第6話:貴族との対面
「レイシャス伯爵家の一行である」
十歩ほども先に近付いたところで、騎士のような男は言った。こちらに有無を言わせない強い口調だったが、教員が苛立ち混じりに偉そうに言うのとは違って聞こえる。
強いて言えば学長の話すのと似た気もするが、団扇と扇子くらいの隔たりを感じた。
「足止めさせて悪いな。私はシヴァンという」
「カズヤ。頭を下げるんだ」
例えばヒスパニック系とか、カズヤに人種の知識はない。ともかくアジア人とは違う容貌を、まとめて外国人ぽいと認識している。
そういった相手の、年齢を推量するのは難しい。それでもきっと、四十前後だろうとカズヤには見える。
シヴァンが目の前に降り立った時、カズヤは棒立ちで眺めていた。その後頭部を、グランが強く押さえる。全身が痛むのをだましだましでここまで来たカズヤには、それだけでも激痛は避けられない。
「なにをっ――」
なにをするんだと言いかけ、非難の目を向けた。しかしマシェとグランだけでなく、マクナスまでが会釈程度には頭を下げていた。
シヴァンは貴族に仕える騎士で、そういう相手には礼儀があるらしい。
「構わんよ。顔を上げてくれ」
「寛大なお言葉、感謝します。それで僕たちに、なんのご用でしょう?」
「お前たち、旅をしているなら、色々と見聞きしているだろう。尋ねたいことがある」
シヴァンの視線は、四人それぞれを上から下まで眺めていた。
カズヤ以外の三人は、どう見ても旅支度だ。荷物を入れる背負い袋に、丈は短いながらもマントを靡かせている。
マントがおしゃれの道具でなく、防寒着であり寝具であるくらいは、カズヤも知っていた。
しかしそうなると、カズヤの姿はどう映っているのだろう。
衣服はこちらの物と見えるが、いくらか破かれているし、血も付いている。荷物というと、水袋しかない。
「単刀直入に言おう。私たちは
「雷禍ですか――その名は聞き及んでいますが」
グランはそこで言葉を切って、マシェとマクナスを見る。二人はそれに、首を横に振って答えた。
「先日、村一つが燃えてなくなったという件。その噂を町で聞いた程度です」
「そうか……残念だ」
役に立てないことをグランが詫びて、それで話は終わりだと思った。仰々しく現れた割りに、と感じるのはカズヤの偏見だが、それを抜きにしてもあっさりしたものだ。
手間賃と言って硬貨が渡されたので、やはり間違いない――と、思った。
「ところでお前は? 一人だけ、風体が違うようだが」
「えっ」
あらためて値踏みするような視線が、カズヤの全身を探る。
見た目だろうか、動作だろうか。どうして怪しまれているのか、不安材料はあっても、思い当たる基準が分からない。
「この男も、旅の途中のようです。この道を戻ること四半日ほど、山中なれど開けた場所があります。そこで山賊に襲われて、倒れていたところを助けました」
「ふむ。お前たちが山賊を退治したのか?」
「いえ。見つけた時には、既に山賊らしき者たちは死んでおりました」
グランは慌てた様子もなく、経緯を説明した。カズヤもなにか言おうとは考えたが、なにを言えばいいのかさえ思い付かなかった。
「お前の名は?」
「カズヤ」
「なに?」
「カズヤと言っています。どうも遠方の出身らしく」
カズヤが名乗ったのには、マシェと同じような反応だった。グランが言い直したのとどれほど違うのか分からないが、こちらは通じたらしい。
「聞きなれん名だな――市民証はあるのか?」
なんだそれは。住民票みたいなものか?
考えてはみるものの、日本の住民票でさえ、見たことがない。類推のしようもなかった。
戸惑うカズヤをよそに、グランとマシェは左の手首を示す。マクナスは喉元辺りから、チェーンにぶら下がったペンダントのような物を。
二人の手首にはブレスレットがあって、マクナスのペンダントと同じ飾りが付いている。どうやらあれが、市民証という物らしい。
「カテワルトか――まあ、それはいい。お前は?」
「そんなのは、ない」
ない物を、どうも出来ない。答えてから、グランの顔を見る。どうしたものか、ヒントくらいないかと。
しかし彼は、期待に答えてくれなかった。一瞬だけ目が合ったものの、渋い顔をして逸らしてしまう。
そんなにまずいのかと、さすがのカズヤも案じ始めた。
「なくしたのではなく、ないのだな。それでは、こちらに来てもらおう。分かっていると思うが、逃げれば殺す」
殺す?
