第17話:コルディス家の主従

 次の日。カズヤはまた、山を登っていた。雷禍が町を襲った時、最初に姿の見えた山だ。

 とはいえ町からは遠く、ようやく麓から少し登ったところで夜営となった。

 カズヤを解放する条件は、まずこの登山に同行すること。まず、と断ったからには、他にもあるのだろう。しかしそれは明らかにされなかった。


「お前たちの旅の話を聞きたい」

「さして面白いかは保証出来ませんが、それでもよろしければ」

「もちろんだとも」


 倒木に座ったシヴァンに、二人の若い男が甲斐甲斐しく世話を焼く。マントを外し、革の胸当てを取り、その下の分厚い下着のような物も脱がせる。

 その間シヴァンは、作業がしやすいよう腕を上げたりする以外のなにもしない。


「大層な身分だな」

「ん? まあな。伯爵家の親衛隊長ともなれば、それなりだ」


 意地の悪い笑みを見せて、シヴァンは視線だけをカズヤに向けた。髪を梳かれているので、頭を動かせないのだ。


「彼らは従騎士だよ。正式な騎士になるための修行中で、あれも彼らの仕事なんだ」

「よく知っているな。まだ一人は、従者の身分だが」


 従騎士という言葉は知っていた。しかしすぐ上と下の上司と部下くらいに思っていて、こんな召使いみたいな扱いだとは予想外だ。


「彼らは従っている騎士を、第二の主君くらいに思っているからね。下手なことは言わないほうがいいよ」

「なるほど」


 それでどうもその二人から、殺されそうな視線を向けられるわけだ。

 ここまでの道中に顔を知ったくらいの相手から、どうしてそこまで憎まれるのか。事情が分かっても、理解は出来ない。

 主君という言葉の意味は分かっても、その重みが分からないからだ。

 それでも、マクナスが二人増えたと思えばいいのだろう。そう当たりをつけて、グランの忠告にはなるべく従うことにする。


「それでお前は、どこから来たのだ。ああいや、どこだと聞いてもそれを咎めはせん。興味本位で聞いているだけだ」

「――信じてもらえないと思うが」

「彼はどうも記憶が混乱しているようで、出身が分からないんです」


 信じこそしなかったものの、グランたちは頭ごなしに否定はしなかった。だから隠す必要はないと考えて、正直に話そうとした。

 しかしそれを、グランは遮る。勘違いなどではあり得ない、全くの嘘で。


「混乱?」

「山賊に襲われた時か、その前に事故でも遭ったか。ともかく彼は、自分がどこかへ行くところなのか、家に帰るところなのかも分からないらしいのです」

「なるほど……それで言動がおかしかったのか。ならばそうと順序を持って言えば、そのような扱いはしなかったのだがな」


 順序立てて説明する暇があったか?

 思い返そうとしたが、自分のも他人のも、細かな行動をいちいち覚えているほうではない。


「体格はそれなりなのでな。なにか異国の技術など知っているかと思ったのだ。武芸でも建築でもな」


 謝らないのかよ。

 誤解と知っても謝罪がないなど、人としてどうなのだ。そう感じるのが、いわゆるブーメラン現象に類するなど、カズヤは自覚しない。


「それは記憶が確かでも――難しいかもしれません。怪我をしていたのを差し引いても、咄嗟の判断や動きが、それほどではありません。まるで身体の使い方まで忘れてしまったかのようです」

