第4話:彼らとの出会い

 意識が戻って、閉じていた目を開ける。同じような感覚が、今日──それも確かなものではないが──だけで、もう何度目だろう。

 ともかくそれがある度に景色が変わって、いい加減に嫌気が差してくる。


「つぅ……」


 身体を起こそうとして、あちこちの激痛に顔をしかめた。向きさえ変わっていないが、とりあえず痛みに耐えるのが先決だ。

 目だけを動かして見ると、視界はオレンジ色に照らされていた。洞窟の中とかそういう場所らしく、剥き出しの岩肌が周りを囲う。

 光源は焚き火のようだ。勢い良く燃える炎が、あちこちの影を揺らす。その炎のすぐ傍には、何者かの姿が三つ、座っていた。


「気が付いたみたいだ」

「えっ」


 若い男女の声。短く声を上げた女性が立ち上がって、ぱたぱたとこちらに寄ってくる。


「大丈夫? これ見える? 何本?」


 手を伸ばしても僅かに届かない位置に、女性はしゃがみこんだ。人差し指と中指を立てた手を、ゆっくりと振って見せる。


「二本……」

「良かった。意識もしっかりしてるみたいね。名前は言える?」

「繪鯉──一八」

「え? ごめんなさい、もう一回」


 見るからに、日本人ではない。女性は赤茶色の髪をかき分けて、耳を見せた。そこに手を当てて、よく聞こうと構える。


「繪鯉一八だ──」

「エゴォ、クズゥ?」


 急に、英語しか話せない外国人が、カタコトで日本語を話したようになった。

 自然に会話が出来るから気にならなかったが、特別に会話だけ出来るようにしたというのは本当らしい。


「発音が難しいのか──? それなら、カズヤだけでいい。カ、ズ、ヤ」

「カズ──ヤ? カズヤね。分かったわ」


 繪鯉という苗字は、きっと名前よりも発音が難しい。そう考えて言った。

 聞き取ったところで、女性の言葉は元の流暢な日本語に戻る。おそらく日本語など話していないのに、翻訳して聞こえているのだろう。聞こえる言葉と、唇の動きとが合っていない。


「なにも荷物がなかったけど、山賊にでも襲われたの?」

「山賊──ああ。あいつら、たぶんそうだろうな」

「そう……だいぶん酷くやられたわね」


 女性の視線は、カズヤの顔に向いていた。身体はあちこち痛いが、顔もなのか。たしかにヒリヒリとして、痛みがないというよりも、麻痺している感じではある。

 身体にかけられた薄い布の下から、右腕を出すのも、ひと苦労だった。腕や肩だけでなく、背すじやわき腹までが痛む。


「っつ! こりゃ、相当腫れてるな」

「ええ。さっきまで冷やしてたんだけど、あまり効果はなかったみたい」


 顔に触れると、明らかに常とは違う凹凸ばかりだった。触れているという感触も、なんだか鈍い。

 女性の視線が少し逸れたので、追ってみる。そこには、畳まれた布が落ちていた。手に取ると濡れていて、どうやら顔に載せられていたらしい。


「ええと、あんたは──」

「おい。それだけ聞いて、礼もなしか」


 残る二人のうち、まだ声を発していなかったほうが言った。怒気を含んだ声だが、視線はこちらを向いていない。

 なんだ、言いがかりだけか。

 臆病な奴ほどよく吠えるものだと、カズヤは見くびった。しかし気になることもある。

 その男が左腕に抱いている物。棒状のようだが、野球のバットより倍ほども長く、太い。布も巻いてあって直接は見えない。しかしロールプレイングゲームなどで、カズヤにも馴染みのある、剣ではないだろうか。

