想像できるものはいずれ実現される
「さて、この後はどうしましょう。観光を続けますか」
問われ、旅人の少女は首を振った。
「人が集まるところ、ないしは人探しに向いた場所に案内してもらいたいのです」
「それはもしや、旅人さんが旅をする理由に関係するのですか」
「えぇ、そうですね。旅をするから旅人だなんて斜に構える必要もありません。私の旅には明確な意図、果たそうとする目的があります」
「事情を聞かせていただくことは、できませんか。あなたに協力する意味でも」
はたと悩む。ある意味でそれは予期された展開でもあった。秘密が孕む香ばしさ、他人の事情の奥ゆかしさに群がろうとする習性は、意識するにかかわらず、ヒトの性のようなもの。面と向かって「私には秘密があります」とちらつかされようものなら暴きたくなるのがヒトの情。理解できる感情だからこそ厄介であり、自分にも覚えがあるからこそ向き合うべき課題となる。
「……私はあなたの芸術を知っています。国に背いた工房の存在を知っています。私は旅人だから、たとえこの国でいざこざがあったとしても国外に逃げるという手が取れます」
「ぼくは旅人さんが『悪い芸術』を所持していることを知っていますが、さして効果はないでしょうね。あなたが明かす情報次第で脅迫関係にはなれるかもしれませんが」
「私の方が優位の脅迫関係です。ナユタさんには逃げるあてがありません」
「他言無用ということですね。それと、本当に隠し通しておきたいならば名前のようにしらばっくれればいい。何か、ぼくを利用するメリットでも見つけたのでしょうか」
沈黙で肯定を表す。少女は窓辺に歩み寄るとカーテンを引き、外からの目を遮る。次いで睨め付けるように部屋の中を見回し、すぐに緊張の糸を解れさせた。
(別に監視社会というわけではないのですね)
それからナユタに向き直り、二人は向かい合わせで椅子に座った。少女の貌から感情の起伏を読み取ることは難しい。動揺を平静に紛らわせ、昂ぶりを極限まで抑え付ける術を――感情の発露を殺す術を少女は会得している。対面するナユタの方が気圧され、唾を呑み下す。
「……いくら言葉を重ねるよりもたった一度の目撃した事実の方が、真実として刻まれる。人間は可視化された現象、或いは存在を否定できない。ナユタさん、驚いていいですよ」
少女の手が持ち上げられる。両側から挟み込むように頬にあてがわれ、僅かな静止、後に首が左右に動く。歪なまでに滑らかに動く。連続していた肉肌に明瞭な切れ目が現れ、切れ目に沿って首が可動限界を超えて回る。そして切り離される。頭部と胴体が分かたれ、少女は自分の頭を自分の手で持ち上げて胸の前に下ろす。首の切断面からは透明な細い管が何本も伸ばされており、それは胴体へと接続している。管の中を明滅する緑光が絶え間なく通過する。
「機巧、人形」
それまで人間だと認識していたものが突如として機械へと変貌する悍ましさ。
「人間では、ない。そんなことが、あり得るのか。そんなことが実現されたのか」
「想像できるものはいずれ実現されます。私はすでに存在しています」
「…………すいません。あなたと手を繋いでもいいですか?」
「構いませんよ。どうぞ」
「温かい。熱がある。柔らかい、人間の肌そのものだ。血液が流れる様子さえも窺える。ああ……そんなところまで、汗が滲んでくるなんて、これほど人間に近いのに――機械の躰」
信じられないというより、信じたくないと思う。人間だと思っていた相手は機械でしかなく、生命の絲を編み込まれておらず、自分とは違う存在だなんて。今も、ナユタは悪い夢を視ているときのような酩酊感に溺れている。たとえば少女が初めに首を外さず、言葉だけで「私は人間ではない」と断ってから外したならば、こんなにもショックを受けることはなかったのか。
(いや、違う。そうではない)
この悍ましさは、少女が機械であることに向けられてはいない。それは原因ではない。
(機械のはずなのに、機械でしかないのに、こんなにも人間らしい。それが怖い)
機械だと語るならば、もっと機械らしくあって欲しい。人間と区別しやすく鋼の肌を持ち、プログラムされた言葉しか話さず、感情はパターンのみであって欲しいと、勝手ながら思わずにはいられない。熱を孕み、やわらかな肌とか、呼吸とともに上下する胸とか、豊かな言葉、瑞々しい感情を備えていて欲しくなかった。人間の殻を被っていて欲しくなかった。
そうでなければ、こんなに失望しなくてもよかったのに。怒らずにおれたのに。
「優しいんですね、ナユタさんは」
少女は絹糸のような笑みを浮かべる。
優しいのだろうか、と痺れた思考の端で思う。
「旅人さんは、どうして造られたのですか」
違っていて欲しいと、懇願するような声音。けれど、青年の理想論を叶えてくれるほどには世界は優しくなく、合理的で、どんな愚行にも、どんな蛮行にも相応の意味がある。
「機巧兵、或いは機巧人形」
旅人の少女は、否、少女を模った機巧人形は静かに切り出す。
