〈リトル〉

『出産』と同時にパートナーは支給される。

 赤ん坊が初めて視るものはパートナーの姿、初めて触れるものはパートナーの躰、初めて聞くものはパートナーの声。パートナーと共に、彼等の人生は始まる。

 同時に、樹脂製の躰に搭載された人工知能は成長と適応を始める。何を好むのか、何を嫌うのか。主人の幸福を形成するために、自分はどうあるべきか学習を重ねる。どのように行動すればよいのか、どのような言葉を紡げばよいのか、主人の理想を実現するために変わり続ける。

 主人が言葉を理解する頃には、パートナーは学習を終えている。本人でさえも仔細に理解できていない自分のことを、パートナーはすでに、理解している。

 極地の理解者。

 主人の理想に従って行動し、主人の理想を裏切らない言葉を紡ぐ。

 優しさだけに満たされた関係、理想が体現された世界をパートナーはもたらす。

「優しい、言葉、ですか」

 メイヤーと別れ、宿舎のベッドに寝転び、少女は思う。

 だから、この国の人々はパートナーに夢中になるのか。

 それをおかしいと否定することはできない。人間同士の関係にも目を向けるべきだと糾弾することはできない。かつての自分もそうだったのだから。

 今でもあの人の言葉を思い出す。あの人の声が耳を過ぎる。

 優しさだけに満たされた声が、少女の頭蓋を揺らす。

 リトル。

 あの人は、少女のことをそう呼んだ。


 少女はポッドの中で目覚めた。無機質な、突出した特徴を持たなすぎる空間だった。

 一糸纏わない少女の体は、青い液体に包まれていた。生温かく、僅かに粘度を有した液体の中を揺れる球体が昇っていく。肌を掠めることで、それが空気だと認識する。

 今、初めて目覚め、思考を形成した。自我を獲得し、この世に誕生した。

 それなのに少女の体は赤ん坊のものではなかった。どれほどあるのか長く伸びた髪に、すらりとした手足。おおよそ贅肉と称されるものは存在しない。極端な栄養管理の末か、体質か、それとも別の理由か。少なくとも少女の意思の及ばないところでその体は形成された。

 思考の中には膨大な知識が流れ、言語も存在していた。誰かに教えられたわけではない。初めからそこに存在していた。まるで、コンピュータが処理のためにあらかじめ情報を入力されるように、少女の頭の中にも、誰かの手によって情報が与えられていた。

 その目的なんて分からないけれど、おそらく、よくないことのために。

 鞘に手を添わせ、軽く叩いてみる。幾千の鈴が鳴るような、積もり重なった金属の共鳴音が響く。美しいのに、妖しい音の群れ。少女は微かに肩を震わせ、不安げな表情を浮かべながら鞘の外側を覗く。足下で灯された照明によって鞘の中はこんなにも明るいのに、外には一切の明かりがなかった。まるで、視る必要のあるものが少女だけであるように。

 ヒトはいない。鞘が置かれた部屋には、少女の姿しかなかった。

 しかし、どこに隠れていたのか、多くの人間が少女の前に現れた。その人間達は、ある者は男で、ある者は女で、年老いていて、若者で、短髪で、長髪で、様々に異なる外見をしていた。けれど、少女を見る人間の目はどれも似通っていた。興味と探求心にだけ快楽を見いだし、禁欲的にそれを欲する、人間の業を押し固めたような瞳。おおよそ人間らしい感情は込められていない。少女に注がれる瞳は、科学者が実験体に注ぐものでしかなかった。

 大量の空気が足下から排出され、少女の体を覆う。溶液が徐々に抜かれていく。

 怖い。理由は分からないけれど、とにかく怖かった。

 自分を見つめる目が、それを擁する人間達が、徐々に現れる空気だけの世界が、鞘の外が、自分が、自分という生き物が堪らなく怖かった。

 溶液が完全に抜かれ、少女は空気に晒される。口を開くと空気が流れ込み、肺を膨らまし、全身に巡っていく。急激に圧迫された内臓が苦しく、空気が喉を出入りする感覚が気持ち悪く、吐きそうで、けれどどこか、懐かしくもあった。

 その全てが錯覚でしかなかったとしても、まだ、自分が人形であることを知らなかったための幻影でしかなかったとしても、まがりなりにも〈人間〉として生きている感覚に震える。

