第9話:互いのこと

「ひと月ほども前のことだよ。川向こうの村がなくなった」

「村がなくなる?」

「形の残ってる物なんか、なかったからね。運良く逃げられた人が何人か、この町に居るだけだよ」


 雷禍の去ったあと、二人はしばらく動けなかった。夜の闇を見つめているはずなのに、どこを向いても瑠璃色に光が残る。

 それがようやく落ちついてくると、あちこちに火の手が見えた。雷の熱で、草木が燃えたのだ。

 町に近いほうから、住民が消火を始めているのも見えた。「手伝わなきゃ」とジュネは言ったが、カズヤを一人で置いておくのもどうかと残っていた。


「それも雷禍がやったのか」

「逃げてきた人が言ったからね。聞いてたのと、そっくりそのままだったよ」


 何百、何千という数の雷の中に、滑空する鳥のような姿も見えた。眩しすぎて、細かな造形は分からなかったが、スリムな胴体に広い翼があった。

 その姿を、ジュネも思い出したのだろうか。ぶるぶるっと、身体を震わせる。

 なにを話せばいいのか、見失った。あんなもの、怖れたりはしないと強がりたかった。けれどもそう思い込もうとするほどに、空虚な感情ばかりが膨らんだ。

 カズヤをそうさせているのが、いまだすぐそこに居るかのように、鮮烈な恐怖を与え続ける雷禍であると認識させられるだけだった。

 消火はまだ続いているはずだが、辺りは静かだ。それはもちろん、大声でまた雷禍を呼び寄せてはと警戒しているのだろう。

 その静寂の中、ノックの音がした。

 扉はないから、脇の柱でも叩いているらしい。灯りもなしに若い男二人が震える小屋を、誰が訪ねてきたものか。


「お邪魔してもいいかな」

「誰だい?」


 声はグランだ。ござを少し捲って、顔を覗かせる。が、それでは見えないので、手提げのランタンも差し入れられた。


「あんたか。どうしてここが分かった」

「さて、どうしてだろうね」


 結局二人ともダメだとは言わなかったので、グランはなし崩しに小屋へ入ってくる。ジュネも「知り合いなのか」と、納得したようだ。

 ふと、さてはと思い至った。


「ジュネ。さっきのナイフはあるか?」

「あるよ。これ」


 それは危険のないように、手拭いで包んである。取り出してみたが、先ほどの物かは分からない。あの時は、灯りがなかったのだ。

 しかしここで、ジュネが嘘を吐く理由もないだろう。それにグランへ示せば、分かることだ。


「あんたのだろ?」

「――ああ。どこで落としたのかと思ったよ。拾ってくれてありがとう」


 白々しく受け取られたナイフは、グランの腰に着けられたベルトの鞘に、ぴたりと納まる。


「ロープが硬くてさ。それ、助かったんだよ」

「それは良かった」


 互いの顔が見えるようになって、ジュネは少し落ち着いたのかもしれない。へへ、とぎこちないながらも、笑みが漏れた。


「それでさっきの話なんだけどね。僕たちも聞かせてもらっていいかな」

「僕たち?」


 聞き咎めたカズヤに、グランは答えない。代わりにまたござが音を立てて、隙間から恥ずかしそうに、マシェが顔を見せる。


「さっきのって、雷禍の話? 村の焼け跡を見に行ったのと、逃げてきた人から聞いた話しか、俺も知らないよ?」

「それだけで十分だ。報酬もあるよ」


 マシェは一度、顔を引っ込める。すぐに戻って、今度は両手で抱えるほどのトレイを持っていた。

 そこには焼いた肉が、大量に載せられている。おそらくは宴に用意された物なのだろう。


「おお、ありがたいね。蜜酒メルターなら、少しは置いてあるよ」


 ジュネは小屋の棚から、ちょうど酒瓶サイズの壺を取った。どうやらここで、酒盛りが始まるらしい。


◇◇◆◇◇


 本人が言った通り、ジュネの話はそれほどの知識を上乗せすることはなかった。

 家も家畜も人も、残らず炭となったこと。その村では雷禍の事前情報などなく、たまたま罠の様子を見に行っていた数人が助かった、というくらいだ。

 グランは、雷禍が最初に見えたのはどこであるとか、どこへ向かって去ったのか、進んだコースを聞きたがった。

 それに答え終わっても、ジュネは足りないと思ったのか、炭化した死体の子細まで話そうとする。しかしこれは、「やめてくれ」とカズヤが止めた。


「蜜酒なら平気みたいね」

「ん。ああ、そうだな」


 昨日の酒は、後味に苦さと酸っぱさが残った。それと比べて、蜜酒は飲みやすい。

 怯えて凍えてしまった心が、温まっていくとまで感じられた。成人前だからと、遠慮する気も起きない。


「そういやお前たち、何歳なんだ?」


 ここに居る三人は、カズヤと同じくらいの年齢に見える。しかし特にマシェなどは、一つか二つほどは歳下だろう。

 そのマシェが飲んでいるのに、カズヤが飲んでいけない法はなかろうと考えた。


「僕は十八だ」

「俺は十五だよ」

「私は十六」


