第9話 明かされる真相

ふと目を覚ます。瞬きをしてレイラが見たのは、知らない灰色の天井だった。木のぬくもりは感じない。冷たい金属、あるいは石で天井まで覆われている。


(ここはどこ?)


必死に記憶を手繰り寄せるレイラ。


(私はグレンと仮面舞踏会に来ていて、黒いロングコートの男に捕まってしまった。抱えられたままロンドンの街を飛んで、そのうちに気を失って……)


だんだんと頭がはっきりしてくる。体を起こそうとするけど、それは叶わなかった。背中の後ろで手を、足首も縛られている。


目だけで周りの様子をうかがおうとするけど、どうやら壁際に頭を向けて寝かされているみたいで、首を関節の限界まで動かしても灰色の壁や天井しか見えない。


(こんな状態で、いったいどうしろっていうのよ)


レイラはダメもとで手足を動かしてみるけれど、よほどしっかり縛られているのか、縄はびくともしなかった。


(ど、どうなるんだろう私。連続殺人犯にさらわれたってことは、私も殺されてしまうってことなのかしら)


もしかしなくても、彼はレイラとグレンの会話を聞いていたのだろう。彼の正体に気づいた私たちを放っておくはずがない。処分しようと思うはず。


そう考えると、絶望的な気分になりそうだった。だけど、諦めるわけにはいかない。


(なんとかここを脱出しなきゃ。でもどうやって?)


もぞもぞしていると低い声が背後で聞こえた。


「目を覚ましたようだな」


びくっとレイラの背中が震えた。拘束はそのまま、上体だけを起こされる。


「あっ、あんたは……!」


そこにいた黒いロングコートの男を見てレイラの心臓は止まりそうになった。


付け髭を外し、シルクハットを脱いだその人は、レイラのよく知っている人物。ローダーデイル家従僕の、ベンジャミンだったからだ。


「あんたが子供たちを……? あんたみたいな普通の人が、どうして?}


レイラは全身から血の気が引き、自分の顔が青ざめていくのを感じた。ベンジャミンは無表情のまま、何も答えない。


「悪い子ね。どうして私の言い付けを聞けないのかしら。あの侯爵は悪魔だから、今後一切近づいてはいけないと言ったのに」


ベンジャミンの背後から、聞きなれた優雅な声がした。コツコツと高いヒールを鳴らして歩いてきたその人は……。


「デボラ様!」


襟や袖の詰まった黒いドレスを着た、レイラの主人だった女性。デボラ・ローダーデイル女伯爵だった。


彼女はレイラに近づくと、彼女が首にかけていたネックレスをつかみ、思い切り頬を打った。


「悪い子! 悪い子!」


呼吸する暇さえ与えず、何度も繰り返し頬を平手打ちされる。ようやくそれがひと息ついたとき、レイラの頬はジンジンとしびれて熱を持っていた。デボラの長い爪が引っかかったのか、頬骨の辺りにちりちりとした別の痛みを感じる。


「デボラ様、急ぎませんと」


横から彼女に声をかけたのは、また聞き覚えのある声だった。叩かれすぎて朦朧とする頭で見ると、それは執事のセドリックだった。


(どうして、三人そろってこんなところに……)


叩かれすぎて、レイラの意識はぼんやりしてしまっている。


「ええそうね。立ちなさい、レイラ」


デボラの声を合図にベンジャミンがナイフを取りだし、レイラの足を縛っていたロープを切る。そして無理やり立たされた彼女が見たのは、信じがたい光景だった。


「なにこれ……」


デボラの背後に、巨大な鉄の卵のような機械が置かれている。その中央はガラスのように透明で、中身が見える。そこにいたのは、裸の小さな女の子だった。


ピンク色の液体の中で浮いている彼女は、生きているようには見えない。よく見ると体は人形のように、関節でつぎはぎされた跡が見える。


目も開いているけどただのガラス玉のようで、生気は感じられない。顔も鼻や唇、すべてのパーツをどこかから寄せ集めたかのようにつぎはぎされていた。まるで、全身がパッチワークみたい。


鉄の卵を囲むのは、たくさんの大きな銀色の箱。そこから弾力がありそうな質感の黒いコードが鉄の卵に繋がっていた。おそらく、電気を使っているんだろう。


鉄の卵の前には、小さな棺があった。ミスマッチなそれらは、何とも言えない不気味な雰囲気を醸し出している。


呆気にとられているレイラに、デボラが妖艶に微笑む。


「紹介するわ。娘のキャロラインよ」


(娘……? このつぎはぎの人形が? それとも、棺の中にあるであろう遺体が?)


レイラは自分がいったい何を言われているのか理解できず、ただデボラの顔を見返す。


「あなたの力を貸してほしいの。棺の中にあるキャロラインの魂を蘇らせて。あの新しい体に定着させてほしいの」


「……はい?」


魂を蘇らせる? 新しい体? さっぱりわからない。


そんなレイラの様子を見兼ねたのか、セドリックさんが一歩前に出た。


「最初から説明しましょう」


混乱するレイラに言い聞かせるように、セドリックはゆっくりと語り始めた。


「まず、キャロライン様は四歳の時に病気で亡くなられた。それはご存知ですね?」


レイラは黙って首を縦に振る。


「それからデボラ様は、ずっと研究を重ねてきたのです。キャロライン様に、もう一度会う方法を……」


死者にもう一度会うなんて、できるわけない。それをどうやって実現させようとしたのか。


レイラはふとファインズ夫人の言葉を思い出す。もともとおまじない好きだったデボラが、娘を亡くした後、ますますその傾向が強くなったとか……。


(もしかしたら降霊とか交霊とか、そういうオカルトな力に頼ろうとしたのかも)


