第3話 侯爵は遅れてやってくる
四日後。
馬の手綱を引いたレイラは、市場をのぞいていた。ローダーデイル家料理番のエリックのあとをついていく。
エリックはふとっちょのオジサン。三十五歳だけど、十歳くらい上に見える。それはふとっちょの上に頭が剥げかけているから。でも、レイラはいつも鼻が赤くてキュートな彼が好きだ。
食料の調達は毎日行うわけではない。せいぜい週に一回で、まとめ買いした食料でエリックがメニューを考え、やりくりしている。
「にんじん、たまねぎ……じゃがいもはたくさん欲しいな」
ころころと木製の台車を馬に引かせ、買ったものをそこへ積んでいくエリック。レイラは支払いをする係だ。
屋敷に食料を売りに来る商人もいるのだけど、デボラは貴族以外の部外者が屋敷に入るのを極端に嫌う。自然、使用人たちが市場に出かけることになる。
だけど、このところ市場にいる人が以前より減っている。店を出す人も少なくて、商品も少ない。野菜はしなびて細くなったようなものばかりで、美味しそうなものは数少なく、値段も高かった。肉も同じだ。
「この鶏肉をあるだけおくれ」
「へい。いいですなあ、貴族様のお食事は豪華なことで」
痩せこけた店主はへこへこと頭を下げながら肉を紙で包む。レイラたちがローダーデイル家の使用人だと知っているようだ。
レイラはともかく、エリックは幾度となく市場に足を運んでいるのだから、覚えられていても無理はない。一度見たら忘れられない様なファニーな見た目も手伝っていることだろう。
レイラたちは何店舗か回って長く保存できるような食料を調達し、台車いっぱいに詰め込む。自然、馬の動きは遅くなる。そんなとき、遠くから声がした。
「そんなに食べきれないほど買うからだろ」
「俺たちは少ししか食べられないで働いてるってのに、良い御身分だな」
ハッと振り向くレイラ。けれどそこには、いつもの市場の風景があるだけだった。こちらを見ている者は誰もいない。
「レイラ、気にしないで行こう」
エリックが穏やかに言う。
「でも……」
これほど聞こえよがしな陰口を叩かれたのは、レイラにとって初めてだった。
領内の管理はデボラの役目。彼女はやたらと税金を高くするようなことはなく、市井の人たちにも愛されていたはずだ。それなのに。
「心の慰めに子供を飼っているんだろ。そいつらを養っている税金を、平等に回してほしいもんだ」
(なんですって? 子どもたちを飼っている?)
デボラが自分の子供を亡くした慰めに、子供たちをペットのようにかわいがっていると思っているのか。
その乱暴な表現に我慢ができなくて、レイラは思い切り振り向いた。
「今暴言を吐いたのは誰!?」
腹の底から大きな声を出すけれど、どこからも反応はない。顔を見られてデボラに告げ口されれば、罰せられるとわかっているからだ。
「文句があるなら、手紙を書いて屋敷に送りなさい。デボラ様なら、きっと考えてくださる」
「やめなさい、レイラ」
エリックの太い腕に肩をつかんで引き寄せられた。
「彼らには便せんやインクを買う余裕はない。文字を書く教育すら受けていない者がほとんどだ」
「そんな……」
「僕たち仕様人は恵まれているんだ。言われても仕方ない」
エリックはレイラに言い聞かせると、「また来るよ」と市場に向かって手を振った。それに答える者はいなかったけど、反論もなかった。
ローダーデイル家が領地の物を買わなくなったら自分たちの収入がますます減る。だから面と向かってケンカを売ってはこられないのだろう。
市場から離れて町に出ると、エリックはゆっくりと話し出す。
「実はこのところ、不作が続いているみたいでね。地代を払えない者が増えている」
ローダーデイル家の領地の最大の収入源は、農業や畜産。それが天候不良で、今年はことごとく不作。家畜の飼料も少なく、各所に影響が出ているらしい。
たしかに、今年は年間通して雨の日が多かったかも……と、レイラは振り返った。
「だけどデボラ様は、今までと変わらない地代を取り続けている。それが不満なんだろう」
「そうなのね……」