「この世界はある意味で機巧技術によって支配されています。人間が武器を取り、人間同士が殺し合う戦争は時代錯誤のものとなって随分と経ちます。機巧兵の保有数こそが軍事バランスを決定付け、機巧兵を保有できない国、他国から購入するだけの資産がない国、入手したとしても管理するだけの技術を持たない国は、間接的に、技術を持つ国の隷属国に他なりません」
世界は機巧兵によって守られ、世界は機巧兵を怖れている。
「例え話をしましょうか。私は先日入国しましたが、もしも私が機巧兵を隣に立たせていたとすれば、ナユタさんはこうして私と話をしていますでしょうか?」
「そんなはずはありません! 機巧兵が自国を離れ、あまつさえ他国に入ろうとするなど、それは事実上の宣戦布告に他なりません! あなたは治安局に拘束され――……」
そこでナユタは言葉を詰まらせた。目の前にいる少女が機巧人形である事実を再認識して。
「そう、私は何ら警戒されることもなく入国しました。人形だと見破られることはなく、たとえ腰に武器を提げていても、さしたる脅威にはなり得ない、ただの少女だと見做されました」
その外見にも理由はあったのだろう。年端のいかない、華奢な少女としての姿。庇護欲をそそられるほどに脆弱な姿に対して、警戒心を抱けという方が無理な話だった。
病弱なほどの肢体を組み敷くことなど、自分にもできると思えてしまうのだから。
「想像してみてください。私のような機巧人形が次々と国を訪れ、見破られることもなく内部に這入り込み、国の中枢で一斉に本性を露わにしたとすれば――……持ち堪えられるはずがありませんよね? 人間にしか見えない人形とは、それだけで脅威になり得るのです」
ナユタの背筋を汗が伝う。すでに実例は見せ付けられた。いつもの喫茶店で珈琲を飲んでいるあの人が、公園で犬を散歩させているあの人が、自分の生活を取り巻いている無数の人々が人間でないかもしれない。この国の大半はそうした人外の侵入を許しているのかもしれない。
「……安心していいですよ。そんなことは、もう起こりませんから」
動揺するナユタを宥めるように、少女は優し気に笑んだ。
「後にも先にも、人間紛いの人形は、もう私しか残っていませんから」
朗らかすぎる物言いに虚を突かれ、ナユタは言葉の意味を訊ねようとする。
「ヒトを探しています」
告げられるのはここまでだと、少女は冷ややかに切り離す。
「何のために、探しているのですか?」
誰を探しているのかとは訊ねなかった。人造物である少女と関わりのある人間なんて、過酷な旅に身を投じてまで探そうとする人間なんて、分かり切っていた。
「復讐のためですか?」
少女を造った人間、そして、おそらくは少女を捨てた人間。彼女にとっての創造主。
神を殺すために。人間ではいられず、機巧人形としてもいられない呪われた少女は、復讐だけを胸に旅を続けているのではないか。
「いいえ、ナユタさん。そうではありません」
信じて欲しいと訴えるかのように、痛切な響きを孕んで少女は首を振る。
「私はただ、自分が人間であることを確かめたいだけなのです」
鉛筆を走らせる音が、軽やかに響く。
何も存在しない空中に、淡緑色の映像が映し出されていた。映像の出処は、機巧人形の少女の目。彼女の人工網膜から放たれたレーザーが空気をプラズマ発光させ、ホログラムの投影を可能としている。ナユタは精緻な手付きで、映像をスケッチブックに写していく。
「……彼が、旅人さんの探し人ですか」
「はい。私を造ったヒト、私にとっての創造主です」
「けれど、わざわざ模写せずとも、ネットワークを通して外部端末で印刷すれば早いのでは」
「追われていると言えば、分かりやすいでしょうか。もちろんネットワークにアクセスする機能も私には備わっています。むしろ演算速度の向上には不可欠とも言えます。けれど、繋げればログが残る。プロトコルを偽造したところで大した時間稼ぎにはならないでしょう」
「なるほど。それで、ぼくみたいな人間が役立つということですか」
そこで、はたとナユタは気付く。
少女の感情の機微があまりにもなめらかなことに。
「訊いてもいいですか」
「どうぞ」と答えた少女の声音は、訊ねられることに予想が付いているようだった。
「外部機関を挟まず、不自然なくそこまでの意思疎通を可能にするだけのAIが開発されたという話は聞きません。まぁ、旅人さんの存在自体がイレギュラーなので、ぼくが知らないだけで実現されていたとしても不思議ではないですけれど」
「答えはノーです。肉体は作れても、人類は未だ『心』を作り出すことはできていません」
「それでは……どうやって……」
「簡単です。作れないなら、生身のものを流用すればいいのです」
パキリと、鉛筆の先が折れた音がした。
ナユタは貌を上げ、信じられないと訴えるかのように少女を凝視する。
とかく、想像できるものはいずれ実現される。感情を置き去りにして、倫理を蔑ろにして。
