第22話:迫る現実

 風の向きと、強さが変わった。取り巻いていた雲は一掃され、遠くの山々まで見通せる。

 カズヤたちの居る場所よりも低いところに、暗い色の雲が見えた。それは時に光を発して、一行の誰もが同じ想像をしただろう。


「いま私たちが居るのは、ここだ。あの雲の位置は……」


 風を避けられる大きな岩の陰で、地図が広げられた。カズヤの見慣れた紙ではなく、平たく伸ばした革のようだ。

 そこにある図も、素人の描いた見取り図の域を出ない。ゲームの設定資料などで、そのような地図を見ることがあるけれども、やはり現代人の作ったそれとは違う。


「あれが雷禍だったとして、今の時点でこちらへ来る可能性は、低いように思います」

「どうしてそう思う」

「一つは、まだ日が落ちていないこと。これには、私たちが火を使っていないことを含みます。もう一つは、こちらが風下ということです」


 雷禍はどうやら夜行性らしいと聞いている。人間を襲うときに、灯りを頼りにしているのではとも。それに加えて、人間の出す臭いも嗅ぎ取っていると考えているらしい。

 意見を言ったのは、カズヤとともに偵察を行った騎士だ。おそらく騎士の中では、立場が低いのだろう。声を聞いたのは、久しぶりな気がする。


「うむ、私もそう思う。しかし彼奴がその気になれば、この程度の距離はひと飛びだ。こちら側に戻っているのも、予想外であるしな」


 一行が立っているのは、先に登った山とは反対側の斜面だ。戻る姿を見ていないのだから、あちらの山のさらに向こうに行ったと考えるのが普通だろう。

 しかし今見えている稲光が雷禍ならば、わざわざどこかをぐるりと回って、戻ってきたことになる。

 カズヤにしてみれば。いやこの場の誰に取っても、分かりきった事実だ。あれが雷禍だと確定してはいない。だが狙われれば、命はない。

 ならばここを立ち去るしかない。時間を置けば、状況も変わるだろう。そうなってからまたやり直せばいい。

 もちろんそれに付き合わされるのは面倒だが、死の危険を冒すよりはましだ。そう思うのに、誰もそうとは言い出さなかった。

 ――ふと見ると、マクナスがなにかグランに話している。


「シヴァンさま。意見を申し上げても?」

「構わんが、その男の意見か? ならば直接に言えば良いだろう」

「彼は田舎の育ちで、言葉遣いに失礼があってはと気にしております」

「そうか。分かった、それで構わんから言え」


 あのマクナスが、そんなことを気にするのか。彼は貴族という存在を、嫌うようなことを言っていた。それでそんなことを、考えるだろうか。


「俺は山の育ちだ。だからあれが、雷雲じゃないと分かる。それなのに雷が見えるってことは、だ。すぐにここを離れるべきだ」

「うむ――そうか、雷雲ではないか」


 驚いたことに、マクナスの意見はカズヤと一致していた。彼とは徹底的に、意見が合わないものと思っていたのだが。


「どうされたのですか? 僕もついでに言わせていただければ、伯爵のいらっしゃる辺りで隠れていれば良いのでは。雷禍もそんな人間を、わざわざ探しはしないでしょう」

「そうだな。うむ、私もそう思う。思うが――」


 シヴァンの歯切れが悪い。どうやらあれが雷禍である可能性が高いのは、信じているらしい。だから身を隠したほうがいいのも、もっともだと。

 それならば、考える余地などないだろうに。今こうしている時間さえ惜しい。


「どうしたんだ。そう出来ない理由でもあるのか?」


 シヴァンともう一人の騎士は、渋い顔をカズヤに向ける。自分たちが全滅するかもという時に、そんな理由などあるはずがないと思ったのに。


「ここで山を降りて、ひと晩を待てば、終えるのがふた晩伸びる。いやそれでも、待つのがひと晩で済むなら良い。それが伸びるのはまずいのだ」

「はあ? どうもなんだか焦ってるみたいだけど、どうしたっていうんだ」


 グランが言っていた。なにか焦っているように、普通はしない行動をしていると。

 それを思い出して問うと、シヴァンは小さく舌打ちをした。


「雷禍がなにを食おうが、なにを出そうが、それほどのことなのか? 何十人も死なせて調べるほどのことなのか?」


