ヒトを愛することをやめた国

パートナー

 無数のガラス管が敷き詰められていた。円周は七十センチ程度、高さは五十センチ程度。光の透過率、或いは屈折率を調節してあるのか中身を覗くことはできない。ガラス管には数本のケーブルが接続され、それぞれに黄地に黒の文字で注意書きが記されていた。

「せっかく見学に来ていただいたのに申し訳ありません、旅人さん。個人情報保護の観点から『出産』を迎えるまで内部を見ることができるのは医師のみと定められているのです」

「規則なら、守らなければいけませんね」

「はい。規則を遵守してこその円滑な運営ですから」

「出産と言いましたね。では、あれはその……母体の代わりなのですか?」

「言葉を選ばなくても構いません。そうです、あれは『子宮』です。内部は人工羊水で満たされ、それぞれのケーブルからは酸素と栄養分、その他、胎児の成長に必要な物質が送り込まれています。上蓋には温度調節器ヒーターが組み込まれており、人間の体温に保っています。また、ガラス管が設置されている床は可動式で、生活パターンを再現するように動いています」

「なるほど……」

「おや、あまり驚かれない」

「得心がいきましたので。この装置のおかげで、夫婦という概念が存在しないこの国でも子孫が残せているのですね。それでは、次の質問をしてもいいでしょうか」

「はい。といっても、何を聞かれるのかは分かり切っているのですが」

 案内人は苦笑交じりに応え、肩にとまっている『パートナー』を愛おしそうに撫でた。

「どうして私達が、ヒトを愛することをやめたのか、ですね」



 入国した旅人が見たものは、奇妙な生物を連れて歩く人々だった。正確には機械仕掛けの生物。透き通るような白皙の樹脂で造られた、小型の竜を模ったようなものを大切そうに肩に乗せ、誰もが幸せそうに歩いている。『竜』をしきりに撫でている人もいれば、顔を寄せてひそひそと語りかける人もいる。肩に乗せることが難しい子供の場合は、竜は樹脂の翼を広げて頭の隣でパタパタと飛んでいる。人間と機械が優しく調和した世界、されど、その一方で人間同士で話をしている姿は見かけない。連れ添って歩く男女も、親と喧嘩する子供も、肩を並べる友人同士の姿もなく、その国には人間によるコミュニティが存在していない。

(はて、珍しい国を訪れましたね)

 小首を傾げ、それから少女は、バギーのエンジンをかけた。ささやき声だけが聞こえる静かな通りに甲高い爆音が響いたが、それを意に介する様子さえも見られなかった。

 バギーに跨り、地図によれば国を東西に繋ぐ幹線道路を東へと進む。西側、背後には先程通ったばかりの門がある。国の中心部に向けてバギーを走らせること二十分、

(そういえば、この国に訪れてからというもの誰とも話していませんね)

 旅人の少女は思った。入国手続きは自動化されており、必要事項を機械に打ち込めば勝手に門が開いた。女声のアナウンサーが『地図を発行します』と抑揚のない声で告げ、地図が発行され、『まずはどちらに行かれますか』と聞かれたので「できるだけ安いホテル」と答えた。

『それではナビゲート致します。地図に従い、交通規則を遵守して移動してください』

 樹脂製の地図に現在地を示す光点と経路が表示され、さしあたって行く場所が決まった。

 ダララララと唸るようなバギーのエンジン音は、電気自動車が普及しているこの国では相当に目立つうえ、騒がしい。けれど誰も反応しない。その眼差しは機械でできた竜に注がれ、その言葉は竜とだけ交わされ、その心は竜にだけ向けられる。ざっと見渡しただけでも数百人がひしめいている道の中で、ただの一人も「人間同士の営み」をしている人はいない。

 冷め切っているようで、けれど彼等の眼差しは幸福に満たされている。

「うーん」

 少女は唸った。

「居心地が悪いですね」

 人間であることを求める機械仕掛けの少女にとって、すべての感情が機械にだけ向けられる様子は歓迎したくないものだった。けれど、自分は部外者でしかない。考えなしに口出しすべきことでもないだろうと見做し、少女は運転に集中する。それにしても、運転中でさえも竜との会話に夢中になっているせいで道路はひどい渋滞だった。

「あぁ、また赤信号」

 五十メートル先の信号は三回目の赤に変わった。一度の青で通行する車はせいぜい三台がいいところ。信号を見ずに竜を見ている彼等は青信号に気付かず、渋滞さえも見えていない。

「暇ですね」

 バギーの背もたれに倒れ込む。試しにわざとエンジンを吹かして爆音を轟かせる。

 誰も振り向かなかった。


 ホテルに着いても、誰とも言葉を交わすことはなかった。全自動化された手続きを済ませ、部屋に入る。説明書に曰く、この国に『ホテル』という施設はなく、国外からの来訪者に向けてのみ開かれた宿泊施設ゲストハウスがあるだけとのことだった。きめ細かな接客や行き届いたサービスを提供できない代わりに、施設の利用に対価は要らないとも。

無料ただなのは、いいことです」

 少女は満足そうだった。

 旅の間で汚れた衣服を洗い、ついでにたっぷりと時間をかけてシャワーを浴びる。緻密に人間を模して造られた機巧人形には『汗をかく』機能が備え付けられている。それを煩わしいと思うときもあるけれど、体を洗うことで爽快感を得ることには代えられない。