そんな推理をしながら、次の言葉を待つ。


「キャロラインの死から四年たったある日、私はあなたに会ったの」


今度はセドリックではなく、デボラが語り始めた。


「たまたまハミルトン家の家庭招待会に招かれた時だった」


家庭招待会というのは、貴族の奥様が他の奥様たちを招いてお茶や食事を振舞う会のこと。当時まだ夫がいたデボラは、ハミルトン家の招待会に招かれた。


「まだ小さなあなたと挨拶をして手を繋いだ瞬間、あなたは涙ぐんでこう言ったの。『お気の毒に』って」


「お気の毒に……」


「何も言っていないのに、あなたは私が娘を亡くしたことを記憶を通じて知ったのよ。そんなことを知らない私はびっくりして、ハミルトン夫人になんのことかと問いただした。すると夫人は、私にだけあなたの不思議な力のことを教えてくれたのよ」


レイラが思い出そうと努力しても、何も思い出せない。デボラと会ったことさえ。記憶に蓋がされているみたい。


「夫人は言ったわ。『この子は人の過去や未来が見える。大きくなったら、この力はもっと強く、また質も変わっていくかもしれない』と」


大人になったら力が強くなるなんて、母はどうしてそんなことを思ったのか。レイラが首をかしげると、デボラがその疑問に答えた。


「あなたのお母さまもまた、同じ能力を持っていたのよ。お母さまは物の時間を操ることができた。壊したモノを元通りに復元したりすることが可能だった」


「なんですって。そんなすごい力をお母さまは持っていたの?」


「だから私は頼んだのよ。お墓の下の娘の遺体の時間を戻してくれないかって」


デボラの声が、すっと一瞬で低く変わった。不気味な響きに、レイラの背筋が寒くなる。


「遺体の時間を戻すだなんて……。お母さまは何て?」


「そんなことできないって言われたわ。安らかに眠る死者を蘇らせてはならないと。それは、人の道に反すると」


レイラは口には出さず、母に激しく同意した。


しかしデボラは、当時を思い出したのか視線は遠くを見たまま、眉間にシワを寄せた。


「ひどい人だと思った。特別な力があって、可愛い娘もいて、何不自由なく幸せに生活していて……娘を失った私の願いを聞いてくれてもいいじゃないの、ねえ?」


デボラは突然レイラに焦点を当てた。


(同情はできても同意はできないわ)


デボラが娘を失ったことは気の毒だと思う。しかし死者を蘇らすなんて、神でもしないことを人がやっていいはずがない。


「だから私は、あの屋敷に火を点けた。そして、あなたをさらったの」


「え……」


まるで何事もなかったかのように、さらりと言ってのけたデボラ。唇の端がわずかに上がっていた。そのしたり顔に急激に怒りが湧く。


「あなたが……あなたが私の両親を……!」


ただの逆恨みで、自分の両親は殺されたのか。レイラの中に激しい怒りが湧く。


「話はまだ途中です」


あらん限りの大声で罵声を浴びせかけようと息を吸ったレイラを、セドリックが制する。


「そして催眠術で記憶を消したあなたを育てた。成長して母親のような力が開花するのを、ずっと待っていた。継続して力を使わせるために、占い師の真似事をさせたの」


デボラの自分勝手な言い分は続く。


「あのカバの置物を壊したときも、期待していたのよ。あなたが怒って本来の力が覚醒するんじゃないかと思って。だけどダメだった」


グレンにもらったカバの置物を壊されたとき。粉々になった置物を、レイラはどうすることもできなかった。


「無理よ。私にはできっこない。覚醒も何も、そんな力がもともとないのよ」


レイラにできるのは、ただ過去や未来を垣間見ることだけ。次々と殺されていく子供たちに何もしてあげられなかった。


「そんなことないわ。あなたはやればできる子よ」


こんなときばっかり、デボラは猫なで声でレイラに微笑みかける。


「キャロラインの体を作るために犠牲になった子たちのためにも、協力してちょうだい」


レイラは自分の耳を疑った。


「犠牲、って……?」


「この棺の中は空っぽなの。ちゃんと土葬しておいたのに、狼だか野犬に遺体を掘り起こされて食べられてしまったのよ。可哀想な私のキャロライン」


棺を撫でたデボラは初めて、娘を失った母親の悲痛な表情を見せた。


「だからね、体を一から作り直す必要があった。完璧な、あの子の体を。だからそこらの子供たちから、パーツを寄せ集めたの」


「は……?」


「まだわからない? 子供を殺して、部品をもらったって言ってるのよ」


レイラの背中を、電流が走り抜けた。そんな気がした。


(まさか。まさか、まさか、まさか、まさか!)