 驚いて飲み物を吹くのも、フィクションだと思っていたのだが、違った。蜜酒を盛大にジュネの頭上へと撒き散らし、「なにするんだよ」と苦情を買う。


「そんなに驚いたかい? 何歳に見えていたんだろう」

「いや、ええと。俺の居たところだと、成人しないと酒を飲んじゃいけなかったんだ」


 言ってから、成人という概念もないのかと疑った。三人が三人とも、怪訝な顔をしたからだ。しかしどうやら、前例のように聞き取れていないわけではないらしい。


「この辺りの国では、成人の儀を十六で受けるわ。でもお酒を飲むのは関係ない――よね?」

「そうだね。この町なら綺麗な川があるけど、大きな町だと飲み水なんか、そんなに手に入らないから。小さな子でも、お酒を飲むしかないんだよ。多少は薄めたりするけどね」


 マシェは答えつつも不安に駆られて、兄に問うた。二人合わせての答えに、カズヤは驚く。


「そういう君は、何歳なんだい?」

「いくつに見える?」


 罪に問われることはないらしいが、なんと答えたものか迷う。どうもグランは歳下を諭すような話し方をするので、カズヤも歳上だろうと思っていたのだ。

 それがこの中で最年長とは、昨日からの醜態を考えると恥ずかしい。

 だから相手の想定している年齢を聞いてから、答えようと思った。


「そうだねぇ――十七かな」

「十六だろ」


 やはり下に見られていた。

 ついでにジュネも答えたので、こうなるとマシェの見解も聞きたい。


「どう思う?」

「ええと……あの、十五くらいかなって」


 なるほど。

 胸の内で、カズヤはがくりと頭を垂れた。実際の年齢は十九歳だ。

 社会に出てしまえば、二つや三つの年齢差など、どうということもない。しかし日本では学生の身分のカズヤには、一年の差もそれなりに大きな意味に感じられる。

 それにしても、マシェまでが歳下と見ていたとは思わなかった。まあ成年の一つ下という意味では、正解なのだが。

 ここでも、歳上に見てくれたジュネのことを、いい奴だと見てしまう。


「ちなみにあいつは?」

「あいつって、マクナスかい? 彼は十七だったと思うけど」

「ああ――奇遇だな、俺と同じだ」


 その辺りで手を打つことにした。

 予想を的中させたグランは、あとの二人から酒を注いでもらい、肉を頬張らせてもらっている。


「あんたたちは、探検家なのか?」


 今度はジュネが、グランたちに聞いた。

 カズヤの感覚では、高い山に登ったり、ジャングルに踏み入ったりする職業がイメージされる。

 しかしそれは、職業と言えるのかとも思う。日本のテレビにも、探検家を肩書きにする人物が映ることがあった。

 いったい彼らは、どうやって収入を得ていたのだろう。


「遺跡に入ったり、皮を剥いだりしてお金を稼ぐことはあるよ。でもまあ、それが本業ってこともないかな」

「私たち、探し物をしてるの」


 どうやら小説やゲームで言うところの、冒険者に当たるらしい。けれどもそれさえ否定して、探し物が本業だと言う。

 ますます分からなくなった。


「探検家って、仕事を回してくれるギルドとかがあったりするのか?」

「ええ? 探検家ギルドというのは、聞いたことがないな」

「じゃあどうやって、仕事を探すんだ?」


 異世界転移した主人公は、そういう職業に就くことも多い。だから気になって聞いてみた。

 これにグランは、あまり詳しくないけどと断って、教えてくれる。


「そうだねぇ……酒場とか、市場とか、人の集まるところを聞いて回る。若しくはおカネになりそうな物を自分で見つけてきて、売るのが仕事というパターンかな」


 後者が、グランたちの収入源であるらしい。それならやはりその探検家というやつではないかと思ったが、要するに手段と目的の差であるようだ。


「カネになりそうな物って?」

「そのまま金品が見つかることもあるよ。運が良ければね。確実なのは、魔獣まじゅうの皮や牙なんかを採ることかな」

「魔獣……さっきの雷禍も、その魔獣なのか」


 いわゆるモンスターの総称だろうと、見当を付けた。弱小のゴブリンみたいな相手から、ドラゴンクラスまで。

 ただ、探検家になるとも決めていないのに、そこまで深い興味を持って聞いたのではない。話の流れとして、相槌程度に聞いた。

 しかしグランの反応は、怪訝という言葉の範疇を出ている。


「カズヤ。君は本当に、どこから来たんだい?」

「……別に隠すことでもないけどな。信じてもらえないと思う」


 考えてみると、異世界から来たと言って困ることなどない。頭のおかしな奴だと思われる可能性はあるが、そこまで話す前に切り上げればいいのだ。

 言わないでいるために聞きたいことを逃すよりも、少しでも知識を得たほうが、いいように思う。


「話すから、俺の質問にも答えてくれよ」

「構わないよ。君が悪魔とでも言うのでなかったらね」

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