滑稽な劇
城下に現れた少女を機巧兵が認めた。
「旅の者です。この国では王妃選定をしていると聞きました。私も候補に入れますか?」
見定めるように機巧兵の眼が動く。広場での出来事。この国に渦巻く事情は、当然ながら旅人も知っていると王は考えるはずだ。それでものこのこと現れ、あろうことか選定に加えて欲しいと訴える彼女は警戒されなければおかしい。門が開かれなければ強行しようと、少女は腰の銃器に指を添えた。だが、機巧兵はあっさりと道を開ける。
エントランスホールに入った少女を待ち受けていたのはまたも機巧兵だった。
『ようこそいらっしゃいました。
「いいえ」
『それではこちらで用意させて頂きます』
そこで、機巧兵は少女の腰を指差した。
『お腰の武器はお預けください。花嫁には物騒な代物です』
少女は抵抗することなくホルスターごと銃を外して機巧兵に預けた。また、太腿のポーチから予備の弾倉を、腰の背後に取り付けていたナイフ、その他にも体のあちこちに仕込んでいた武器を取り出す。最終的に預けたものは銃火器が二挺と弾倉四本、ナイフが五本、手榴弾が三つ、粘土状の爆薬と信管を合わせて二つ、煙幕噴射筒二本となった。
『あなたは戦争屋ですか?』
「いいえ、普通の旅人です」
『旅人とは物騒なのですね』
人工知能さえも呆れ返ったのか、機巧兵は抑揚のない声で言った。それともあれは、機巧兵の眼を通して少女を見つめていた王の言葉だったのかもしれない。
『他にはありませんね?』
「あぁ、もうひとつありました」
前髪を留めていたピンを外す。ピンの一端は取り外すことができ、毒針が仕込まれている。
『………………』
さすがに機巧兵も言葉を失った。
全ての武器を包み隠すことなく手渡して、丸腰となった少女は客室に通された。機巧兵が持ってきた婚約衣装に着替え――不思議とサイズは合っていた――部屋にひとつだけ置かれた椅子に腰かける。正面の壁にはモニターが埋め込まれていた。
(さて、どうなるのでしょう)
少女の目に緊張の色はなかった。不安の影はなく、理性が静かに揺らめいている。
プツリと音を立てて、モニターに文字が表示された。
「生き残れば、外に出られる?」
首を傾げた少女の真横で扉が動き、隠し通路を露わにした。
「魔窟への案内ですか」
少女は毅然と立ち上がり、怯む様子など見せずに通路に入る。背後の壁が閉まり、退路は断たれた。前に開けるのは湿った煉瓦の道だけだ。等間隔に設置された照明が明かりを投げかけるけれど、奥へ向かうにつれて闇は深くなり、背筋を掻き撫でる雰囲気を醸し出していた。
ヒールの高い靴を響かせながら、少女は通路を進む。この光景には、この空気には覚えがあった。人間の陰惨さが蜷局を巻いたときにだけ現れる、醜悪な空気だ。
最奥まで進むと扉があった。この先は地獄だと、少女の脳が訴えかけてくる。
「地獄なんて、もう、たくさん見てきた」
少女は静かに吐き捨て、扉を開く。覚悟はできていても、扉の向こうの光景は残酷だった。
石造りの広間だった。広間には少女の他にも人影があり、それは全て花嫁衣裳の乙女だ。広間の手前半分、乙女達がいるところには鋼の剣や棍棒、槍などの武器が散らばっていた。奥では一人の男が豪勢な椅子に腰かけており、彼を守護するように機巧兵が壁となって立ち並ぶ。そして、男の周囲には数多の花嫁達が、串刺しとなって突き立てられていた。
そう、串刺しだ。股座から顎にかけて鉄の棒で貫かれ、床に固定されている。すでに腐りかけて蛆がたかっているもの、まだ新しく血が乾き切っていないものまで、何十人という乙女が見るも無残な姿で飾られていた。
少女は理解した。少女以外の乙女も理解した。
生き残れば外に出られる。生き残らなければ、串刺しにされて飾られるのだと。
だが、玉座の男の真意を理解したのは少女だけだった。これ見よがしに散りばめられた武器の数々、広間で吊るされていた血まみれの花嫁。あの男がさせようとしているのは、