完璧な我が子を再現するために、同じようなパーツを持つ子供から目や鼻や、耳を……殺して、もいで、それをつぎはぎしたということか。


髪、肌、目……どれも人によって、微妙に色や形が違う。だからパーツに分けて集める必要があった。


レイラは殺された子供たちの遺体を思い出す。ロンドンの子は舌を、領地の子は右耳を失っていた。


「ベンジャミン、あなたはそのためにデボラ様に協力して子供たちを殺したのねっ。罪もない子供たちを……!」


余りの悲惨な事実に、それ以上声が出なかった。どんな言葉で罵倒しても、彼らの罪が消えることはない。


ベンジャミンは目を伏せて、じっと黙っている。デボラのいうことを聞かなければ生きていけないのが使用人たちだ。職を失うのが怖くて、デボラに逆らえなかったんだろう。でも、だから許せるなんてことは絶対にない。


「ああレイラ、怒らないで。彼は私のためにやってくれたのよ」


怒らないでいられるわけがない。レイラは彼らを渾身の力を込めてにらみつけた。


「こんなおぞましい実験に協力なんてできない。そもそも、私にはお母さまみたいな力なんてありはしないのよ!」


「レイラ、落ち着いて」


セドリックがレイラの肩を押さえる。


「落ち着いていられるわけないでしょ! セドリックさんもどうかしているわよ。どうして止めてくれなかったの。誰かが、いいえ、この計画を知っている皆が、勇気を持ってデボラ様を止めるべきだったでしょう!?」


「私は、デボラ様に忠誠を誓っています。たとえ間違ったことだろうと、主人の命令は絶対です」


主従の絆があろうと、どうしてそこまでの絶対服従を誓うのか。レイラには理解できない。


「だからって……!」


「僕の興味があるのは、その新しい体をどうやって作りあげたのかということだな。医学の知識がない者が独学でできるわけがない」


ハッと全員が同じ方向を振り向いた。部屋の入口が、いつの間にか開いていた。そこには、ステッキを持った燕尾服のままのグレンが。その脇にはアルが控えている。


「グレン!」


駆け出そうとしたレイラを、セドリックが捕える。ベンジャミンが胸ポケットからピストルを取りだした。


「お前、どうやって……!」


デボラが怒りを露わにした顔でうなる。ファインズ夫人の屋敷からレイラをさらったことが、相当頭に来ているみたい。


「まさか、ロンドンからローダーデイル家まで、地下道が続いているとは思いませんでしたよ。もちろん彼の後をつけたわけですが、地下の入口はふさがれてしまっていた。仕方なく地上を自動車で飛ばしてきました」


ベンジャミンはロンドンからトロッコか何かを使ってここへ来たのか。しかしグレンは彼の行先がローダーデイル家の地下だとどうやってわかったのか。レイラだって、今までここがローダーデイル家の敷地内だなんて知らなかったのに。


「あなたたちがここで怪しい実験をしているという予測はついていました。最初に子供たちの小屋を見せてもらいにきた、あのとき。メイズを調べさせてもらいましたからね」


「メイズ……あっ!」


そういえば、あのとき。彼は子供たちと鬼ごっこをすると言ってレイラを巻き込み、途中で自分とアルが鬼になると言って離脱した。


あれからレイラたちを捕まえに来る間、いや彼女たちが逃げている間、メイズの中を調べ回っていたわけか。


「メイズと、ここが繋がっているのね」


「そういうわけ。おそらく、子供たちの遺体の一部を保存する液体や医療器具、充電設備がメイズから運び込まれていたんだろう」


グレンはどうやらレイラたちの話を聞いていたようだ。


「私たちがあの夜に見た不審者は、おそらくこの二人の男のどちらか。屋敷に運ばれた荷物をせっせとメイズからここに運ぶ。その往復の間に私たちが発見してしまったのです」


アルが口を挟んだ。


(そうだ、猫のアルと夜中にメイズから人が出てくるのを見たっけ)


屋敷に運び込まれていた正体不明の荷物は、ここで使うためのものだった。だから使用人は開封禁止だったのだ。


「悲しい話だけどねレイラ、ここにいたセシル。彼女の行方がつかめない。おそらく、キャロラインの一部になってしまっているんだろう」


「えっ!」


誰にも挨拶をせず、養女に出されたというセシル。


(彼女も殺されてしまったというの?)


セシルの笑顔を思い出すと、どうしようもない悲しみと怒りがレイラを襲う。


「この新しい体も、いつどこが腐ってしまうかわからない。そうなったら替えのパーツが必要になる。だからあなたは必要なパーツを持った子供を集め、飼っていたんだ。必要な時が来る、その時まで」


グレンの説明を聞いていると、レイラは怒りのあまり、涙が出そうになった。


(子供たちはみんな、デボラ様を慕っていた。何の罪もないあの子たちを傷つけるなんて)


子供たちの顔が次々のレイラの瞼の裏によみがえる。


「グレンはその推理をしていたから、子供たちをローダーデイル家から孤児院へ移したのね」


「ああ。突然で可哀想だとは思ったけど、殺されてパッチワークにされるよりはいいだろ」


グレンが言葉を切ると、その場は一瞬静まった。鉄の卵に電気が通る小さなじりじりという音だけが不気味に聞こえた。


「そして、君が結婚させられる予定だった男の周辺も調べさせてもらった。すると恐ろしいことがわかったよ」


「恐ろしいこと? いったいなに?」


レイラが首をかしげると、デボラの喉がごくりと鳴る音がした。


「君の婚約者の父親は、医者を集めてクラブを作って活動しているようだ」


「そう言えば、ファインズ夫人が婚約者の父親が怪しげなクラブを作っているって言ってたっけ」


でも、医者さんの集まりがどうして怪しげなのか。レイラはグレンの説明を待つ。


「クラブは会員にならなければ中に入ることもできないし、どんな活動をしているのか知るよしもない。しかし、ひとつローダーデイル家との接点を僕は見つけた。それは、そのクラブの会員である医師が昔起こした事件のことだ」


