第12話:決死の偵察

「おっ、畏れながら。シヴァンさま」

「どうした」


 急に恭しく。おどおどと慣れない動作で、ぎこちないながらも、レットは片膝を突いた。


「おいら、死ぬのは嫌なんです。だ、だから。貴重な情報を言うから、他の奴に行かせてください」

「情報?」


 なにを言い出すのか。

 カズヤはともかく、レットが命じられたのはたまたまだろう。しかしそれで難を逃れたと思った他の町民は、そんな発言を好意的には受け取れまい。

 多くの者はレットを睨めつけたが、彼の目はシヴァンだけを見ている。

 そのシヴァンはと言えば、突然の申し出にも関わらず、驚いた様子はない。


「この男」


 いまだレットの手に握られている、カズヤを繋ぐロープ。それが少し引かれて、上体を揺らされた。


「ゆうべ、柵から逃がした町民を、聞き出しました」

「な……お前!」

「ほう。聞こうか」

「狩人をしている、ジュネという男です。本当です」


 親切にしたのは、このためだったのか。そうと察して、カズヤは怒る。

 しかし、どうすることも出来ない。少し声を上げただけで、シヴァンにじろりと睨んで制された。次になにか言えば、実力行使があるだろう。

 レットもカズヤに、振り返ろうとしない。


「そうか。よく聞き出したな」

「ありがとうございます」


 聞こえていたはずだが、シヴァンは伯爵に、もう一度同じことを報告する。伯爵はそれに頷いて、「町に戻った後のことだ」と言った。


「あ、あの。望みは聞いてもらえますか?」

「んん? ああ、誰かを代わりにか。その必要はない。素よりお前を行かせる心づもりはなかった」

「えぇ? それはどういう……」


 確約がなかったので、不安になったのだろう。レットは念を押した。けれどもその答えは意外なものだ。

 行かなくて良いとは希望通りだが、最初からそんな予定はなかったとなると、話が違う。


「お前たちだけを行かせて、へまをされては、ここに居る全員が危ういからな」

「ではどうして――」

「ラチルは総じて臆病だ。すまんが、利用させてもらった」


 カズヤを助けたのが誰かを、わざわざ町民の前で問うた。そこでカズヤのロープを握らせれば、一定の責任が生じる。移動するのも一蓮托生だ。

 そうなると、いよいよという時のために、小細工をしたくもなるだろう。

 それらを最初から、シヴァンは計算していたと言った。


「そんな! それじゃあおいら……」

「大きな声を出すなっ」


 低い一喝に、誰もが息を呑む。揃って穴の奥を伺うが、幸いになんの変化もない。


「お前は来てもらう。枷は外すが、妙な真似をするなよ。諸共に死ぬぞ」


 これまで通り、いつもの口調でシヴァンが告げた。威圧しているという風でもないのに、押しが強く、否と言う気が損なわれる。

 どうせなにを言っても、変更はないだろう。自分が弱者だと示すかのようで、文句を言うことは出来ない。

 せめてもの抵抗に、カズヤはひとつ、舌打ちをした。


「ではな、シヴァン。無理をするなよ」

「はっ。お任せを」


 伯爵はこの場に残り、シヴァンは二人の騎士を連れて行くらしい。カズヤを入れれば四人だ。

 彼らは剣帯を外して、仲間に預ける。歩くだけで音のするのを、避けるためだ。さらには火打ちで手早く火を熾して、松明も用意した。

 カズヤはネットにある、ブッシュクラフトやキャンプの動画を見ることも好きだった。そこでは科学的に理屈の通った、ファイヤースターターがよく登場する。

 慣れない者では、いくら時間をかけても火が点かなかったりするものだ。しかしそれよりも劣るはずの単なる火打ちで、騎士たちはすぐに、ほくちに火を点けた。


「どうした、火が珍しいのか?」

「あ、いや。別に」

「ふん。行くぞ」


 魔法のような手際に驚いて、カズヤは燃え上がった松明を見つめていた。シヴァンはそれをからかったが、意に介した風はない。

 ふと、日が既に地平と近いのが見えた。一日の時間は、カズヤの感覚にも違和感がない。多少違うことはあっても、何時間もではないだろう。

 すると日没までは、二時間もないくらいだ。

 考えている間にもカズヤは手枷を外されて、ただし腰にはロープが繋ぎ直された。そもそも、木々もなにもないこんな場所では、逃げるのも叶わない。

 渋々と、先に横穴へ入ったシヴァンのあとを追う。


「なにをしに行くのかくらい、教えてくれてもいいんじゃないのか。知らずに下手なことをしても、俺のせいじゃないぞ」


 いくらか蛇行するものの、その穴は概ね真っ直ぐ伸びていた。一行は足音に気を遣いつつも、先を急ぐ。