 分かりきったことを、どうしてそんなに悩むのか。この世界のことを知っているとかいないとかも、関係がない。

 カズヤ自身の命が危ないこととはまた別に、その理屈の合わなさが苛立った。

 感情を抑える気はなかったので、そのまま出ていただろう。それをうけて、シヴァンは幾拍かを沈黙し、やがて答えた。


「……何十人ではない。もっと多くの人間が死んでいる」

「あ、ああ。村が一つ、焼かれたんだったな」

「それもだが、雷禍は遥か東から移動してきたのだ。この国の前には、隣国ハウジア。その前も、その前も。いくつもの国を渡っている」


 雷禍の移動速度は、途轍もない。しかしカズヤが見たのは、あちらの山から平地を挟んで、そちらの山までだ。そのイメージがあって、雷禍とはこの辺りの山々を縄張りにしているのだと思い込んでいた。


「町がいくつも襲われたのか」

「そうだ。正確な数は分からんが、何千、いや何万の単位かもしれん人数が、犠牲になった」

「ああ……」


 この世界に棲む動物は、三つに分けて考えられていると教わった。

 一つは野獣。もう一つは魔獣。人を獲物として狙うかどうかが、その区分だと。

 残る一つ。

 それは冥獣みょうじゅうと呼ばれる。神にも匹敵する力を持ち、ひとたび暴れ出せば、止められる者など居ない、と。


「そうか、冥獣ってやつなんだったな」

「そうだ。あれは、意思を持った災害だ。人間は、逃げる以外に為す術がない」

「そう思うなら、なおさらじゃないか」


 カズヤが人を説得する立場になるなど、人生で初だった。

 じゃあ俺だけでも逃げる、とはいかないのも間違いない。しかしこの時は、そんな計算などしていなかった。

 かといって、シヴァンの身を案じていたわけでもない。カズヤ自身、どうしてこんなに言っているのか、わけが分からなかった。


「ならん。このまま彼奴が進めば、我がガルイア王国の王都、ガリアスがある」

「なるほど……ガリアスが全滅となると、それだけで数万の犠牲が出ますね」

「そんなことなら、先に避難しておけばいいじゃないか」


 カズヤは思う。なにを悩んでいるのか。聞いてみれば、簡単なことじゃないか、と。


「やっぱりバカだな」

「なんでだよ」

「カズヤ。数万の人命が助かるのはいい。でもその町は滅びる。その人たちは、どこで生きていけばいいんだい?」


 バカと言った、マクナスはともかく。噛み砕いて言ってくれているのだろう。それでも、ぴんと来なかった。近くの町に分散して住むとか、仮設で家を作ればいいとか、そう考えたから。


「伝わってないようだね。僕たちのように、自分の身を守れる人ばかりじゃないんだ。むしろそういう人たちが、大多数なんだよ」

「いや、それなら。近くの町に住むとか……」

「どの町も、今の人口を食べさせるのが精一杯だよ。百人くらいならまだしも、数万単位なんて、不可能だ」


 無理にそんな人数を受け入れさせれば、食料を巡っての争いが起きる。真剣な目で語られるグランの話を、誰も訂正しない。


「じゃあ、逃げてもやっぱり全滅するってことか」

「全滅よりも、酷い事態になるかもしれないね」

「いやそれって……」


 詰んでいるじゃないか。いわゆる、無理ゲーというやつだ。

 雷禍そのものを、どうにかすることは出来ない。放置すれば王都が全滅。逃がしたところで、別の被害が拡大。

 どうにもならない。なんだその無茶苦茶な話は。これも神の与えた罰とやらの、一部なのか。

 苛立ちと絶望感と、もしかして自分のせいなのかと思う気持ち。愕然とするという体験も、やはり人生で初めてだった。


「いやいや、待ってくれ。そこまでの事態で、どうしてあんたらは糞なんか探してるんだ」

「知れたこと。それが彼奴をどうにかする、手段になるかもしれんからだ」


 可能性は低いのかもしれない。しかしそれでも希望を捨てていないシヴァンの、低く呻くような覚悟の声。それはカズヤの胸にも響いた。

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