どんな事件なのか、レイラには見当もつかない。グレンは落ち着いた声音で話を続ける。


「その医師は昔、外科手術した患者の臓器の一部を復元したり、異種の動物を交配させてキメラを作ったりと、それはまあ変質的な実験を繰り返していた。結局警察に見つかり、実験物は全て廃棄された」


「その人が私とどういう関係が?」


デボラが口を開く。その声は掠れていた。彼女の質問に、グレンは丁寧に答える。


「その時の報告書の中にこうあったのです。その医師は復元させた臓器を使い、人造人間の実験を行っていた、と」


人造人間。それは、目の前のキャロラインにぴったりの言葉だった。


「ここからは僕の推測ですが、おそらくあなたはその医師にこの体を作らせたのでしょう。その医師とのパイプを作ってくれた貴族に、恩を感じた。だからその息子にレイラを嫁がせる約束をしたのです。おそらく、レイラの不思議な力と引き換えに、末永く資金援助をしてもらうという条件で」


デボラ様の横顔を盗み見る。彼女は青い顔で唇を噛んでいた。どうやら、グレンの推測は大筋で当たっているみたい。


「というわけで、あなたの企みもここまで。観念しなさい、ローダーデイル伯爵」


グレンが話を再開すると、デボラは顔じゅうにシワを寄せて彼をにらむ。


「いったい何の権利があって私の邪魔をするの? 警察でもないくせに。首を突っ込んだことを後悔するといいわ」


そう彼女が言うと、ベンジャミンとセドリックが前に出た。ポケットを探って出てきた彼らの手には、ピストルが。


レイラは隙をついて逃げようとしたけど、すぐにデボラに捕まってしまった。


「たしかに僕は警察じゃない。でも、一応この件に首を突っ込む権利は有している」


武器を向けられ、グレンから敬語が消えた。


「どういうこと」


「僕は、いや我がランカスター家は代々王家に仕える秘密警察とでも言おうか。王室の特命を受け、普通の警察や軍では手に追えなさそうな事件を調査し、解決する権利を持っている」


「は? なにそれ、初耳なんだけど。ランカスター家って、そんな家だったの?」


思わずレイラが声を上げると、グレンは彼女にウインクした。


「王室とランカスター家の秘密だからね。知る人ぞ知る、ってやつさ」


ぽかんとするレイラの顔が面白かったのか、グレンは微笑んで説明を付け足した。


「父はある特命の最中に傷を負い、帰らぬ人となった。その跡を継いだのが僕。ハミルトン家の放火事件解決も、僕の使命だ」


只者でないとは思っていたが、まさかグレンが、そんな特別な一族だったとは。レイラは信じられない思いで彼を見つめる。


(そう言えばグレンのお父様は、ハミルトン家の事件を解決してほしいと言い遺して亡くなったと、さっき言っていたっけ)


だから女王陛下の名のもとに強制的にローダーデイル家の敷地に入り、子供たちを救出できたのだ。


「そんなおとぎ話、信じるものか。やっておしまい!」


デボラがグレンを指さす。すると、従者ふたりのピストルがグレンとアルに向けられた。


「やめてっ!」


引き金が引かれる。銃口が火を噴き、地下室じゅうに響いた銃声がレイラの耳をつんざく。


けれど、グレンもアルも撃たれることはなかった。それぞれ違う方向へ走りだす。


「くそっ」


セドリックたちは、なかなか次の弾を発砲できないでいた。流れ弾が間違って鉄の卵やその周辺の機械を傷つけてはいけないと思うからだろう。


グレンがステッキを片手で持ち、セドリックに向かう。至近距離で発砲された弾丸を人間とは思えない速さで器用に避けながら、ステッキを突き出す。ステッキはセドリックさんの脇腹を凪いだ。


「くっ……」


よろけたセドリックさんとグレンの間に空間ができる。


「銃を捨てろ、哀れな執事」


びしりとステッキを鼻先に向けられたセドリックはひるむことなく、素早く腕を伸ばし、銃口をグレンの額に向けた。


一方アルは、ベンジャミンを相手にしていた。ベンジャミンはセドリックより、銃を撃つ間隔が短い。


アルは猫のようにしなやかな動きで銃弾を避け、あっという間にベンジャミンの懐に入り込む。


「はっ!」


彼は素手で敵の手首を狙い、ピストルをごとりと床に落とさせた。敵がそれを拾い上げる前に素早くそれを蹴り、部屋の隅へ滑らせる。


アルが前かがみになっていたベンジャミンの腹部に膝を打ち入れると、彼はうめいてその場に崩れ落ちた。


その手をひねりあげて拘束しようとしたアルだったが、ベンジャミンが渾身の力を込めてそれを振り払う。それからは二人の肉弾戦となった。


アルの方が動きが素早く有利に見えるけど、ベンジャミンは大きな体で力がある。しかも必死で抵抗するから、なかなか決着がつかない。


(このままじゃ、絶対に誰かが怪我をする)


レイラとしては、グレンやアルはもちろん、今まで仲間だと信じていたセドリックたちにも、無駄な怪我はしてほしくなかった。だって、下手したら死んでしまうかもしれないから。


