第10話:再びの拘束
「どうして、俺は――また走って!」
この世界の生き物のこと。近隣の町や、国のこと。カズヤがそれらを全く知らないのは、この世界の住人でないからということ。
互いに情報を交換したのは、つい先ほどだ。
グランたちが異世界の話を信じたのか、それは分からない。話し終わって「どうだろう」と聞くタイミングで、小屋の壁がノックされたからだ。
聞けばマクナスが、外で見張りをしているとのことだった。ジュネがカズヤを逃がしたのを、誰かが目にしていてもおかしくない。
それを知れば、伯爵が放っておくはずはなかった。
「俺がなにをしたって言うんだ――」
ジュネと二人、逃げたほうがいいと勧められた。雷禍が町を逸れたのは運が良かった以外のなんでもなく、そうなった時に柵に居れば、カズヤの命はなかっただろう。
しかしそんな事情は、伯爵に関係ない。閉じ込めておけと指示したものを、勝手に逃がした事実だけが問題だと。
だから共に逃げ出したのだが、夜の闇の中、茂みに潜みつつ移動するうちにはぐれてしまった。
「居たぞ、あそこだ!」
もうどちらが町だったのかも分からない。そんな不案内加減で、逃げきるのは不可能だ。姿を見つけられてすぐ、抵抗も出来ずに捕まった。すぐに町へと連れ戻される。
短く折った枝を組み合わせた物を添え木のように使って、両手首と両足首をそれぞれ拘束された。
移動するなら芋虫のように這うしかないその格好で、元通りに柵の中へ蹴り込まれてしまった。
◇◇◆◇◇
山中でこそないものの、山と山との間にある町の朝は寒い。空が明るくなり始める前には目が覚めてしまって、枯れ草を掻き集めて潜り込む。
風が直に当たらないのはいいが、やはりそれでも寒い。そのまま眠ることも出来ず、太陽の姿を拝むことになった。
「出ろ」
日本は真夏だったが、ここはどうなのだろう。感覚的には晩秋の気温と思えるけれど、それにしては日が長い。もちろんそれらの気候が、あちらと同じとは限らないが。
ともあれ、今日も太陽は丸いと視認出来てすぐくらいに、カズヤは呼ばれた。
広場の地面に両膝を突かされ、首の後ろを押さえ付けられる。初日の痛みは幾分引いているものの、力のかかり具合が変わる度に、呻き声をあげてしまう。
「よくも逃げ出せたものだ。手引きした者が居るな?」
しばらくして姿を見せた伯爵は、カズヤの正面に座って聞いた。
よく寝たって顔をしやがって。随分と顔色もいいじゃねえか、バカ野郎が。
その毒を吐かないくらいの知恵は、カズヤにも回る。強がったところで、こいつらはどうとも思わない。それなら黙っていればいいと考えた。
伯爵はそのようなこともお見通しだと言うように、朝食を持ってこさせて、そこで食べ始める。
昨日カズヤが食べた物よりは、いくらか柔らかそうなパン。ほのかにアルコールと甘い香りのする飲み物。
それらを見せつけてくる。
「食いたいか? 話せばくれてやる。話さないなら、なしだ。話す気になるまでな」
朝食だけでなく、いつまで経とうと、食事をさせるつもりはないらしい。
ジュネのことを話せば、少なくともそのパンはくれるのだろう。
正直に言えば、たった今はそれほど食べたいと思わない。ゆうべの酒盛りで、肉を大いに食べたからだ。しかし今を逃せば、ずっと食べられなくなる。
重要な選択と言えるだろう。このまま捕まったままでいたいとは、当然に考えない。けれども昨夜のような機会が、何度も訪れるとも思えない。
それならば、食事の権利くらいは獲得しておいたほうが利口だ。
「話すもなにも、俺は自分で逃げたんだ」
「自分で? 誰も手伝っていないと言うのか」
「そうだ。あんたが誰のことを言えと言ってるのかも、意味が分からない」
こんなむかつく奴の機嫌を取るなんて、まっぴらだ。それが、ここでカズヤの出した結論だった。
気持ちの中に、ジュネの姿はある。しかし、それとこれとは全く別だ。彼がなにをしてくれたとか、庇わなければ彼がどうなるかとか、そんなことは関係がない。
「ほう? お前が柵越しに話しているのを見た、という証言もあるぞ」
「はあ? なにかの見間違いだろ。近くにあった火を、蹴倒していった奴がいてな。俺はそれを拾って、ロープを焼き切ったんだ」
「なに?」
柵越しに話していたのが誰なのか、分かっているならカズヤに問う必要はない。分からないからこそ、伯爵は聞いているのだ。
しかしカズヤは、そんなことにも気付いていない。伯爵の言い分を受け入れるのが、我慢ならないだけだった。
それでついでに、篝火を蹴倒していった男のことも腹いせに持ち出した。
伯爵はそれを「調べてこい」と、一人の騎士に命じる。どう調べるのかと思えば、その騎士はすぐに戻ってきた。
「たしかに鉄籠が倒され、柵の中に薪が散らばっております」
「そうか――町長」
伯爵の横手に、町長とその他に二十人ほどの男たちが列を作っていた。
いずれも誰が手助けしたのか胃を痛めている表情だったが、いよいよかと観念したように、町長は伯爵の傍へ寄る。
「我らはこれより、山に登る。数日中には帰るだろう。それまでに、篝火を倒した者を見つけておけ」
「しかと、そのように」
伯爵の訪れた機会に、なにか援助でもしてもらえるかと期待していたのだろう。すっかりそれも外れて、町長は言葉少なに口を閉じた。
恨めしげに視線が送られるものの、カズヤは意に介さない。俺が直接なにをしたのでもないのに、知ったことかと。そう思うだけだ。
伯爵がどこかへ行くと言うなら、またあの柵に戻される。それならまた逃げ出す好機はある、とも思えた。
しかし騎士は、カズヤを押さえつけたまま動かない。
「ただちに出発する。シヴァン、指揮を」
「畏まりました」
言った伯爵は、例の馬のような生き物に跨る。言葉通り、すぐにどこかへ行くらしい。シヴァンも、「騎乗!」と号令をかける。
それでもカズヤを押さえている騎士だけは動かず、代わりに町民たちが数人、集まってきた。
「え? なんだよ」
戸惑うカズヤの問いに、答える者は居ない。黙々と足の拘束が外された。
「逃がすなよ」
手首の拘束に繋がれたロープが、一人の町人に渡される。その男の顔は、カズヤにはネズミかなにかに見える。ゆうべ見かけた、レットだ。
「よし――前進!」
騎士たちが「おう」と答えて、シヴァンを含む四人が進み始める。その後ろに伯爵。さらにはカズヤと、その場に集まっていた町民たち。そしてまた騎士。
隊列を組んで、町の外へと向かっていった。
どこへ、なにをしに、どうして自分までが。カズヤには、分からない。それでも歩かなければ、引きずられてしまう。
その背中を、一人残った町長が陰鬱な表情で見つめていた。
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