「他の街のように、工場ができればもっと雇用が増える。けれど、自然を愛するデボラ様はそれをなかなか許可しない」
「そういえば、この前の貴族の集まりで、どこかの令嬢が『今まで手で編んでいたレースが機械で大量生産できるようになった』とかなんとか言っていたような」
そういった近代的な工場ができれば、たしかに雇用は増えるだろう。けれど工場を作るには、山や林を切り開かなければならない。
「地代を安くできないかしら」
「もちろん、デボラ様はそれも検討しているだろう」
エリックはそれきり黙ってしまった。きっと、検討はしているけれど、実施は難しいということだろう。
レイラはそれ以上余計な口出しはせず、黙々と歩くことにした。
街のはずれで、エリックが馬に跨る。
「さあ行こうレイラ」
「ええ……」
レイラが台車によじ登ろうとした瞬間、遠くで悲鳴が聞こえたような気がした。
「今のなに?」
「ん? 何か言ったか?」
エリックには何も聞こえなかったみたい。どうしよう。でも、気になる。
「エリック、先に帰ってて。私もう少し、みんなの話を聞いてくる」
「えっ。そんなことしてどうするつもりだい」
「どうもできないわ。でも、できる限り現状を把握しておきたいの」
「はあ……」
ぽりぽりと首筋をかき、エリックは弱ったように眉を下げる。
「わかった。じゃあ、帰りは辻馬車でも拾って、絶対に無事に帰ってくるんだぞ」
「ええ、もちろんよ。エリックも気をつけてね」
返事もまたず、レイラは街の方へ駆けだす。悲鳴が聞こえた方角には、労働階級の人々の居住区があった。
貴族の屋敷のメイドと思われないよう、頭につけていたキャップを外し、髪をだらしなく下ろす。エプロンはポケットに入らなさそうなので、そのままにしておいた。
(よし、これでどこからどう見てもその辺の乙女だわ)
黒いアフタヌーンドレスでは、すぐにメイドだと気づかれる。レイラは午前用のプリントドレスを着ていることを幸運に思った。
「ねえ、さっき悲鳴が聞こえなかった?」
街中で花をカゴに入れて売り歩いている中年の女性に声をかける。
「ああ、あんた知らないの? 大騒ぎになってるよ。人が殺されてたって」
「また人殺し?どこで?」
「あっちの川さ。橋の下で死体が見つかったと」
「そうなの。教えてくれてありがとう」
街中を抜け、川の方へ近づいていく。その途中でレイラが出会った人出会った人、ほとんどの人が痩せていた。
やがて坂道を下ると、川にかかった橋が見えてきた。その手前にたくさんの人が集まっている。
「ちょっと……ごめんなさいね……って、わあ!」
人の壁を押し分けていくと、濡れた土手で足が滑って転んだ。そのはずみで、レイラは集まった人々の一番前に出ることに。
「あっ!」
目に飛び込んできた光景に、思わず息を飲む。そこには、首都で見たのと同じような光景が広がっていた。
五歳くらいの小さな子供──ドレスを着ているから女の子だろう──が、血を流して倒れていた。ピクリとも動かないまぶたやその顔色から、既にこの世のものではないことがわかる。
この前の遺体と違うのは、右耳がちぎれてしまっていることだ。本来耳があるべき場所には、空虚な穴が開き、そこから噴き出たのであろう血が、彼女の顔を濡らしていた。
たしか前回の遺体は、口から血が出ていた。まるで、舌を根っこから引き抜かれたみたいに。
「ひでえことするもんだ」
「誰か親を連れてこいよ」
どこからか誰かが麻で編んだ敷物を持ってきて、遺体の上にかけた。
「警察には連絡したのかしら。ローダーデイル伯爵には?」
レイラが近くにいた少し年上と思われる青年に聞くと、ハンチングをかぶった彼はフンと鼻を鳴らした。
「警察も貴族も何もしちゃくれないさ。税金の取り立てや商売の取り締まりばかり熱心で、俺たち貧民が何人殺されようが、知らんぷりだよ」
「そんな。みんな、何とも思わないの? あなたたちの中に犯人がいるかもしれないのよ?」
レイラは悲運に見舞われた少女の遺体に近づき、ひざまづく。
(ねえ、あなたはなんという名前でどこに住んでいたの? いったい誰に、こんなひどいことをされたの? 私に教えてくれない?)