「デボラ様、もうこんなことはやめてください」


痛いほどの力で自分の腕をつかんでいるデボラに問いかけるレイラ。


「キャロラインは、本当にこんなこと望むかしら。自分のために他の子を犠牲にして、復活したいと願うと思う?」


「……黙りなさい」


視線を逸らしたままのデボラ。


「キャロラインはあなたの幸せを願っていたはずよ。こんなことになって、きっと悲しんでいる」


「黙れって言ったの!」


デボラは突然レイラを鋭くにらみつけると、彼女の腕をつかんだまま空いていた手で思い切り頬を打った。と同時に、腕をつかんでいた手を離され、レイラは床に倒れる。


「レイラ!」


グレンの声が聞こえる。


「あなたに……あなたに何がわかるの」


「デボラ様……」


痛む頬を押さえて見上げると、デボラがレイラを見下ろしていた。その目には涙こそ浮かんでいなかったけど、まるで泣いているように見えた。


「子供を産んだこともないあなたに、私や娘の何がわかるのっ!」


叫んだ彼女は、ドレスの袖から何かを取りだした。銀色に光るそれは、鋭いナイフだった。


「早く、早く力を覚醒させなさい。キャロラインの魂を、体を、あの幸せだった頃に戻して」


「無理よ……」


「やってみなければわからない。さあ、やるのよ! 嫌だと言うのなら、無理にでも言うことを聞かせてやる」


デボラはレイラの頭に手を伸ばした。避けなければと立ち上がった瞬間、長い金髪をとらえられる。強い力で引っ張られ、頭皮ごと剥がれそうになった。


「いたっ、痛い!」


「早くしなければ、この髪を切ってやる!」


髪を切るのが、女性にとってどれほどの屈辱か。同じ女性のデボラにわからないはずがない。いやだからこそ、そんなことを言うんだろう。


「切ればいいわよ! スキンヘッドになったって、覚醒なんてできないんだからっ」


レイラの大事なものを壊せば、それを取りかえそうとして時間を戻す力を覚醒させる。そんなデボラの思惑に反発する。


「こらレイラ、その美しい金髪を失ってはいけない。誰より僕が悲しむ」


相変わらずセドリックと攻防を繰り広げているグレンから声がかかる。


「こっち見てないで、集中しなさいよ!」


思わずレイラが脱力しかけたとき、セドリックがピストルの引き金にかけた指に力を入れるのが見えた。


「グレン!」


銃声がレイラの腹に重く響く。グレンがほんの少しだけのけぞると、鉄の卵の横の壁に流れた弾丸がめり込んだ。セドリックの顔が青くなる。鉄の卵を心配そうに見るデボラの力が、少しゆるんだ。


「そろそろ弾丸が切れた頃だろう」


油断したセドリックのピストルを、グレンがステッキで打つ。敵の手から離れたピストルは宙に弧を描き床に転がると、からからと乾いた音を立てた。


「ぐうっ……」


腕を押さえてうずくまるセドリック。


「さあ、僕のレイラを返してもらおう」


グレンがステッキ片手にレイラに近づく。アルはいつの間にかベンジャミンを床にうつ伏せにして体重をかけ、押さえこんでいた。


レイラの髪をつかんだままのデボラがじりじりと後退する。


「ううっ……近づくな!」


貴族らしからぬ言葉づかいでグレンに威嚇したデボラが、髪の毛をぐいと引っ張る。そうして引き寄せたレイラの首にナイフを近づける。


「どうして。娘にもう一度会いたいと思うのは、そんなにいけないこと?」


悲痛な声が、耳元で響く。


「どんな理由があろうとも、他の子供を犠牲にするべきじゃない」


レイラを人質にとられ、グレンが足を止める。そのバイオレットの瞳がデボラを憐れむように見ていた。


「いいじゃない。どうせ何の役にも立たない、労働階級の子供たちよ」


レイラは声は出せなかったが、心の中で叫んだ。


(労働階級の子は殺したってかまわない? そんなことあるわけない。貧しくたって、みんな必死で生きているんだ)


誰にだって、悲しむ親や友達がいる。そういう人がいない人間だって、生きたいという意思が本人にある以上、殺していいわけがない。


「申し訳ないが、共感はできないな。さあ、レイラを解放しろ」


グレンが片手を差し出す。しかしデボラは力を緩めず、急に笑い出した。


「はは……あはは、いいことを思いついたわ。協力してくれないなら、無理やり力を解放させればいいのよ」


狂気を孕んだ笑い声が切れた瞬間に息を吸い、デボラがレイラを見つめた。


「強がりで可愛くないあなたでも、自分の命が危険にさらされれば、屈服するしかないわよね」


デボラが突然、ナイフを頭の上に振り上げる。その鋭い切っ先は銀色の線を描いてレイラの方へ振り下ろされる。


(自分が怪我をすれば自分で治すしかない。そこで力を覚醒させると? そんなの無茶だわ)


恐怖で身がすくんだレイラは、その場に立ち尽くすしかできない。


「レイラ!」


グレンの声がした。レイラの視界の片隅に、何かが飛んできたのが見えた。


「つ、ううぅっ!」


飛んできた物がデボラの手首に当たる。床に落ちたそれは、グレンのステッキだった。グレンはそれを投げつけたのであろう姿勢で様子をうかがっている。痛む手首を押さえるデボラから髪の毛を解放されたレイラは、グレンの元へ駆けた。


「グレン……」


これでデボラの企みは潰えた。ホッとして両手を広げる彼の胸に飛び込もうとした瞬間──。


「グレン様‼」


アルの悲鳴のような叫び声が響いた。それをかき消すように、銃声が空間を切り裂く。


グレンの腹部に、ぱっと赤い花が咲く。その花びらはレイラの手の平にも降り注いだ。


「グレン……」


目を見開いたグレンが、自分の腹部を手で探る。その大きな手のひらにべったりとついたのは、彼の血液だった。


何も言わずに背を折り曲げたかと思うと、グレンはそのまま床に崩れ落ちた。


「グレン!」


彼の横に跪く。倒れたグレンの向こうでは、セドリックがピストルを構えていた。さっき落としたのではない、別のピストルがその手に握られていて、銃口からは細い煙が吐き出されている。


