第11話:山を登る

 雷禍が通った側にある、町の外壁。元々それほどに堅固な造りではないようだが、見る限り全て崩れていた。

 その先の土地には背の低い草が一面に広がり、筆で殴り書きしたような焦げ跡が無数に付いている。

 もしもそんな筆があったとしたら、その太さはカズヤが両腕を回しても届かないだろうが。

 それは雷禍の通った道筋を、そのまま一本の線として残している。どうやら一行は、それを辿って歩くらしい。しかも昨夜、雷禍の去った方向へ。


「まさか、あの化け物を探しに行くとか言うんじゃないだろうな――」

「そのまさかだよ」


 隣を歩くレットが答えた。実際に彼が喋ったままでないのはあるにしても、他の人間が話すのと差異を感じない。


「探してどうするんだ。みんな死にたがりなのか?」

「おいらもそう思う。でも伯爵さまには、なにか考えがあるみたいだぜ」


 あんなものとは、二度と出遭いたくない。それがカズヤの率直な感想だ。

 打ち上げ花火を見上げるのでなく、真横から見ると綺麗らしいが、火の粉のかかる真下で見たい者は居ないだろう。

 あれは冷静に考えれば爆弾みたいな物であって、一定の距離があるから、美しいなどと言っていられるのだ。

 花火ならば職人が安全に気を配っているが、雷禍はそんなことを構わない。いつ、どう動くのか予測がつかない。振り撒く破壊も、桁が違う。

 ――それから黙々と、一行は進んだ。

 カズヤにしてみれば、せっかく昨日歩いた道を逆戻りになる。

 しかも雷禍の芝刈りは、仕事が雑だ。雑草はいくらも生き残っているし、倒れた木々は完全に炭化した物と、表面が焦げただけの物と入り混じる。

 一歩ごとに、踏み抜くのか乗り越すのか判断が必要になって、それだけでも体力が消耗していった。


「ここで休憩とする!」


 太陽が真上に届く少し前に、ようやくその声がかかる。昼食もとろうと、カズヤには馴染みのある慣習も言葉にされた。

 騎士の一人がいくつかの袋を町人の一人に渡して、その中身が町人全員に配られる。

 それぞれ適当にそこらへ座って、レットとカズヤも同じく座った。彼の受け取った物を見ると、伯爵が食べていたのと同じようなパンに、干し肉らしい。

 やたら大きくて分厚いが、コンビニで売っているジャーキーと似ている。うまそうだった。

 しかしカズヤの割り当てはない。伯爵の満足する回答では、なかったからだろうか。辻褄は合っているのだから、嘘と決めつけるなよと、離れた伯爵を睨みつけた。


「これ、うまいんだ。うちの町で作ってるやつなんだぜ」

「へえ……」


 証明するように、レットはひと口目を頬張って、うまそうに咀嚼する。疲労のために空腹はよく分からないが、見せつけてくれるじゃないかと癇に障った。

 それにあの町で作っている物を伯爵が配ったのなら、きっと町長が献上したものなのだろう。それをまた受け取ってありがたがるなど、カズヤには到底理解が出来ない。


「おい――」

「ん?」


 こそこそとした声。他の者に見えないよう、地面すれすれにレットの手が伸びていた。そこには、拳大の干し肉がある。


「くれるのか」

「あいつとは親友なんだ」

「あいつ?」


 聞き返すと、レットは答えず、伯爵のほうに苦い視線を送った。どうもジュネが逃がしてくれたのを、知っているようだ。


「ジュネのことか」

「名前を出すなよ。いいから受け取れ」


 どうやら内緒でくれるらしい。ようやく意図を解して、素知らぬ風に受け取った。


「これもだ」


 今度はパン。これも受け取って、あぐらをかいた股の間に隠す。

 受け取ってすぐに渡したのでは、他の者もまだ注意をこちらへ向けているかもしれない。だから最初は、そんな素振りを見せなかったのだ。


「いま一度に食べてると、ばれるからな。隠しておいて、少しずつ食べろ」

「――悪いな」

「いいんだよ。おいら、こんなに食えない」


 自身の早合点に苛とする気持ちが、素直に礼を言うのを阻害した。食べ物を出したのが、ネズミに似た生き物だから、というのもあったかもしれない。冷えた態度になってしまう。