 しかし入り口からの光が届かなくなって、闇が深くなるに連れ、カズヤの心に占める感情の勢力が変化していった。


「口の減らん奴だ。怖れているなら、そういう態度をしろ」

「そんなことは――」


 そんなことはあった。松明の光が届くのは、ほんのすぐ先までだ。日本では無料で貰えるようなグッズに付いている、LEDライトよりも心許ない。

 見えていない闇の先は、今歩いているのと同じ穴の続きなのか。もうすぐそこが、無限に広がる闇の空間なのではないか。

 そこから今にも、あの光の束が押し寄せて来るのでは……。

 そんな妄想が次から次へと勝手に浮かび、カズヤの脚を震わせた。


「まあ、教えてやる。とりあえずは、雷禍が居るかどうかだ。それを知らんことには、どうにもならん」

「ふん――」


 シヴァンは言葉にも表情にも、バカにした態度を見せない。それがまたカズヤの気持ちを逆撫でして、盾突きたくさせる。

 あれが居るかどうかって。そんなのは、当たり前じゃないか。なんだかんだ、教えない気だな。

 敵が居るかも分からずに、戦争の準備をする。そんな指揮官が居れば、愚かと評するしかない。

 その理屈はカズヤにも分かっていたが、心中にシヴァンという敵を抱え、悪態を吐かずにはいられなかった。

 そうしなければ、不安が心を潰しそうだった。


「ここまでの情報では、奴は夜に動く。昼間は眠っているから、今はまだ問題ないはずだ」

「もうすぐ日が暮れそうだったぞ……」

「だから急いでいる」


 三十分ほども進んだだろうか。風の音がした。四人は同時に反応して、三人までは腰のナイフに手をかけた。残る一人は、ただ身を固くする。

 その音は、しばらく鳴り続けた後に止んだ。どうやら羽音でなく、自然の風の音らしい。


「広い空間があるな」

「シヴァンさま。私が」

「頼む」


 カズヤのロープを握った騎士が、申し出た。嫌な予感がしたが、やはりそのようだ。

 その騎士はロープを握ったまま、前に出る。すると当然、カズヤも行かなければならない。

 勘弁しろと、声を出すのも憚られた。シヴァンが言う通りに広い場所があるのなら、そこへ雷禍が居る可能性は高い。

 もう一人の騎士とシヴァンは、静かに十歩ほどをさがった。逃げるつもりかと、カズヤは振り向く。

 しかし二人はそこで止まって、こちらの動くのを待っている。

 光も心細くなった中、カズヤを連れた騎士は動かなかった。なにをしているのかと覗くと、目を閉じている。

 呼吸も抑えているかのように、静かに。

 ――音を聞いているのか?

 二、三分ほどすると、騎士は目を開けた。おもむろに歩き出して、一歩ごと、音を立てないよう細心の注意を払っている。

 なるほど、闇に目を慣らしていたのだ。カズヤは手探りでやっとのところを、騎士は慎重ながらもしっかりと足を進める。


「――なるべく息もするな。なるべくでいい」


 風の囁きにも負けそうな小声だ。闇の中にぎらと白い眼が、真剣さを物語る。カズヤも思わず、首肯した。

 右の足を出し、右の手で岩を掴む。左の脚を出し、左の手で地面を擦る。

 二人は壁際を、ゆっくり、ゆっくりと進む。互いの足音もほとんど聞こえない。行く先で巻く風が、気紛れに大小の鳴き声を発する。

 ぴしゃ、と。手を置いた場所に、水の感触がする。

 どうして濡れてるんだ。上から雫でも、落ちているのか。

 見上げたところで、なにも見えない。そっと指を舐めてみると、しょっぱい。岩が濡れているのかと思えば、自身のかいた大量の汗だ。

 額もびしょびしょだと気付いて、手の甲で拭う。自分の身体が、全身が、酷く震えているのにも気付いた。


「……待て」


 前を進む騎士が、足を止めた。

 だるまさんが転んだ。とでも言われたように、カズヤはその瞬間の格好で静止する。

 どうにか首だけは動かして、騎士の様子を窺った。

 あちらも首だけを動かして、上下左右を見回しているらしい。


「お前も見てみてくれ」


 ため息が聞こえたように思う。先の言葉より、声を出すのに遠慮もなくなった。

 もしかしてとは思いつつ、カズヤは慎重に騎士の隣へ進み出る。


「ああ……」


 そこには広い空洞があった。きっと羽を広げて、ぐるりと回るくらいなら出来るだろう。

 しかしそこには、空洞しかなかった。そこに眠る、巨大な体躯は見当たらない。


「私の見間違いではないな」

「なにも居ない。間違いない」


 騎士はもう一度、深くため息を吐く。それが落胆なのか、安堵なのかは計り知れない。

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