「そんな……嫌よグレン」


うつ伏せだったグレンを抱き起す。その瞳は固く閉じられていた。


「レイラさん、グレン様は……」


ベンジャミンを押さえつけたままのアルが問いかけてくる。グレンの頬を叩いてみるけど、返事はない。そのまつ毛はぴくりとも動かなかった。


「ウソでしょ、ねえ……」


グレンの腹部から出た血液が、ドレスの裾を濡らす。


(そんな、ダメよ。私、まだあなたにちゃんと伝えてない。好きだって──)


レイラのドレスにできた赤いシミが、どんどん広がっていく。


「グレン、グレン目を開けて……!」


レイラの目から頬を伝って落ちた涙が、グレンの頬にこぼれた。けれど涙を拭いてくれるはずの彼は微笑まない。かろうじて息はしているみたいだけど、それもだんだんと細くなっていく。


「はは、ははは……無様だわ」


手を押さえたままのデボラの高笑いが地下室に響く。


(こんなのダメ。このままになんてするもんか)


ここで自分が諦めたら、グレンは死んでしまう。デボラの犠牲になる子供も増え続けるだろう。レイラはキッとデボラをにらむ。


「このまま終わらせたりしない……!」


レイラは亡くなった母に想いを馳せる。


(お母さま、私に力を貸して。もし本当に私に時間を操る力があると言うのなら、グレンの体の時間を戻して──!)


人の記憶を見るときのように、手のひらに意識を集中する。すると、デボラの高笑いがやんだ。


「そう、そうよ。そうやって力を覚醒させるの」


目を閉じ、手のひらをグレンの腹部にあてたまま集中を高める。


(うるさい、黙っていて。私はあなたのために特別な力を求めているんじゃない。ただ愛しい人を守るため、この体に、血に眠る時間を操る力よ。目覚めて──!)


強く願う。すると前触れもなくふっと、レイラのまぶたの裏にある光景が浮かんだ。


懐かしい、白い城塞のようなハミルトン家。その中の子供部屋で、母が屈んでレイラの目をのぞきこむ。彼女は美しい金髪を結っており、瞳は新緑の若葉のようなグリーンをしていた。


『いいこと。あなたのなかにある力は、大きくなったらもっと強くなっていくことでしょう。でもそれをひけらかしたりしてはいけない。大切な人たちを守るため、本当に必要な時にだけ使いなさい』


母の言葉は幼いレイラには難しくて、よくわからなかった。けれどうなずいた方がいい気がしたから、彼女は黙ってうなずいた。すると母は優しく微笑んだ。


『奥様、ランカスター侯爵様がお着きです』


部屋の外から使用人らしき女性の声がする。母に手を引かれて部屋を出て、客人を迎えるためにホールへと向かう。


玄関のドアが開き、母に言われた通りにお辞儀するレイラ。頭を上げた瞬間に見えたのは、この世のものとは思えないくらい、まるで作り物みたいな美しい少年だった。


黒い髪、アメジストのような瞳。彼はそっくりの父親の横で、レイラに向かって優雅に微笑んだ。


(ああ……私、初めて目があったこのときに、すぐにあなたを好きになったんだった。今、思い出した)


温かい涙が、レイラの頬を伝う。


(ねえ、グレン。私たちが再会できたのは、きっと奇跡だったんだ。この素晴らしい奇跡を、こんな風に終わらせるなんてできないでしょう)


自分たちの周りで、たくさんの大切な命が失われてしまった。だからせめて自分たちは生き延びて、彼らのことをずっと覚えていなくては。レイラは決心する。


(そしてあなたは、もっとたくさんの人を救うためにこれからも頑張らなきゃいけない。そんなあなたを、私は全力で支えていくの。だって、私はあなたを愛しているから)


「うわ……っ」


体中から、今までなかった新しい力が湧き出てくるのをレイラは感じた。


(これが、お母さまの言っていた力?)


気を抜いたら暴走してしまいそうな風の塊のようなそれを抱きしめる。髪の毛が煽られ、レイラとグレンの周りをゆらゆらと泳いだ。


巨大すぎる力に、レイラの方が押しつぶされてしまいそうだ。でも、くじけるわけにはいかない。


レイラは抱きしめた力の塊を、再度手のひらに意識を集中させて収束させる。小さな光の玉となったそれを、グレンの傷に押し付けた。


「お願い、戻って!」


怪我をする前の体に戻れ。願いを込めて光の玉を押し付ける。レイラの指の間から眩しい光を漏らすそれは、次第にグレンの体に吸収されていった。


光が小さくなり、蝋燭のように消えていく。そっと手のひらを離してみる。するとそこにあった血液の跡が、綺麗になくなっていた。


「うっ……」


グレンの唇から息が漏れる。固く閉ざされていたまぶたがぴくりぴくりと動き、長いまつ毛が揺らめいた。


「奇跡だ……」


小さなアルの声が聞こえたような気がした瞬間、グレンのまぶたがゆっくりと開く。アメジストを埋め込んだような瞳がこちらを見つめた。


「グレン!」


レイラは喜び、起き上がったグレンに抱きついた。彼は不思議そうに自分のお腹をさすり、血が付かない手を見て首をかしげた。


「君、もしかして……」


彼が言いかけた瞬間、レイラの背後でデボラが動く気配がした。


「素晴らしいわ、レイラ。さあ、その力を私たちにも分けてちょうだい」


振り返ると、狂気を孕んだ瞳でデボラがレイラたちを見下ろしていた。グレンがレイラを守ろうと立ち上がる。彼女はその横にぴたりと寄り添った。


不意にベンジャミンの「ぐえっ」という声がレイラに聞こえた。そちらを見ると、アルが油断した彼の後頭部を殴り、気絶させていた。身軽に立ち上がった彼は一足飛びでセドリックの目の前に躍り出る。