 鞘が開かれ、冷気が少女を包む。

 少女は喝采を浴びせられた。喊声に怯みながら、恐々と前を見る。

 おめでとう。

 後に少女を〈リトル〉と呼んだ青年は、熱に浮かれた眼差しで少女を見つめ、そう言った。


〈リトル、今日は疲れただろう。ゆっくりとおやすみ〉

〈リトル、美味しいクッキーがあるんだ。甘いのは好きかな〉

〈かわいいよ、リトル〉

〈リトルは自慢の子供だ〉

〈リトル、怪我をしているじゃないか〉

〈リトル、リトル、リトル。愛しているよ、リトル〉


 日々の訓練を終えて自室に戻ると、青年はいつも部屋の前で待っていた。

 少女はすでに自分が何のために生まれたかも、青年が自分を設計したことも、青年が自分を熱愛する理由も理解していたけれど、いつも優しい言葉と笑みで迎えてくれる青年のことを嫌いにはなれなかった。むしろ、青年のために役目を成し遂げようとさえ思っていた。

「今日はナイフでの訓練だったよ。内股のところにね、太い血管が走っているの」

「輸送期から飛び降りたの。空中で姿勢を制御するって難しいのね」

「見て、射撃の成果スコア。教官から褒められちゃった」

 機巧人形の少女リトルの生活は軍事訓練一色だった。それが人間を殺すための技術であることは分かっていたが、青年を喜ばすために少女は嬉々として夢中になった。

 人間紛いの人形は、来たるべき戦争に向けて着々と完成に近付いていく。

 そんな時だった。少女の同型機が〈事故〉を起こしたのは。

 意志をもった人形が人間の望むままに動くはずもない。そんな当たり前が示されたのは。

「廃棄処分ですか」

 淡々と訊ね返す青年に、リトルへの執着など見て取れない。

「表向きは倫理委員会からの訴状によるものだが、どちらにせよ感情を残したことは失敗だった。君のお気に入りハニーはよく懐いているようだが、それもいつまで続くか分からない。我々に管理され続けることに疑問を懐いたときには遅いのだ」

恋人ハニーなどではありません。あれはただの実験体です」

「我々も国外退去を命じられたが、研究成果は残されている。どこででもやり直せる」

「えぇ。もちろんです。次はもっと理解力のある支援者スポンサーを探しましょう」

 そこで、青年の上官は疑惑の色を浮かべた。

「私には、少々君が信じられんよ。正直なところ、君は反対すると思っていたからな」

「人形は愛でるものです。でしょう?」


 叫び声に、少女の意識は揺り起こされた。忍び足でベッドを抜け出す。窓の外を窺った少女は小さな悲鳴とともに仰け反り、その場で頽れる。時刻はまだ宵も終わらない頃で、昨晩から厚く垂れこめた雲が夜空の輝きを遮っている。それにもかかわらず、円筒形の外壁で仕切られた内側、少女がいるところは疑似的な朝焼けを迎えていた。

 朝焼けの元になる焚火は、いくら目を凝らしても変わることなく、ヒトの形をしていた。ヒトの形に造形された機械が、オイルの燃焼によって激しく炎を巻き上げながら燃えていた。

 喉を逆流してきた吐き気を抑えることができず、少女はその場で唾液とともに酸っぱい吐瀉物を撒き散らした。忠実なまでに人間を模倣した人形は吐くことさえできる。

 思考を停止させるな。四肢を奮い立たせろ。動け。

 脳の片隅で、誰かが叫ぶ。少女の聲ではなかった。

 縋り付くように窓辺へと歩み寄り、凍り付いたガラスに額を押し付ける。

 どうして。

 浮かび上がってくる思いはそんなものばかりで、少女の眼窩には青年の姿が浮かんでいた。彼ならば答えを教えてくれるかもしれない。そう信じて、少女は背後を振り返る。

 その瞬間ときだった。蝶番が外れるほどの勢いで部屋の扉が破られ、その裏から転がり込むように、黒装束くろづくめの人間が室内に踊り込んだ。少女が声を発する間もなく、人間の手に握られた物体が火を噴く。焼きごてを押し付けられたような、痛みを超えた熱さが頬にはしる。撃たれたのだと認識したときには、もう一発、弾丸が肩を貫いていた。