 いや、そうとしか見えない。いかに気弱な相手であっても、そんな物を抜かれては困る。考えてみれば、たしかに礼は言ってなかった。


「そうだな。手当てをしてくれて、ありがとう」

「いいのよ。放っておいたら、死んでしまっていたから。仕方ないわ」


 ありがとうと言った瞬間。口元が、ぴりと痺れたような感覚があった。言いなれない言葉──もしかすると、人生で初めて言ったかもしれない言葉。

 どうして俺がこんなことを、と。カズヤは恥ずかしさを、乱暴な言葉で覆い隠す。


「マシェ。もう食べられるよ」

「あ、そう? 兄さん、ありがとう」


 女性はマシェというらしい。カズヤが目を覚ましたことに気付いたほうの男を、兄さんと呼んだ。

 焚き火の上に吊り下げられた、小さな鍋のような物。マシェはそこから、なにかを器に取る。


「はい、飲めるかしら。全部飲めたら、お肉も入れてあげる」

「ああ……」


 どうやら、スープのようだ。言われてみると、かなり腹が減っている。怪我のせいか、それほど食欲はないが、食べたほうがいいだろう。

 カズヤが寝かされているのは、洞窟の壁際だ。その壁の凹みに手をかけて、カズヤは身体を起こそうとした。


「くっ……!」


 やはり激痛が走る。しかしこれで姿勢を戻せば、最初からやり直しだ。それは面倒だった。

 大きく息を吸って、止める。それが持つ間に起きようとするが、半分ほどで限界が来た。


「はあっ! はあ、はあ……」


 マシェは器を持ったまま、こちらを見守っている。優しそうな顔をしているのに、どうして手伝ってくれないのか。手を持って引いてくれれば、もっと楽かもしれないのに。

 苛立つ気持ちさえ、痛みを耐えるのには邪魔になる。次の挑戦でようやく上体を起こして、壁にもたれることに成功した。


「ふう、ふう……ようやくだ」

「お疲れさま。ここに置くわね」


 マシェが持っていた器は、カズヤが手を伸ばしただけでは、届かない地面に置かれた。

 なんの嫌がらせだ? 心配そうな顔と声をしながら、いたぶって楽しんでるのか?

 その気持ちが出たのだろう。剣を抱いた男から舌打ちが聞こえて、見ると目だけがこちらを向いて睨んでいる。

 山賊に襲われている時に出会った、ディアと比べればそれほどでない。しかし本能的に、争っても勝てないとカズヤは思う。


「く……くうっ!」


 仕方なく。壁にもたれたまま、なんとか肩を前に出して、腕を伸ばした。人差し指と中指の先でようやく縁を挟んで、少し手繰り寄せる。親指が届けばこちらのものだ、器はカズヤの口元に運ばれた。


「ふっ! んふっ!」


 立ちのぼる湯気を嗅いで、カズヤは顔を背ける。くさい。獣の臭いだろうか。

 こちらに来る直前、嫌気の差した中華料理店の排気にも似ている。しかしなんというか、それを何倍にも凝縮して腐らせたような、とても食べ物とは思えない代物がそこにあった。

 これがスープだと?

 また怒りがムクムクと起きかけて、三人がどうしているのかを見た。まさかカズヤにだけこんな物をあてがって、自分たちは別のうまい物を食っているのではと。

 しかし違った。既に一杯目を食べ終わったらしいマシェの兄は、同じ鍋から中身をすくい取っている。その隣に座るマシェは、汁を啜りながらもカズヤを心配そうに見つめていた。

 これがあいつらの、普通のメシなのか……。

 どうやら食べる物は、他にないらしい。愕然としながらも、カズヤはなるべくスープを冷まし、息を止めて一気に飲み込んだ。

 しかしそんなことをしても、臭いものは臭い。アニメや漫画でそういう表現があるのは、嘘だと知った。

 汁や具とは別に、臭いが質量を持っているかのようだ。いや実際、厳密にはあるのだろうが、今までそうと体感したことはない。

 粘性が高く、接触した部分を次々に冒していく感覚。あたかも酸かなにかで、喉が腐蝕していくように思えた。


「ぅげっ……がはっ!」


 せっかく飲み込んだ物が、ほとんど地面に撒き散らされてしまった。口の周りが汚れて、喉に感じるのと同じものを鼻腔にも得てしまう。


「はい、飲んで」


 苦しさで目を閉じてしまっていた間に、マシェが傍へ来ていた。両手で丁度持てるくらいの、小さな袋を差し出している。

 これは水筒ということだろう。ありがたく受け取って見ると、革で出来ているらしい。飲み口は、木をくり抜いた物が嵌め込んであった。

 口をつけようとすると、さっきとはまた別の強い臭いがする。しかしこちらは、我慢出来ないほどではない。

 いまだ喉に張り付くもののほうが厄介だ。一気に洗い流そうと、中身を呷る。


「がはっがはっ!」


 最初に舌に触れた、生温いとろっとした感触で油断した。二口ほどを飲んだところで、鼻に上がってくる香気。それほど強くはなかったが、水か茶だと思ったところにはきつかった。


「はあ、はあ……これ、酒じゃないか」


 カズヤは、まだ二十歳に達していない。興味本位で舐めてみたことはあるが、うまいとは思わなかった。

 しかしそれとは関係なく、こんな時に酒を差し出すものかと、行動に疑問を覚える。やはり嫌がらせなのか。手当てをしてまでそんなことをするとは、暇な奴が居たものだ。

 やはりろくな世界じゃないと、無性に虚しくなった。手にしていた革の袋を、半ば叩きつけるように地面へと落とす。


「あっ」


 マシェの驚く声が、聞こえたように思った。しかしカズヤの視界は、また闇に閉ざされる。

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