呆気にとられていたセドリックの二本目のピストルを奪ったアルは、銃口を彼のこめかみにぴたりとあてた。


グレンがレイラを背中で守ったまま、床に落ちていたステッキを拾う。


「どうするレイラ。君が彼女に制裁を与えると言うなら、僕がやってやる」


それは、レイラの両親を殺したデボラを、グレンが同じように殺すということだろうか。バイオレットの瞳にはデボラに対する怒りの赤と哀れみの青が同居していた。


「いいえ、私が決着をつける」


グレンの後ろから出て、レイラは自らデボラに対峙する。


「キャロラインの魂の時間を戻します」


デボラの後ろにある鉄の卵とその中のパッチワークの体をレイラは見つめる。なんて悲しい光景だろう。


ゆっくりと前に進む。棺の前まで進むと、レイラはその上に手のひらを乗せた。グレンやアルは止めることなく、成り行きを見守っている。


「キャロライン。この中にいるなら、声を聞かせて」


さっきと同じ要領で、レイラは手のひらに力を集中させる。グレンの怪我を治すのに膨大な力を使ったのか、膝ががくがくと震えた。だけど、ここでやめるわけにはいかない。


「ここにある失われた魂よ──復活せよ!」


自分の体に残された全ての力を放出する。足元から風が巻き起こり、レイラのドレスの裾や髪を舞い上げる。


汗が噴き出た。まぶたは重く、腕はだるい。今にも意識が遠のいてしまいそう。ふらりと片足が後退したレイラを、誰かが後ろからそっと支えた。


「グレン」


「手伝うよ、レイラ。ほら前を見て」


言われて瞬きをして前を見ると、棺の蓋がゆっくりと開き始めていた。ハッとして手を離すと、重い蓋が手品のようにふわりと浮かんで床に落ちる。


「キャロライン!」


デボラが駆け寄ってくる。そのとき、棺桶の中から青白い光が飛び出した。タバコの煙のようだったそれは、だんだんと人の形になっていく。


『ママ……』


心に直接語りかけてくるような、不思議な響きの幼女の声が聞こえた。


(間違いない。キャロラインだわ)


レイラは確信した。キャロラインの記憶がレイラの中に流れ込んでくる。


『ずっと見てたよ。私、ずっとママのそばにいた』


今にも消えてしまいそうな震える声。


(ずっとそばにいた……そうなの。あなたは暗くて冷たい棺の中になんていなかった。ずっとデボラ様を見守っていたのね)


幼くして親より先立たなければならなかった彼女の苦悩を思うと、レイラの胸が締め付けられた。


「キャロライン、キャロライン……!」


デボラの目から涙が流れる。彼女の幻影を捕まえようとしたデボラの腕が空を切る。


「キャロライン、あなたのために新しい体を用意したのよ。まだちょっと傷が残っているけど、何度か手術すれば綺麗なるってお医者様が……」


傷というのは、パーツのつなぎ目のことだろうか。


「お願い、キャロライン。この体を使ってちょうだい。もう一度二人で幸せに暮らしましょう、ね」


涙を流しながら、我が子に懇願するデボラ。しかしゆらゆらと揺れる光のままのキャロラインは、悲しそうな表情をした。そんな風に見えた。


『ダメよお母さま、この体は使えない。だって、私の身体じゃないもの』


そう言うキャロラインの後ろ、鉄の卵から白い煙が何本も天井に昇っていく。電気の熱で何かが燃えているのかと思ったけど、そうじゃない。白い煙たちは次々に、人の形になっていく。


(もしかして私、ここにいる死者の魂をみんな復活させてしまったの?)


白いぼんやりとした彼らは、じっとデボラを見つめていた。みんな、悲しみや怒りを露わにしている。その中にはロンドンの子や、ローダーデイル家にいたセシルもいた。


(この子たちはみんな、キャロラインの体を作るのに殺された子供たち……)


レイラはぞっとすると同時に、悲しくなった。彼らはどんな怖い思いをして、この世を去ったんだろう。労働階級の子だって、生きていれば楽しいことがあったかもしれないのに。


