第10話 これからも、ずっと

「やめてくださいレイラさん、そんなことは私たちがやりますから」


脚立に乗り、シャンデリアの上に乗ったホコリを払っていると、アルが慌てた顔で止めに来た。レイラはマスク代わりにしていたハンカチを口からどける。


「いいのよ。毎日毎日食っちゃ寝してたら、太っちゃう」


長年のメイド生活が染みついているせいか、朝はいつも日の出より早く目が覚めてしまう。一度起きるとじっとしてはいられず、掃除や炊事に顔を出していた。


レイラが今寝起きしているのは、ランカスター家のタウン・ハウス。グレンの婚約者として住まわせてもらっている。


あの夜、ローダーデイル家の地下室は怨霊とグレンの力がぶつかったせいで、あっさり崩れ落ちてしまった。命からがら逃げたレイラたちは、なんとか脱出に成功。


地上に出ると、そこはメイズの中だった。地下が崩れたせいで屋敷自体も傾き、大きなヒビが何本も入る様子を、あ然として見守った。


『これで、ローダーデイル家は潰えた』


グレンが静かに言った。


彼らは自分たちが逃げるのに精いっぱいで、デボラたちを助けることは出来なかった。レイラはそっと胸の前で十字を切った。


とんでもなくひどいことをしていたけれど、一度は主人として慕った人。そして、一緒に働いた仲間たちの冥福を祈った。


あれから一か月が経ち、女王陛下の警察組織は事件後の調査を一度打ち切ったらしい。掘り起こされた遺体や、鉄の卵やその中身がどうなったのかは、まだわからない。グレンも調査報告を待っているところ。


子供たちを切り裂いたパーツで人造人間を作りだした医師は、行方をくらましているとのこと。海外に逃亡でもしたのか。


医師に資金を流していた、レイラが嫁がされるはずだった貴族の家にも調査が入っている。そのうち爵位を剥奪されるだろう。


「お願いです、降りてください。あなたに何かあったら、グレン様が、グレン様が……」


アルが泣きそうな顔で懇願する。


「大げさねえ。はいはい、降りますよ」


下からわあわあ言うアルがうるさいので、レイラは仕方なく脚立から降りようとした。その瞬間、体がぐらりと揺れる。


(落ちる!)


怪我を覚悟してぎゅっと目をつぶる。しかしレイラを受け止めたのは固い床ではなく、たくましい腕だった。


「なにしてるんだ」


「ぐ、グレン」


お姫様抱っこの体勢から、ゆっくりと床に下ろされる。


(いつもなんというタイミングで現れるんだろう、このひと)


無事だったレイラを見て、アルがホッとした顔をしていた。


「アルが何と言おうと、君は君のやりたいことをすればいい。料理だって掃除だって、なんでもやればいいけど、危険なことは他の者に任せてくれないか」


「は、はい。すみません」


グレンは基本、レイラに「レディらしくしろ」というようなことは言わない。レイラが自発的にばあやに習って花嫁修業をすることもあるけど、強制されたことは一度もない。


そのうえ自転車をプレゼントし、楽な格好でどこにでも散歩に行けばいいと言う。その練習でレイラが足に傷を作っても、『お転婆だな』としか言わなかった。


彼は礼儀やしきたりにうるさい他の貴族とは、違っている。じっとしていられないレイラの性格をよく理解してくれて、好きなようにのびのびと生活させてくれている。


「よし。じゃあ、今から出かける支度をしてくれ。新しいドレスを作りに行こう。宝石も必要だな」


「えっ? 今から?」


この一か月の間に、レイラはもう何着もドレスを作ってもらった。動きやすいドレスと、夜会用の少し派手めなものと……。


「いいわ、もったいない。宝石はあのサファイアが好きなの。他のものなんて要らない」


グレンはお金に糸目をつけないでどんどん買ってしまうから、レイラの方が心配になる。


彼には両親がいないから、結婚をしても新居を建てる必要はない。けれど本来花嫁の家族が用意するトルソー……下着やハンカチ、食事や寝室に使うリネン類もグレンが用意する予定になっているから、レイラとしてはこれ以上何か買ってもらうのは気が引けた。


「ああ、あの宝石は素晴らしいからな。実はあれ、ハミルトン家の焼け跡から、父が持ってきたものなんだ」


「えっ! 実家の焼け跡から?」


よく綺麗なまま残ってくれていたものだ。レイラは感心する。


「いつか生き残っているかもしれない令嬢に会えた時に役立てろと言われてね」


「役立てるって?」


「もちろん、女王陛下に謁見するときのためだ。ハミルトン家の令嬢が戻ったと信用してもらうのに、あの宝石が必要なんだ。あれは女王陛下が君の母上に贈ったものだったから」


