を見ることがなく、どうしているやらと思っていた。

 思わず名を呼ぼうとして、グランに口を塞がれる。彼は小便をしたあと、手を洗っていないはずだが。


「詳しく話している暇はない。ジュネ、これはカズヤの大切な物だ。預かってもらえないか」

「ああいいよ。なくさないように、しっかり持ってる。用はそれだけか?」

「それだけだよ」

「そうか。カズヤ、俺は隠れて見てるからな。安心しろよ」


 言ったジュネは、カズヤの返事を待たずに姿を消した。高い木にでも登ったのだろう。何本かの木が、不自然に揺れた。


「無事だったのか……でもどうして着いてきてるんだ」

「さて、どうしてだろうね。僕が来いと言ったわけじゃない。彼は君に、恩を感じているようだよ」

「あいつが俺に? 逆だろう」

「それは彼に言ってあげなよ」


 なにか知ってはいるのだろう。グランはわざと、皮肉を持たせて笑う。聞いても到底言わないのは分かるので、問う気にもならないが。

 しかしカズヤが、ジュネに助けてくれた恩義を感じているのは指摘した。その表情が苛とするものの、それほど腹は立たない。


「無愛想で悪かったな」

「悪いと思うなら、素直に言えばいいと思うよ」

「……めんどくせーな」


 前言撤回。やはり多少は腹が立つ。

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