第18話:悪魔の所業

「うるさい奴らだ……」

「うむ。その辺り、訓練しておくとしよう。生き残った者にはな」


 ひい、うわあ、と。引きつった焦りの声が、やまない。マクナスはそれに舌打ちをし、シヴァンも恥じた。

 だがこれを見て、落ち着いていられるほうがおかしいのだ。カズヤはそう思う。

 出現した相手の姿は、一様でない。概ね人のような姿というだけで、腕や脚の数が三本、四本ある者も居る。

 頭――であるかも怪しいが、その位置にある物も複数。口と思しき孔から、眼球の迫り出す者。眼窩のはずの場所から、小さな腕が束ねて何本も生えた者。

 そんな相手が、四十、五十も居るだろうか。


「ここここっちには、かかかわっ、かわっ、た、生き物が、居るも――居るもんだな!」


 怖れてなどいない。こんなのは、ホラーゲームで見飽きたくらいだ。いくらそう思い込もうとしても、顎と膝の震えが止まらない。

 がくがくと、視界を揺れさせるほどに。

 その視界が、ぱんと乾いた音と共に向きを変えた。いよいよ首まで、言うことを聞かなくなったらしい。

 そう思ったのは、勘違いだ。

 元に向き直るのはすぐに出来たし、するとそこにマシェが居た。カズヤの頬を張ったらしい手が、まだ宙にあった。


「な……なに」

「しっかりしましたか? これ、兄さんのです」


 差し出された手に、抜き身の刃物がある。その手も腕も、怯えた様子はない。

 真剣な顔には、カズヤをバカにする気持ちも、期待する気持ちも見えなかった。


「カズヤ、武器は使えるかい」

「剣なら、たぶん」

「予備はそれしかない。なんとかしてくれ」


 グランは手近な一体を切りつけ、蹴倒していた。カズヤの目にも、それが体重の乗った容赦のないものと分かる。

 対話する余地はない。素より言葉も通じない。不気味な唸りを発して、掴みかかろうとする者たち。

 倒すしか、ない。

 覚悟を決めて、自身の片腕ほどの長さの短剣を受け取った。震えはまだ、治まらない。

 カズヤに構わず、マシェは手斧を構え直す。日本であれば、高校生の女の子。見ている間にも、グランのほうへと駆け寄りつつ一体を薙ぎ倒した。


「本当に使えるのか?」

「つ、使えるさ」


 ひと振りで相手を真っ二つにして、マクナスが問う。

 またこんな時にまで、人を貶したいのか。見れば一つひとつの動きが大きく、あれではすぐに疲労してしまう。

 するなら自分の心配をしろ。

 そう思うものの、さすがに俺もだと気を引き締めた。

 カズヤの父は、田舎の町で剣道の道場を開いている。そこもカズヤに言わせれば、村としか見えない辺鄙な土地だ。

 おかげでと言うべきか、自身の気持ちとしては、面倒なことに。カズヤも二段の資格を持っている。

 昇段には小太刀の扱いもあって、なにも知らない素人よりはましだと自負があった。

 最後に竹刀を握ってから、いくらかの間が空いている。だがそれくらいは、どうにかなるはずだ。相手の動きは、普通の人間と変わるものではない。

 ――よし、こいつだ。

 一行と、現れた化け物たちの数は同程度。既に何体かが倒されての話だが。

 マクナスやシヴァンが、同時に複数を相手にしているために、カズヤを狙っている相手は居ない。

 選び放題という中、マクナスの死角から迫ろうとする一体に襲いかかった。

 背格好こそ人に近いが、色は黒に近い茶。筋肉の隆起が目立つ四肢も併せて、虫を潰すみたいなものだ。

 そう思い込むことにした。


「ああぁぁぁっ!」


 相手の背中から、間違いなく首すじを切りつけた。しかし血が出ない。代わりに出たのは、悲痛な叫び。

 悪いことに、そいつの顔は普通の人間と思えた。それが痛みに歪んで、悲しみと憎しみの混ざった目を、カズヤに向ける。

 ざっ、と音を立てて、向かってくる。

 ざっ、と音を立てて、後退った。


「う――こいつら、人間じゃないのか」

「カズヤ! 怯めば死ぬぞ!」


 グランとマシェは、いつの間にか離れたところに居た。それでもちらちらとこちらを窺い、今も声を飛ばした。


「分かってる!」


 治まりかけた震えが、ぶり返す。寒さにかじかんだように指が震え、関節の動かし方を忘れてしまったように、腕も脚も思うように動かない。

 いやさ、どう動くかも思いつかない。