そんな言葉を吐いた割りに、シヴァンは無造作に向きを変えた。乗ってきた動物の綱を持って、仲間たちの方向に歩いていく。
彼らのルールによれば、良くない状況にあるようだ。しかしだからと、逃げるつもりなどなかった。
たった今のシヴァンの言葉で、逃げるしかないと思った。
「早く来い」
何歩か先を歩きつつ、シヴァンが急かす。周囲を見ても、身を隠すほどに濃い茂みはない。
ならば、川に飛び込むしかないだろう。さほど大きくはなかったが、流れは速かった。あれなら馬で追われても、逃げられるかもしれない。
そうと決めて、駆け出そうと一歩を踏み出した。が、そこまでだった。
カズヤの腕を、マクナスの手が掴んでいる。そのまま握り潰す気かというほどに。
「くだらねえことを考えるな」
シヴァンたちだけでなく、まさかこちらに止められるとは。
カズヤ自身、ついさっきまで彼らを鬱陶しいと考えていた。その相手に止められたことを、身勝手にも非難する気持ちが満ちる。
「早く行け」
握っていた腕ごと、押し出されるように突かれた。三、四歩をよろめいて、転ぶ。膝と手を突いたが、擦り傷は増える。苛立たしさと、それをどうすることも出来ないもどかしさが、息を荒くさせる。
「早く来んか!」
厳しい口調で言われた。まさかここで地面に寝転がって、駄々をこねるわけにもいかない。
痛みでよろめきながら、カズヤは立つ。
「めんどくせーな……」
カズヤが歩く後ろを、グランたちも着いてくる。それで助かったとは思わない。逃亡を妨害されたばかりだ。
シヴァンとその仲間は、総勢で九人。八人までは、丈夫そうな胸鎧を着て、分厚くて蒸れそうなズボンを履いている。それに長いマントも揃いのようだ。
対して一人だけ、格好が違う。
いや、胸鎧とズボンとマント、と言ってしまえば同じだ。けれどもそのデザインが違うし、あちこちに銀糸が入っていて豪華に見える。
そうか、伯爵家がどうこうと言っていた。もしかすると、この男が伯爵ではないか。そうでなくとも、リーダー格なのは間違いない。
カズヤはそう推理を整え、三十代と見えるその男に駆け寄り、自身の潔白を訴えた。
「あんたが伯爵か! 俺はなにもしてない! ここがどんなところかも、分かってないんだ!」
だから助けろ。少なくとも、穏便にはなるだろう。カズヤは、そう信じて疑わない。
金属の擦れる音がしたとは感じたが、なにが起きたのかは分からなかった。気付いた時には、なにかが目の前に突き付けられている。
「いかにも私が、プロスト・デ=レイシャスだ。その無礼は、死を望むと解して良いか」
銀に光るそれは、よく磨かれた刃であるらしい。伯爵の手には柄が握られていて、そこから伸びている。
つまりこれは、剣だ。
包丁よりも大きな刃物など見たことがなく、包丁さえも使ったことがない。その身には、現実味が薄い代物ではあった。
しかし伯爵の言葉には、日本の若者がふざけ半分で使うような脅しとは、根本的に違う重みがある。突き切られる痛みの想像は出来なくとも、死の恐怖は存分に感じられた。
「お前たちに発言を許す。この男は仲間か」
「違います。行き倒れていたところを、助けただけの関係です」
「そうか。ならば良い」
伯爵の問いに、間髪を入れずグランは答えた。それほど我が身が可愛いのかと、カズヤは思う。
貴族との力関係に従う彼を、びびりやがって、としかカズヤは捉えない。
「ちょうどいい。連れて行け」
後ろ手に両手を縛られた。騎乗したシヴァンの後ろに乗せられて、為す術なく運ばれていく。
カズヤの目には、それをただ見送るだけのグランたちの姿が映っていた。
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