 なぜならそれは人間の営みそのものだから。人間に近しいことを感じられる瞬間だから。

 衣服を干し終え、熱いシャワーで火照った体をベッドに転がして幸せを噛み締めているときだった。部屋の扉が控えめにノックされた。脱力した体を起こし、重い足取りで扉に向かう。扉を開き、そこに機械ではなく人間が佇んでいたことに、少女はなぜか首を傾いだ。

「ようこそいらっしゃいました、旅人さん」

 二十代後半程の、黒髪を半分だけたくし上げた女性は感情の溢れる声音でそう言った。その笑顔の溌溂さ、人当たりのよい落ち着いた雰囲気、何よりもこちらを見て、国中の人々と同じように肩にとまらせた竜ではなくこちらを見ていることに虚を突かれ、少女は言葉を失う。

「ふふ、驚いていますね、旅人さん。私から話しかけられたことに」

 女性は愉快そうに頬をほころばせ、失礼してもよろしいですか、と他人行儀に訊ねた。

「……えぇ、どうぞ。私の部屋ではありませんから」

「今はあなたの部屋ですよ。正確には、今だけは、ですが」

 どこか皮肉交じりに応え、女性は室内に体を滑り入れた。

「改めまして、我が国にようこそいらっしゃいました、旅人さん。私は政府から派遣された国外執政官のメイヤーです。どうぞお見知りおきください」

「国外執政官ですか?」

「平易に申せば、国外の人との執務全般を行う役職です。そこには我が国を訪れた商人や旅人の案内と接待も含まれます。ガイドと考えていただければ結構です」

 ただ、と彼女は前置きしてから、国中の人々と同様の眼差しを肩の竜へと注いだ。

「私の専らの仕事は、彼のことを伝えるだけなのですが……」

 眼差しの熱は、竜を『彼』と呼んだ言葉にも宿っていた。ペットに向けるように『この子』と呼ぶことはなく、そこに飼う者と飼われる物といった線引きは存在せず、それだけで彼女が竜を対等に思っていること、或いはそれ以上の存在だと思っていることが窺えた。

「こんな言葉が適当かどうかは分かりませんが、あなたは彼を愛しているのですね」

「はい。私は彼を愛しています」

「こんなことを言っては気分を害されるかもしれませんが、それは機械ですよね」

「当然の反応です。その誤解を解くために、私はあなたの元に派遣されました」

 御足労願えますかと訊かれ、機械である少女は、だからこそ、その感情を知りたいと頷いた。


『病院』の次にメイヤーと共に訪れた場所は、その国の史料館だった。建国当初の開拓時代から現在までを追うように、当時の出来事を代表する史料や写真が展示されている。当たり前のようにと表現することは皮肉だが、写真には笑顔の人々が写されていた。彼等が視ているものは機械仕掛けの竜ではなく、家族、友人、恋人、あらゆる関係の『人間』だった。

「初めからパートナーに陶酔していたわけではないのですね」

「えぇ。パートナーが発明されたのは、ほんの二十年前です。それまでは、私達も他国の人間と同じように人間同士で愛を語らっていました。偉大な発明家、セレナが生まれるまでは」

「彼女が……彼の発明を?」

 旅人の少女が示した先には、敬意を表するためか、他の展示物よりもひと際大きく印刷された写真が飾られていた。肩に〈竜〉をとまらせた女性は、硬い表情をカメラに向けている。

「まさに天才でした。十八歳の若さで国内最高峰の博士学校へ入学した彼女は人工知能の研究に着手しました。機械工学にも精通していた彼女は、僅か三年後にパートナーの試作機を発表したのです」

「彼女はどうしてパートナーを作ろうとしたのですか」

「彼女の言葉を借りれば『人間は恋をするとバカになる』からです」

 セレナの家庭は、決して幸福とは言えなかった。物心ついたときから、彼女が最も多く耳にしてきたのは両親の諍いの声だった。父親か母親か、どちらかに明確な落ち度があったなら、憤慨を支えるだけの過失があったなら看過できたかもしれない。だが、諍いの理由は些細なことでしかなかった。常識の尺度で測ればたわいないことで、両親はすぐに感情的になった。

「彼女の家庭が稀なケースであったことはもちろん理解しています。けれど、それは決して私達にも当てはまらないとは言えないものでした。たとえば、旅人さんが待ち合わせをしていたとしましょう。相手が三分遅れたとします。旅人さんは怒り狂いますか?」

「いいえ、そこまではしないでしょうね」

「体調の悪いときに気付いてもらえなかった。酷い人だと相手を責め立てますか?」

「いいえ、言わなければ伝わらないこともあるでしょう」

「旅人さんの仰る通りです。私達は、理性的な判断として、些細なことに目くじらを立てていれば人間関係が立ち行かなくなることを知っています。けれど、揺らぐはずのない理性は、恋をするだけでいとも簡単に崩壊します。愛しているのだから気付いてくれるはずだ、愛しているのだから理想通りに振る舞ってくれるはずだと自分勝手なユメを押し付けようとします」

 そこで、メイヤーは咳払いをした。

「人間は恋をすると理性よりも感情を優先しようとします。バカになるのです」

「……けれど、現実としてあなたは恋をしていますよね。『彼』に」

「えぇ、していますよ。人間同士では望むべくもない高尚な恋愛を」

 すまし顔でメイヤーは答える。

 誇りの裏側に、今もなお人間同士で愛を語らっている人々への侮蔑を含めながら。

「彼は決して、私を傷付けることも、私の理想から外れることもしないのです!」

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