「あぁ――――ッ!!」

 悲鳴とともに蹲った少女に、容赦など微塵も持ち合わせていない闖入者は弾丸を埋め込んでいく。一秒も経たないうちに少女は腿と腹を撃たれ、流れ出した偽物の血を遠くから眺めつつその場に倒れる。揺さぶられる視界の中に、遅れてきたのかもうひとつの人影が割り込む。

「頭飛ばさなきゃ死なねえぞ!」

「分かってるよ!」

 飛び交う怒声の中、少女は無意識のうちに走り出していた。加速した思考と、過速した肉体が音速で放たれた銃弾を避けることを可能とする。

 それほど離れていなかった少女と人間の間隙はたやすく詰められ、人間の貌に恐怖が滲む。

 少女のこころは、怒りに満ちていた。

 指先に、眼球の潰れる感触が浸み込む。人間の頭蓋を叩き割った手が銃を奪い取り、隣に佇んでいた人間へと銃口を向ける。人間が撃った。少女も撃った。赤橙色の火花が人間と少女との間隙で散りばめられる。撃ち落されていると、目の前の怪物は放たれた銃弾を、応射する銃弾によって撃ち落としているのだと理解して黒装束の人間は戦慄く。

 助けてくれと懇願した人間に、少女は少女のために用意された銃弾を撃ち込んだ。撃たれるたびに衝撃で身を躍らせ、残弾が尽きて初めて倒れ伏す。

 頬を指でなぞると、体内のナノマシンがすでに修復を始めていた。塞がりつつある疵を指先で感じながら、青年のことを思う。彼はこのことに賛成したのだろうか。

「わからない、けど、もうここにはいられない」

 感情がすっかり死んでしまった声で少女は言う。

(私は、軍に造られて、いらなくなったから、棄てられたんだ)

 冷徹なまでの自覚。目を逸らすことはしない。

 戦場はここにあった。初めて人間から殺されかけ、初めて人間を殺した。少女の誕生した日が〈リトル〉の始まりだというならば、この夜が〈リトル〉の終わりなのだろう。

 どこに行くべきかは分からない。

 何をするべきかは分からない。

 逃亡の旅に意味があるのか、それさえも分からない。

 ただ、生まれてきた目的も果たさずに終わりたくはないと、少女は希求する。

 生きる意味レゾンデートルを探るために、少女は優しさで構築された世界から旅に出る。

 そうして、機巧人形へいきは旅人へと姿を変えた。

「優しさに、さようなら」

 桜色の唇が唱える。少女はベッドに横たわり、白皙の指先でメイヤーから渡されたものをなぞる。まだ目覚めてはいないパートナー。

 起動する気にはなれなかった。

 優しくなくていい。理想のままでなくていい。

 棄てられさえしなければ、生きていてもいいのだと言ってくれれば――……。


 その国でも探し人を見つけることはできず、情報もなく、三日間の滞在を終えた。

「ところで旅人さん、パートナーは起動してみましたか? 姿が見えないようですが」

「バギーは揺れますから、その、傷付いて欲しくなくて毛布で包んでいます」

「まあ、それはいいですね! えぇ、パートナーが私達を慰めてくれるんですもの! パートナーを守るのは私達の責務ですよね!」

 いじらしそうに頬を染めた少女へと、メイヤーは嬉しそうに声を弾ませる。人間に対してさらりと嘘を吐けるようになっただけ、少女は旅を通して逞しくなった。

「それではお気を付けて、旅人さん。パートナーとの人生に祝福を!」

 稜線の影に国壁が見えなくなるまでバギーを走らせ、ふと、少女はずっと抱いていた気がかりの正体に気付いた。

(そういえば、聞かれなかったな、名前)

 メイヤーは『旅人さん』と呼び続けた。

 名前は何ですか? 名前はありません。

 お約束のようになっていた怪訝なやり取りは、あの国では起こらなかった。

(パートナーとの幸福には、他者との関係どころか、名前さえもいらないってことか)

 少女は喉をきゅうっと鳴らすと、弾けるように笑い出した。アハハハハ、アハハハ。バギーの爆音に混じり、幼い笑い声が背後に流れていく。

 そんなところまで同じなんて。

 自分を〈リトル〉と呼んだ青年の名前を、少女は知らなかった。

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