敷物から出ている彼女の指の先に、触れてみようかと思う。けれど、そんな意志とは裏腹に、レイラの手は全く動かなかった。
(私、怖がっているの……?)
単に遺体に触れることをためらっているのか、彼女が見た記憶を知ることを本能が拒否しているのか、レイラ自身にもわからなかった。
「なにしてるんだ。勝手に触っちゃいかん」
野次馬の後ろの方から声がした。そちらを向くと、警察の制服を着た小太りのおじさんがこちらに近づいてきていた。
「あんたは誰だ。この被害者に心当たりがあるのか?」
「いいえ。ただ、可哀想で」
先の質問には答えず、レイラはその場に立ちあがる。警察の登場で、野次馬の何人かは姿を消した。普段からやましいことがあるのかもしれない。その他の人は相変わらず周囲に残り、レイラたちを遠巻きに見ていた。
「捜査に協力させてください。ローダーデイル伯爵に事情を話せば了解してくれるはずです」
首都で起きたことには口が出せなくても、自分の領地でこんな残酷な事件が起きたんだ。自分の力が役に立つかもしれないことを、デボラはすぐに思いつくだろう。レイラはそう考えた。
だってレイラは、人の記憶が見えるのだから。この街のひとみんなと手を繋げば、彼女を殺した犯人が見つかるかもしれない。
「伯爵って……ますますあんたは誰なんだ。名乗りなさい」
「私はローダーデイル家のメイド、レイラです」
「メイド?」
警察官はレイラを上から下までじろじろと観察した。
「それを証明することは?」
「伯爵をここに呼んでくだされば」
そう答えると、警察官はため息をついてかぶりを振った。
「話にならない。たとえ本当に伯爵家のメイドだとしても、貴族でもない女が警察の仕事に首を突っ込むなど、ありえないことだ」
「でも……」
「さあ、行った行った。伯爵には黙っててやるから。ほら、お前たちも。散れ、散れっ」
自分ひとりでは、端から信じてもらえていない。レイラは肌でそう感じ、恥ずかしくなった。
今までレイラは伯爵家のメイドで、特別な力があるから、一般庶民とは一線を隔していると勘違いしていたかもしれないと思い当たった。本当は、この街の痩せこけた人々と、寸分違わないのに。
(私だって労働階級の平民なんだわ)
レイラはぐっと拳を握って、来た道を引き返した。
(──悔しい、悔しい!)
真相を明らかにできるかもしれない力が自分の手にあるのに、平民だというだけで何もできないのか。レイラは最低な気分で街を通り抜ける。早く馬車を拾って屋敷に帰りたかった。
「待ってくれ。綺麗な金髪のお嬢さん」
不意に後ろから声をかけられて、思わず立ち止まる。レイラのことを「お嬢さん」などと呼ぶのはグレンくらいだ。
けれど、振り向いたレイラが見たのはグレンではなかった。若く美しい侯爵とは似ても似つかない、粗末な格好をした痩せた若い男だ。目の周りが窪んで、頬骨が出ている。
「君、本当に伯爵家のメイドなのか?」
どうやら、さっきの警察官との会話を聞かれていたようだ。
領地の平民がデボラを良く思っていないことがわかった今、レイラはどう答えようか迷う。黙っていると、相手が先に二の句を継いだ。
「もし本当なら、俺と一緒に来てほしい。俺の仲間が、あの子供を殺した犯人を見たかもしれないと言っているんだ」
「えっ。それ、本当?」
「本当だ。だから君から、伯爵様にちゃんと捜査をして犯人を捕まえてもらうよう、頼んでほしいんだよ」
何もしてないのに、有力情報を手に入れた。なんてついているのかしらと、レイラは舞い上がる。
「もちろん、いいわよ。詳しい話を聞かせてちょうだい」
「ああ。こっちへ来てくれ」
レイラはうなずいて男の後ろをついていく。