「私の体は純粋な機械ではありません。その一部、脳幹だけは生身の人間のものです」
その言葉はあまりにもちぐはぐだった。普通は逆だろうと思わざるを得ないほどに。人間の姿を模った、人間にしか見えない少女が『一部が機械』ではなく『一部が肉体』と表現するなどあまりにも滑稽で、ああして首を外されなければ、信じることなどできなかっただろう。
(……だから、彼女の旅は『人間であることを確かめる』ものなのですね)
腕や足、眼球や心臓など肉体の一部が機械に置き換わったとしても人間でなくなるわけではない。肉体の半分以上を機械化するようなことがあるのかどうかは別として、それでも、大半が生身のものに依る以上は人間と見做して差し支えない。
それでは少女のように肉体と機械の比率があるまじきレベルにまで逆転し、存在する『肉体の部分』が脳幹だけだったとすれば、その臓器の人間にとっての重要性を鑑みたとしても、
(それは、人間とよぶことが許されるのでしょうか)
或いは、母親の胎から生まれたのであれば、そうなったとしても人間と認められただろう。けれど少女にはそれさえもないのだ。他人の手によって組み上げられた
「……いえ、違う。違います! 脳だけでも人間のものならば、旅人さんにも!」
その脳幹をかつて保有していた人間がいるはず。
どのようにして世界から抹消されたのかは分からずとも、彼女にも血の繋がりがあるはず。
「そういうことなのですね?」
「……えぇ、私が一体誰だったのか。誰何の疑問に答えられるのは私を造ったヒトだけです」
故に彼女は探している。
自分の創造主に、自分はかつて何者だったのか問い質すために。
「それを知ったところで、私が人間であると確かめられるかは分かりません。それでも知りたいのです。私はかつてどのような髪の色をしていて、どのような瞳の色をしていて、何を好み、何を嫌い、両親の顔はどんなものか、兄弟はいたのか、どのように――……世界と繋がっていたのか。どうして機械の躰に移される他になかったのか」
少女は訴求する。自分のルーツを知りたいと、灼けるほどに焦がれる。
「何も、憶えていないのです」
寂しそうに唇を震わせ、過去を失った少女は、自分の背後を覗きたいと希求する。
「…………旅人さんは、人間だと思いますよ……」
「優しいですね、ナユタさんは」
二度目の言葉は、どこか突き放すような響きを孕んでいた。
「私はまだ、自分のことを人間だなんて思えません」
なぜなら、ここにあるものは全て偽物なのだから――……。
(体も、記憶も、私を構成する全てが、私以外の人間によって構築されているなんて……)
それ以上に寂しいことなんてない。
せめてもの救いがあるとすれば、それは自分の出生を探る以外にないのだと、彼女は思う。
ナユタの描いた絵により、旅人の少女の人探しは呆気なく終わった。この国にはそのような人間は住んでおらず、また訪れたこともないという結果で以って。
「助かりました。やはり、言葉でどうこう伝えるよりも映像を見せる方が効率的ですね」
ナユタが操るトラックの助手席で揺られながら、少女は手元の紙を見つめる。
「ふふ、おかしくなるくらい似ていますね。本当にナユタさんは、素敵な絵を描かれます」
その声音からは、絵の人物に対する恨みといった負の感情を読み取ることはできない。
けれど、だからといって「旅人さんはその人を恨んでいるのですか」と訊くことはできない。その権利すら青年にはない。代わりに彼は背広の胸ポケットから小さな模造紙を取り出した。
「どうぞ、この国の想い出に」
訝しむように首を傾げながら、少女は模造紙を受け取り、
「どうにも時間がかかっていたと思えば、こういうことですか」
とても愉快そうに笑みを浮かべた。
そこに描かれているものは、透けるような白髪と、燃えるような赤目の少女だった。
「旅人さん。こんなことをぼくが言う権利はないと思いますし、それはあなたを傷付ける言葉かもしれません。けれど、ぼくの絵を美しいと、好きだと言ってくださったあなただからこそ伝えます」
そこで一度、躊躇うように息を吸い、
「ぼくは旅人さんが人間だと思います。誰が何と言おうと、たとえ旅人さんが認められないのだとしても、ぼくが心を通わせたあなたは人間に変わりないと断言できます」
今にもはち切れそうな表情で、青年は訴えた。
「だって、旅人さんはそんなにも醜いのですから……」
ナユタという青年が、大衆よりも優れた『目』をもった芸術家が少女を見つめ、完成された美である人形をモチーフにしておきながら、描き出されたものはあまりにも歪んでいた。
「…………訂正しておきますね、ナユタさん」
意趣返しとばかりに少女は告げる。
「あなたはまだ、芸術家にはなれません」
少女は絵をそっとしまい込み、胸を押さえると車窓の外へと顔を向けた。
「女の子を泣かせる芸術なんて――……悪い芸術です」
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