「そうか、残念だが仕方がない。ではお前たちはどうだ。なにか面白い経験はないか」


 シヴァンはカズヤに興味を失って、グランとマシェの話に耳を傾けた。

 クソッ。

 カズヤの過去をごまかしたのは、そのほうがいいと判断したのだろう。それはいい。

 だが体格の割りに、なにも取り柄がないように言われたのは心外だ。ここまではなにかと巡り合わせが悪くて、思うように出来なかっただけなのに。


◇◇◆◇◇


 いつの間にか、眠っていた。むしろそのまま朝まで眠っていれば良かったのに、どうして目が覚めたのか。

 そうか、焚き火が消えかけているのだ。それで寒気がしたのだろう。

 ぼうっとする頭で考えていると、やはり眠っていたらしいマシェが、ごそごそと動き出した。

 グランに抱きつくようにして寝ていた彼女が、薪を足してくれるらしい。それなら任せて、このままでいよう。

 ぼんやり考えて、彼女を眺めていた。


「あれ――ない」


 独り言が漏れた。どうやら集めた薪はすっかり使ってしまって、細い枝しか残っていないようだ。

 どうするのだろう。興味が湧いてきた。

 マシェはいつも腰の後ろに提げている、ポーチを拾い上げた。眠っていたので、地面に置いてあったのだ。

 さっと持ち上げたそれに、なにが入っているのかと思えば、斧だ。薪を作ろうということなら、おかしな話ではない。

 けれども気になるのは、斧の形状。

 手斧の範疇ではあるのだろうか。立ち木を切り倒したりするような長さではなかった。

 しかし大きい。斧の本体である、斧頭がだ。一見して、中華包丁にも思えた。

 しかしだとすれば、背から刃までの長さが二倍ほどもある。厚みも、いわゆる斧のそれだ。

 それをマシェは片手で振り上げ、軽快に振り下ろす。近くに転がっていた太い枝が、難なく切られ、割られていく。

 その音で、グランとマクナス、シヴァンたちも目を覚ました。この世界の人々は、いったん寝静まってから深夜にまた起きる。だから音は、関係なかったのかもしれない。


「薪を作ってくれているのか。悪いな」

「いえ、すぐですから」


 マシェの手並みに、シヴァンは「見事だ」と感心する。だがカズヤと違って、度肝を抜かれたとまでではない。

 グランとマクナスは、もうなんの感慨もないらしい。既にいい大きさになった薪を組んで、焚き火を大きくしている。


「それで僕たちは、なにをするんでしょう」

「うむ。彼奴の糞を探すのもあるが、もう一つはこれだ」


 身体が冷えたので、みな酒を飲んでいる。もちろんしんみりとしている理由はなく、例によってグランが切り出した。

 それに対してシヴァンは、腰の小袋からなにか小さな物を取り出して見せる。と、無骨な指に摘まれた物体は、焚き火を映して黒や茶の光沢がきらきらと輝く。


「宝石?」

縞玉しまぎょくと言ってな。もっと大きければ、磨いて装飾品になる。これは粒が小さすぎて、磨くうちに崩れてなくなってしまうが」


 雷禍の羽根だけでも儲かると聞いたのに、今度は宝石まで探そうというのか。雷禍はカネのなる木みたいなものだなと、皮肉しか思い浮かばない。


「縞玉がこの辺りで採れるとは、聞いたことがありませんが」

「そうなのだ。しかしそれが、あちらの山にはあった」

「だからそれが、雷禍に関係していると?」

「確証はないがな」


 なんの話だろうか。

 この周囲の土地では見つからないはずの物があって、そこに雷禍が居たから関係があるのではと。それは分かる。

 しかしあんなでたらめな存在が居るのに、そんなちっぽけな宝石の屑が一つあったから、どうだと言うのか。


「あらそれ。見つけたの?」


 女の声。

 マシェではない。同行している中に、マシェ以外の女性は居ない。なにより、その声には聞き覚えがある。


「また会ったわね。偶然ね」


 フランス人形のように、張り付いたまま動くことのない微笑み。

 その表情と言葉は、カズヤに向けられている。すると当然に、隣に居る長身の女性からの、威圧もだ。


「あ、ああ。偶然だ」

「もう痛くないみたいね」


 アルフィとディアは、一行の中央辺りに忽然と現れた。

 私たちは山登りの最中です、その道中でたまたま会ったんです、などは絶対にない。当人たちは、そういう気分だとしか見えないけれども。


「お、おかげさまだ。もうそれほど痛くない」

「良かったわ」

「――知っているのか」


 低く抑えた声で、シヴァンが問うた。カズヤは視線を外せないが、彼もきっとそうだろう。

 うっかり視線を外した次に自分が生きているのか、絶望的な不安があった。問われたことに答えられるのが、不思議なくらいだ。


「山賊から助けてくれたのは、あの二人だ」

「……そうか」


 アルフィたちの出現に気付いたのは、カズヤやシヴァンたちだけではない。少なくとも両隣で別の焚き火を囲んでいる者たちは、直接に見ているはずだ。


「うう……」


 その中の一人が、震えた呻きをこぼし始めた。恐怖に耐えきれなくなったらしい。

 それはすぐに絶叫へと変わり、アルフィへ向けて駆け出した。


「うあああああ!」


 剣を振り上げ、怖れを忘れるための叫び。それがそのまま、その男の断末魔となった。

 ディアが空いている左手を向けて、あっちへいけというように手を払う。それだけで、男は八つ裂きになった。

 互いの距離は、飛散する血が届く気配もないほどであったのに。


「そういうの、嫌いだわ」


 アルフィは拗ねたように頬を膨らませ、そのまま姿を消した。残ったディアは、あるじの居た場所に向けて深く腰を折る。そのまま地面へ、口付けするかのように。


「コルディス家がメイド、ディアヴィール。お嬢さまの命により、あなたがたに災いを与えます」


 その顔に感情は見えなかった。そういう造形の仮面であるかのようで、それが動くのが不気味だった。

 彼女は左手の指を一度、ぱちりと鳴らす。

 それだけでディアもまた、姿を消した。物の影に溶け込む、人影のように。


「なにを……」


 災いなどと言ったのに、なにもしなかったではないか。誰もがそう思っただろう。けれど誰もが、それ以上にはなにも言えず、唾を飲んだ。

 その沈黙を破るのは。次にだれが、なにが起きるのか。心臓の音が高まる中、土砂を巻き上げる音があちこちで鳴る。


「なんだ⁉」

「こっ、こいつら!」


 動揺の声があちこちで聞こえる。対してグランたち三人とシヴァンは、静かに武器を構えた。

 いまや一行は、囲まれていた。地中から現れた、人の姿をした人でない物に。

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