(良かった。貴族は何もしてくれないと、諦めている人ばかりじゃなかったんだ)
早歩きで進んでいくと、だんだんと怪しげな雰囲気の街並みにさしかかる。路上で、厚化粧をした女性が男の人を手招きしていた。
(ここって、もしかして……)
歩みを止めそうになると、男にぐっと腕を引かれた。
「そう怖がらなくていい。ここは俺たち平民の社交場さ」
そう言われて引き込まれたのは、古い酒場だった。
六つのテーブルとカウンターがあり、そこかしこでガラの悪い男たちがビールをあおっている。カウンターの中では年老いた店主が居心地悪そうにしていた。
男たちは楽しくビールを味わってるわけではなく、日ごろの鬱憤を晴らすためにただ流し込んで酔っ払いたいという風に見える。誰の目も笑っておらず、どんよりと濁っている。
(この人たちが協力して子供殺しの犯人を捕まえてくれるようには見えない……)
だんだんと不安がレイラの胸に渦を巻く。案内してきた男を見ると、彼は今まで見せなかった獰猛な視線で私を見下ろした。
「おいおやじ、店の入口を閉めろ。窓もだ。全部」
「へ、へい」
「みんな、よく聞け。こいつは伯爵家のメイドらしいぞ」
酔っ払いの視線がレイラに集中する。
「貴族に対する憂さをこいつで晴らそうぜ」
どういう意味かわからず、レイラは大きな目を瞬かせた。
「へえ……いいじゃねえか。こんな小奇麗な娘は街にはいねえからな」
近くのテーブルに座っていた男がジョッキを置き、レイラを舐めるように見つめる。
「でも、大丈夫なのかよ。本当に伯爵家のメイドなら、バレたらとんでもないことになるかもしれないぜ?」
遠くのテーブルから声が飛んでくる。隣の男はにやりと笑って答えた。
「バレないうちに捨てちまえばいいんだよ。あのガキみたいに」
「な……っ。もしかして、あの女の子を殺したのはあんたたちなの?」
レイラの腹にふつふつと怒りが湧いてくる。しかし、男たちにそれ以上質問することは許されなかった。
「んんっ!?」
突然後ろから、布のようなものを口元に巻かれて驚く。ぎゅっと頭の後ろで何かを縛るような音がして、背中を突き飛ばされた。
転びそうになりながらレイラが振り向くと、店主がそそくさと店の奥に入っていくのが見えた。その手には、カーテンの切れ端のようなものが握られていた。
入り口を閉めていた店主がレイラの後ろに回り、切り裂いたカーテンを口に巻いていったことを、彼女はさとった。
テーブルにぶつかって踏ん張り、なんとか床に転倒するのは避けた。しかし、逃げる間もなく男たちに周りを囲まれる。恐怖がレイラの全身を駆け巡った。
両手をつかんで持ち上げられ、テーブルに仰向けに張り付けられる。
「誰が先にやる? おっと、俺に金を払ったやつからだぜ」
案内してきた男が卑劣な顔で笑う。
「せこいやつだな」
「金を払えねえやつは帰れ」
「払うよ、仕方ねえ」
テーブルの上に、男たちが小さなコインをぱらぱらと一枚ずつ投げつける。
やっと自分が何のために連れてこられたか理解したレイラは、自分の迂闊さを憎んだ。もっと他人を警戒するべきだった。
「見事な金髪だな」
「汚れる前に切っておくか。高く売れそうだ」
全身に力を込めて逃げ出そうとするけど、両手足を男たちにつかまれてそれは叶わない。
(誰か、こんなの夢だって言ってよ。私、どうなっちゃうの?)
レイラの瞳から、悔しさと恐怖で涙が溢れる。もう何も見たくなくて、ぎゅっとまぶたを閉じた。そのとき、閉じられていたはずの入口のドアが勢いよく開く。
「なんだ!?」
案内してきた男が入口を振り返る。
(いったい何が起きてるの? もしかして、警察?)