「いいのよ、使いなさい」


『だめだよ……だってこの子たち、すっごく怒ってる……』


子供たちの亡霊は白いロープになって、キャロラインの周りをぐるぐる回る。あっという間に縛り上げられた彼女は、苦しそうな悲鳴を上げた。


「キャロライン! レイラ、レイラなんとかして!」


レイラには時間を戻すことしかできない。どうすればいいのか。


取り乱すデボラ様の前で呆然と突っ立っているしかできないレイラに、キャロラインが語りかける。


『いいの、お姉ちゃん。私はこれでいい……これでやっと、天国に行ける』


青白い光は、風の前の炎のように小さくなっていく。


『ママ、さようなら。どうか幸せに……』


白い煙に巻かれてもみ消されるようにキャロラインの魂は小さくなり、消えてしまった。


「いや……いやよ、戻ってキャロライン! いやあああぁぁぁぁあ……!」


デボラはその場で泣き崩れる。まるで悲鳴のような鳴き声が、地下室じゅうに響いた。


「やっぱりな」


レイラに寄り添っていたグレンが厳しい表情で言う。


「やっぱり?」


「人の体や物の時間を戻すことは出来る。でも、人間の魂の時間を戻すなんて、意味がない。彼女の魂は、伯爵と共にありつづけていたのだから」


すぐに壊れたり朽ちたりする体や物と違って、魂はそこにあり続ける。その時間は戻せない。


「じゃあ、私は何をしたの……」


キャロラインの魂は、今確かにここにあった。殺された子供たちは今だ白い煙となって鉄の卵の周りをふわふわ浮いている。


「これは推測だけど。君は僕と繋がったことによって、僕の力を中途半端に吸収してしまったのかもしれない」


「あなたの力?」


繋がったっていうのは、つまり初めてベッドを共にしたときのことだろう。


「グレンの力ってなに?」


追及しようとしたとき、床にうずくまってまるで黒い塊みたいになっていたデボラがゆらりと立ち上がった。


「ひどい子……わざと、あの子供たちも蘇らせたのね」


涙で濡れた瞳で、レイラをにらむデボラ。その瞳は怖いくらいの怪しい光を放つ。


「いいえ、違う」


レイラはキャロラインの良心にかけた。彼女の意志で、パッチワークの体を遣わないことをデボラに明言してほしかった。こんなひどい事はやめてほしいと実の娘に言われることが、彼女を止める一番の近道だと思ったから。しかし他の子供の魂まで呼び出してしまったのは、まったく意図しなかったことだ。


けれど、デボラにとってはどちらも一緒だったらしい。やり場のない悲しみをレイラに向け、つかみかかろうとしてくる。


「もうやめるんだ、ローダーデイル伯爵」


グレンがレイラの前に出て、その手を振り払う。よろけて後退するも、デボラは正気を失ってしまったような目で再度向かってこようとした。そのとき。


「はっ、ああ、うああぁっ」


鉄の卵の周りに浮いていた白い煙、つまり殺された子供たちの魂がデボラを取り囲む。虫を払うように手をばたつかせるけど、子供たちの魂はキャロラインにしたようにデボラを追いつめていく。


「グレン様」


アルの声がして後ろを振り返る。するといつの間にかベンジャミンとセドリックも白い煙に囲まれていた。アルはセドリックからピストルを離し、距離をとる。煙はアルには興味を示さず、セドリックだけに迫っていた。


「これは……」


煙は子供たちの泣き顔の形に膨らんだりしぼんだりしながら、三人を取り巻く。やがて子供の泣き声が渦となって部屋中に響き渡り、レイラたちの鼓膜を叩いた。


「怨霊となってしまった子供たちが、三人に復讐しようとしているんだ」


グレンは眉間にシワを寄せたまま、持っていたステッキの赤い宝石のついた柄を握り、ぐるりと回した。するとステッキの柄から先の部分が外れた。


「は!?」


グレンが持つステッキの柄に、銀色の刃がついていた。


「なにこれ、剣だったの?」


「これは、我がランカスター家に古くから伝わる剣。名前は付いていない」


そんな説明を聞いている間に、子供たちの怨霊はどんどん膨れ上がり、部屋中に白い煙として充満してきた。


「ああ、ああ……」


セドリックが頭を抱えてうつ伏せで倒れる。デボラはまるで踊っているように、ぐるぐると煙から逃れようと動き回っていた。


「キャロライン、キャロライン……」


本当の煙のように息が苦しくなってくる。子供たちの鳴き声が反響し、部屋の壁を揺らせた。まるで地震が起きているかのよう。天井も軋んでぱらぱらと土のようなものが落ちてきた。


(このままじゃ、私たちも巻き込まれてしまう)


しかしグレンは逃げようとせず、剣を高く掲げた。


「怨霊たちよ。可哀想だが、このままにはしておけない」


もともと不思議な響きを持っていたグレンの声が崩れかけた壁や天井に反響し、ますます奇妙な音の波を生んだ。


「ランカスター家の名において、お前たちを冥界に送る。この世から消え去り、安らかに眠るが良い」


グレンの言葉の意味がわかっているのかわかっていないのか、子供たちの魂が矛先を変える。それらはデボラたちを離れ、いっせいにグレンに襲いかかった。まるで、弾丸のような速さで。


「グレン──!」


呼びかけると同時に、グレンが剣を振り下ろす。白い塊となった子供たちの魂と衝突し、まるで裂けていくように白い帯が彼の後ろ、レイラの横を流れていく。


「消え去れ!」


グレンは叫ぶと、一度剣を頭上に上げる。跳ねあげられるようにした白い塊は、レイラたちの頭上へ。それを追うように、グレンが床を蹴る。


銀色の光が線となって斜めに空間を走った。白い塊は真っ二つに切り裂かれ、ふわりと浮く。かと思うと突然盛大に膨れ上がった。視界一面が白く染まり、レイラはますます息が苦しくなった。


「つかまれ、レイラ!」


グレンの声を頼りに、夢中で彼が差し伸べた手をつかむ。何が起きているのか聞こうとした瞬間、まるで何かが爆発したような轟音が鼓膜を襲う。爆風に巻き込まれたかのような衝撃に、レイラは思わず目を閉じた。

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