 アドバイスに従ったわけでなく、そのせいでこの場では食べなかった。捨てるのもどうかと思って、ズボンの腰に挟んでおく。

 休憩は、三十分ほども続いた。出発するから用意しろと指示があって、全員が示し合わせたように、伸びをしつつ立ち上がる。

 騎士たちは乗ってきた動物を、立ち木に繋ぐ。どうやらここからは、彼らも徒歩で行くらしい。


「エコ――だったか。置いていくんだな」

「そうみたいだな。傾斜もきつくなってきたし、残った藪も深いしな」


 それがエコと呼ばれる生き物であることは、ゆうべ教わった。この世界の動物は三つに区別されていて、積極的に人を襲うことのない、野獣やじゅうの中の一種だと。

 反対に人を襲うものは、グランが狩ることのある、魔獣と呼ばれるらしい。


「それでは、出発!」


 またシヴァンの指示が飛んだ。エコのお守りのために、騎士が二人残されるらしい。見送る彼らを横目に、カズヤも嫌々ながら足を進める。

 と。その騎士の手に、なにやら握られている。どうも鳥の羽根らしいが、やたらに大きい。

 先端の丸まった、ふわっとした感じのそれは、持っている騎士の腰を覆ってしまいそうだ。


「雷禍の羽根だよ」

「やっぱりそうなのか、でかいな――」

「あれは小さいやつだ。大きなのは、おいらがすっぽり隠れられる」


 カズヤの視線に気付いた様子のレットが、教えてくれた。

 けれどもそれほどの大きさの羽根とは、それを生やす本体はどれほどの巨体なのか。

 ゆうべの記憶では眩しすぎて、速度も速すぎて、どこからどこまでが身体なのかよく分からない。


「さっきの羽根でも、たぶん金貨でないと買えない。大きなやつは模様も綺麗だから、相当な金額になるぜ」

「それを拾うのが目的なのか……」

「それはあるだろうな」


 金銭価値については、まだ聞いていなかった。だが金貨でないと、という言いかたからすると、かなりの高額なのだろう。それとは段違いに高いとなると、例えば宝石や自動車を買うような金額だろうか。

 それが山登りをするだけで拾えるなら、たしかに魅力的だ。が、その先に待っているのがアレでは、とても割りに合わない。

 いや、そんなに大きな羽根であれば、何枚もあった場合に持ち帰るのが難しいのではないか。そのために町民を連れてきたのかもしれない。

 ならば雷禍に遭う前に、拾うだけ拾って帰ろうということだ。それならまだいい。そうであってくれと、カズヤは願う。

 しかしその願いは、それほどの間を置かずに破られた。その大きな羽根が見つかったのだ。


「おお……これはまた美しいな」

「左様に思います」


 見つけた町民が二人がかりで掲げるのを見て、伯爵は嘆息する。

 それにはカズヤも同感だ。まるでペルシャ絨毯のように繊細な模様が、内から広がる。長い毛足は水中にあるように、ゆらゆらと揺れた。まあカズヤは、本物のペルシャ絨毯など、見たことがないけれども。

 これで一人か二人は帰されるのだろうとカズヤは期待したが、そうはならなかった。シヴァンは羽根を木の上のほうに括り付けさせて、目印も置くように指示したのだ。


「どういうことだよ。羽根が目的じゃないのか」

「おいらに聞かれても知らないよ。人数が要るからとしか聞いてないんだ」


 首を捻りつつ、これはエコでは難しかろうという藪や倒木。あるいはその残骸を、避けたり越えたりして登る。もう身体の痛みは、打撲のせいなのか筋肉痛なのか、区別がつかない。

 やがて、草木がなくなった。高度によるものか、他の理由なのかは分からない。黒に近い色の土だけが、じゃりじゃりと音を立てる。


「全員停止」


 これまで、指示は高らかに発していたシヴァンが、低く抑えて言った。続けて、密集するようにとも。


「まだ身を潜めているかは分からん。しかし、居るものとして行動せよ。あの巨体を隠せるだけのなにかを見つけたら、報告するように」


 指示を受けた全員が、大きく頷いて答える。やはり主な目的は羽根でなく、本体にあるらしい。

 伯爵とシヴァン以外の四人の騎士が、それぞれ町民を数人ずつ連れて散らばっていく。カズヤとレットは、伯爵に連れられた。


「なんだ? 巣穴を見つけて、卵でも盗もうっていうのか」

「卵は知らないけど、もしかしたら襲って倒そうとでも言うのかもしれないぜ。あれを殺せば、評判が上がるどころじゃないから」

「殺す? 死ぬのか、あれ」


 なんとなくカズヤの頭の中では、生き物といえども不死のように思えていた。肉体の寿命はともかく、人間が多少のなにかをしたところで、傷を付けられるとも思えない。


「もたもたしないで探せ」


 シヴァンに急かされて、カズヤも足を動かす。「めんどくせーな」と漏らしたが、人生で最高に面倒な仕事かもしれない。

 探す範囲はかなりのものだったが、探す対象も大きい。だからそれほどの時間を置かず、一人の騎士が伯爵を呼びに戻った。

 大まかな位置を説明したその騎士を、伯爵はそのまま、他の騎士たちを呼び集めに行かせる。

 足下の悪い中、伯爵は急ぎたいのを耐えている風だった。走ればそれなりに音が響き、転ぶ危険性も相当に高い。

 町民やカズヤは気の進まぬ足を、騎士たちは期待を込めた足を。見るからに異なる足取りが、一つの場所に集まっていく。


「ここか――」

「この穴ならば、彼奴きゃつが潜むのにも十分ですな」


 斜面に空いた横穴。山の中心に向けて、少し下っている。奥は深く真っ暗で、どこまで続いているのか、もしくはすぐその先に雷禍が居るのか、見通すことは難しい。

 入り口は、象が二頭並んでも通れそうだ。大きくはあるが、シヴァンが言うほどに十分とも思えない。

 吹き抜ける風が低い唸りを上げ、これこそが異世界に通じる穴に相応しいのでは、とカズヤには思えた。


「よし、始めよ」

「畏まりました」


 なにを始めるのか。まさかこんな大きな穴に水を流し込んで、溺れさせようと言うのではあるまい。

 シヴァンはなにを思ったか、カズヤの前に立つ。


「お前たち二人で、中を探ってこい」

「……はあ?」


 人生で最高に面倒な行為が、こうもすぐに更新されるとは思わなかった。

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