テーブルの上のレイラには、入り口が見えない。
「……その手をどけろ。彼女に指一本たりとも触れるな」
癖のある声が響いた。聞き覚えのあるその声に、レイラはハッとする。
押さえつけられていた身体から男たちの手が離される。テーブルの上で上体を起こしたレイラが見たのは……。
「グレン、侯爵……」
長身で黒髪、バイオレットの瞳を持つ侯爵と、その執事だった。
テーブルから降り、そちらに駆け寄ろうとする。けれど、男たちに腕をつかまれてしまった。
「誰だお前は」
案内してきた男が問う。しかし、グレンはその質問に答えはしない。
「触るなと……」
いつもより低い声が地面をえぐる。
「言ったはずだ!」
怒声がびりびりと空気を震わせた。
右手に持っていたステッキを剣のように持ち替え、その先を男たちに向ける。
「なんだこいつ……」
「きっとローダーデイル伯爵の手の者だ。返り討ちにしてやれ!」
明らかに上等な身なりをしているグレン侯爵は、貴族にしか見えない。貴族に反感を持つ男たちは、数で優位だと思ったのか、いっせいに二人に襲いかかる。
男たちは全部で二十人ほど。そのうち二人はレイラを捕まえているが、それでも敵の数が多すぎる。
「アル!」
名前を呼ばれた従者が主人の前に立つ。両手を顔の前に出したと思うと、背を低くしたまま走りだした。
アルは素早く男たちの腹の下に入り込み、みぞおちに拳を食らわせていく。ぐえっとうなり声を上げながら、男たちは倒れた。
(な、なんて速さなの)
常人離れしたアルの動きに、レイラは息を飲んだ。
「くそっ!」
後ろの方から、まだアルにやられていなかった男がイスを振り上げてグレンに迫る。
「侯爵っ」
思わず声が出る。両手で高く上げられたイスが、グレンの秀麗な顔面めがけて振り下ろされる。しかし。
ガキィと鈍い音がして、イスは止まった。イスの足の間に、横になったグレンのステッキがつっかえていた。
「そもそも僕は、他人の領地の問題に口を出す気はないんだ。そこにいる人を傷つけるつもりもない」
そう言いながら、グレンは横にしたステッキを押した。そんなに力を入れているように見えないのに、相手は椅子を持ったまま後ろにふっ飛んだ。
「けど、彼女に手を出したのなら話は別だ」
バイオレットの瞳が怪しく光る。彼はまたステッキを剣のごとく持ち替え、向かってくる男たちの手首を打って武器を落とし、胴を払って長い足で蹴り上げた。
「貴族めっ!」
逆上した案内をしてきた男が、ナイフを片手にグレンに突っ込む。
めちゃくちゃに突き出されるその切っ先をひらりひらりと避けながら、グレンはいつの間にか男の後ろに立っていた。
ステッキが男の首の後ろにとんと軽く下ろされる。たったそれだけで、男はがくんと膝の力を失い、顔から床に倒れ込んだ。
いつの間にか残っているのは、レイラを拘束している二人のみ。
手ぶらになったアルと、ステッキを持ったグレンがレイラを拘束している男たちの目前に迫る。
「まだやるか?」
妖艶なバイオレットの瞳に見下ろされ、男たちは息を飲む。
「す、すみませんでした~っ!」
レイラから手を離し、仲間を助けることもなく、男たちは全速力で逃げていった。支えを失い、彼女はへたりとその場に座り込む。
「大丈夫か」
グレンは膝をつき、レイラの顔をのぞきこむ。
「どうして……」
どうしてあなたがこんなところにいるの。どうして、助けてくれたの。そう尋ねたいのに、レイラはうまく声が出せない。
ホッとしたら気が抜けて、レイラの目からぼろぼろと涙が溢れた。侯爵の横に立っているアルがそれを見て、困惑した顔をしている。
「もう大丈夫だよ、レイラ。僕が来たから安心だ」
落ち着いた声のグレンは膝をついたまま、泣きだしたレイラを強く抱きしめた。その広い胸は温かく、余計に涙が溢れた。
(この人が来てくれなかったら私、乱暴されて、最後はあの死体と同じようになっていたかも)
レイラはすすり泣きながら、グレンにしがみつく。
「僕がそばにいる。何も心配しないでいい」
グレンはレイラを軽々と抱き上げる。レイラは彼にしがみついたまま、恐ろしい街を後にした。
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