「そうだったんだ……。そんなこと、一言も言ってくれないんだもの」


今までなくならなかったのは奇跡だ。あの首飾りを付けていけば、女王はレイラがハミルトン家の娘だということを信じてくれるだろう。


「って……ちょっと待ってよ。女王陛下に謁見って……」


「もちろん、新しいドレスができ次第。許可は取ってきたから、あとは日程の調整だけ」


いたずらっぽく微笑むグレンの言葉を聞きながら、レイラの頭はくらくらしてきた。


(メイドとして生きてきた、まだ庶民感覚の抜けない自分が、女王陛下に謁見だなんて)


考えるだけで、脇にどっと汗をかいてしまう。


「い、いや。無理よ。ムリムリ」


あまり物怖じしないレイラだけど、それはさすがに緊張する。


(もっと礼儀作法や離し方を練習してからでないと)


重いドレスにも高いヒールの靴にも慣れていないから、優雅な仕草もできない。


「無理って……じゃあ、僕と結婚したくないということか?」


急に捨てられた子犬のような目をされて、ぐっと言葉に詰まる。そんな顔でにらむなんて反則だ。


「そ、そんなわけない。私、あの……本当に結婚、したいと思っているの、あなたと」


言いながら頬が熱くなっていく。レイラの首から上がリンゴみたいな色に染まった。


「そうか。それは良かった」


グレンはまるで大輪の花が咲いたようにぱっと笑うと、レイラの手を取った。


「頑張るから、フォローしてね」


「もちろん」


「ずっとこの先も、面倒見てくれる?」


自分に侯爵家のお嫁さんになる才能はない。レイラはじゅうぶんわかっている。


(全然淑女になりきれない、こんな私でもずっと愛してくれる?)


見上げると、グレンは目を細めて微笑んだ。


「ああ、こんな可愛いお転婆姫なら、喜んで面倒みさせてもらうよ」


「ひどい。完全に子供扱いじゃない」


グレンの中で自分は、四歳の印象のままのか。レイラが頬を膨らませると、グレンがふきだす。


「ちょっとからかっただけじゃないか」


「もういいわよ。出かけるんでしょ」


さすがに女王陛下に会うなら、グレンに言われた通りの格好をして行った方が良さそうだ。


レイラが覚悟を決めて一歩踏み出すと、ふわりと体を拘束される。グレンの長い手が、彼女の腰に回されていた。


「愛しているよ、レイラ。これからはずっと一緒だ」


唇が触れるくらい耳元近くでそう囁かれると、があっと一気に体温が上昇する。赤くなっていた顔がますます真っ赤に染まっていくのを、レイラは感じた。


耳を押さえてハッと周りを見ると、一部始終を見ていたアルまで恥ずかしそうにうつむいている。


「ああもう!」


恥ずかしさに耐えきれなくなってその場から逃げようとするけど、グレンの腕はレイラを離そうとしない。


「ばあや、ばあやはどこだ。僕の花嫁を特別綺麗に仕上げてくれ」


「は、離しなさいよ」


「照れるなよ。この次はウエディングドレスを作らなきゃな。楽しみなことが目白押しだ」


明るく笑うグレンの顔に、レイラは胸まで熱くなってしまった。


彼は筋金入りの貴族様で、女王陛下の特命を受け、家宝のステッキ片手に不思議な力を行使する、わけのわからない男だ。結婚したら、幸せばかりじゃないだろう。苦労も人一倍ありそうな気がする。


(でも、まあいいか。普通じゃない結婚生活をあなたが楽しみだって言ってくれるなら、私だって一緒に楽しめるはず)


色んなものを失って、離れていたレイラたちだけど、これからはきっと寂しくなんかない。騒がしい日々が、彼らを待ち構えていることだろう。


(だけど、たまにはとろけるくらい甘く、私を女性扱いしてね。お願いよ、グレン)


急に淑女になんてなれない。しかしいつかはグレンの横に立っても、恥ずかしくない女性になろうと、レイラは決めた。


「ええそうねっ、楽しみ!」


やけくそ気味に言うと、グレンはレイラを後ろから抱きしめたまま、はははと笑った。するといつの間にかアルも笑っていて、それが伝染したのかレイラまで笑顔になっていた。


(ねえグレン、いつまでもこうして一緒にいましょう。こんな私を愛してくれるの、きっとあなただけだから)


アルがばあやを呼んでくると言い、部屋を出ていった。その途端、グレンがふっとレイラの右耳に甘い吐息を吹きかける。


くすぐったくて身をよじらせると、バイオレットの瞳と目が合う。何かに引き寄せられるよう、ふたりはどちらともなく目を閉じて唇を合わせた。




【end】

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公爵様と秘密の夜 中園真彩 @mahya

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