 短剣を落とさないようにするのが、精一杯だ。勝手に抜け出そうとするそれを、何度も、何度も握り直す。


「うああああっ!」


 両腕と呼ぶには、そいつの腕は三本あった。それが順番に、叫び声と合わせて襲ってくる。

 時に二本が、あるいは三本が、一度に来ることも。

 カズヤは短剣を振るうことも出来ず、刃を押し当てるように耐えるだけだ。相手がもう少し知恵のある者であれば、既に命は奪われていただろう。


「があっ!」


 演技をしたことのない者に、いきなり怪獣役をやれと。それで発せられた鳴き声のような、感情を失った叫び。

 そいつは急に、視界から消えた。

 入れ替わりに見えたのは、マクナス。低くした姿勢から立ち上がって、大剣を突き下ろす。

 どうやらカズヤの相手に足払いをかけ、一撃でとどめを刺したようだ。


「足手まといだ。そこでじっとしてろ」

「あ……」


 反論したかったのか、他のなにを言いたかったのか、自分でも分からない。だがどうであれ、マクナスは取り合わない。

 カズヤを中心として、三角形を描くように。切って、蹴り飛ばし、叩き潰して、領地を広げていく。

 ずっと彼は、カズヤを守ってくれていたのだ。

 ……俺は、役に立たない。

 カズヤは人生で初めて、自分の正確な価値を認めた。


◇◇◆◇◇


 化け物たちの生命力は、尋常でなかった。心臓に当たる場所を貫いても、それだけで動きを止めることはなかった。

 これでもか、これでもかと、何度も致命傷になるはずの損傷を与えて、ようやく止まる。

 全ての相手が動きをやめるまで、一時間以上が経っていた。


「ようやくだね、お疲れさま」


 グランが肩を叩いて、にこりと笑った。カズヤは顔を引きつらせただけで、笑顔どころか、今の表情がどんなかも分からない。

 積み重なった肉塊へと変貌した、最初に殺された兵士。

 四肢を切り離され、やはり普通の人間の死体としか見えない化け物たちの躯。

 死んでこそいないものの、重傷を負った兵士も居る。

 カズヤの人生に、血や死体に慣れる機会などなかった。近しい人物の葬式に、参列した経験さえもだ。

 最初にあの兵士が怯えて、思わずアルフィへ飛びかかってしまった気持ちは、よく分かった。

 彼女の話を向けた相手が、カズヤでなかったら。答えを返さねば死ぬと、そちらに気を割いていなかったら。

 先に動いてしまったのは、カズヤだったに違いない。その兵士のおかげで、動かずにいられただけだ。

 それから無傷で居られたのも、マクナスのおかげであり、勇敢に戦った騎士や兵士たちのおかげだ。

 自分はどの面提げてここに居ればいいのか、恥ずかしかった。


「よく出来ましたぁ」


 全員の息も整わぬ頭上で、声がした。見上げても、焚き火の灯りが届く中には枝葉しか見えない。


「どこを見ているの?」


 今度は目の前。首を戻すと、アルフィとディアはカズヤに対面していた。


「貴様ら、何者だ。コルディスなどという家は、この近辺にない。貴族を騙るは重罪ぞ」


 彼女らの背中に、シヴァンの剣先が向けられる。

 まだこちらを向いている二人に、それは見えないはずだ。しかしアルフィは、先ほどと同じく頬を膨らませる。


「だからぁ。そういうのは嫌いと言ってるでしょう?」


 アルフィが振り返ると、歯車で同調してでもいるように、ディアも振り返る。

 また彼女の指先が、ついと僅かに跳ねた。奇術のネタでも仕込んであったのか、シヴァンの剣は半ばで折れ、刃が地面に突き刺さる。


「でも教えてあげる。ディア」

「畏まりました」


 受け答えると、主人はその場で胸を張り、従者は半歩横に出て跪く。


「魔界を支配する五大家ごたいかは、コルディス家。その跡取り筆頭、アルフィお嬢さまにございます」

「魔界……? 魔界と言ったか。貴様らが、悪魔だと言うのか!」


 シヴァンは吼える。それが実際に疑いなのか、威嚇なのかは知れない。

 ただ、カズヤには信じられた。カズヤには、信じるに足る、根拠があった。


「あなたは信じてくれるでしょう?」


 アルフィは、首だけをぐるんと回して笑う。その真っ赤な唇が、カズヤの思っているままを言った。


使が居れば、悪魔も居るものね」

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