「ようこそ! 吾輩のグランギニョルへ! 生き残れば外に出られる! 外に出たくば生き残れ! 殺されるより先に殺せ! 殺して、殺され、花嫁達よ、血まみれになれ!」
乙女達による殺し合いだ。殺し合いに勝ち残った者だけが外に出られる。ただし、死体として。生き残った乙女も結局は男に殺され、親兄弟の前に死骸を晒されるだけだ。
救いなんて初めからない。これは男の嗜好を満たすためだけの
こんな茶番に付き合う必要はないと、旅人の少女は玉座を見据えた。次の瞬間、銃声が聞こえた。少女の視界に朱が差し込む。自分の血ではない。では、誰のか。
横を見て少女は悲しみに溺れた。少女の隣にいた乙女の首から上が無くなり、強引にちぎられた頸動脈から、真っ赤な血が噴水のように溢れ出ていた。
前を見て、少女は怒りに燃える。機巧兵が構えた銃から硝煙がたなびいていた。
広間を埋め尽くすように悲鳴が湧き上がった。何もしなければ殺されるだけだと、殺し合いをしなければ生き残れないのだと、歪んだ強迫観念が乙女達を支配する。我先にと武器を拾い上げ、狂気と錯乱に見舞われた乙女達の中で、少女だけが微動だにしなかった。真っ直ぐに玉座の男、狂乱の王を見据えていた。あれは排除してもよい人間だろうかと悩む必要などなかった。少女は慟哭に心を震わせながら、男へと鋭敏な敵意を剥き出しにする。
ふと、背後に気配を感じて少女は体を沈めた。そのまま棒立ちでいたならば首が刎ねられていた場所を、鋼の剣が通り過ぎた。少女は振り向きざまに距離を取り、重すぎる剣に振り回されながらも、自分を殺そうと躍起になっている乙女を認めた。
「ちょっと、落ち着いてくれませんか?」
少女の言葉は乙女に届かない。恐怖は耳を塞ぎ、混乱は思考を狭め、乙女は王の望む通りの人形になっていた。殺さなければならないと、理性を忘れ、少女に武器を向けていた。
広間を見渡せば、あちらこちらで不毛な殺戮劇が始まっていた。戦闘経験もなければ、武器を御するだけの膂力もない。乙女達はただ殺されたくない一心で、他人を殺そうとしていた。
目の前の乙女は、自分を殺そうとしていた。
「ですから、」
腹を叩き割るように振るわれた剣を後方に跳ねることで避け、
「ちょっと待ってくれないかと、言っているのです」
瞬時に乙女の懐に潜り込み、足で剣を踏み付ける。衝撃で前にのめり込んだ乙女の下腹部に拳を打ち込んで少女は諭す。この程度で取り乱すなんて情けないと、嘲弄するように。
「敵対する相手を間違えないで欲しいと言っているのです。どうせ、勝ち残ったところで殺されますよ? 言いなりになっても無駄です。殺すなら、奴を殺さないと」
玉座の男を指差す。少女に諭されたことで若干の平静を取り戻した乙女は、それでも目に涙を浮かばせて首を振った。
「……むり……機巧兵になんて、敵うわけない」
「だから、それよりも簡単そうな私を殺すのですか? そんなことに意味はありませんよ」
少女の言葉が理解できないわけではない。言いなりになったところで助かる保障などどこにもない。ただ、言いなりになっていれば救われるかもしれないとユメを視ただけだ。
「でも……それ以外に助かる方法なんて……」
「諦めるならそれでも構いません。ただ、私の邪魔はしないでください」
少女は突き放すように告げて、乙女の腹部にもう一度拳を打ち込んだ。一度目と違って、今度は本気の打ち込み。乙女は逆流した胃液を吐き出すと、白目を剥いて気絶した。弛緩した乙女の体を受け止め、剣を奪い取ると、少女は乙女を壁際に放り投げた。
走るのに邪魔だからと靴を脱ぎ捨て、剣を軽々と持ち上げ、少女は膂力を迸らせた。
ドゴッ! と異質な音が広間に響き渡る。鋼が叩き割られたかのような音に、殺し合いに明け暮れていた乙女達ははたと動きを止め、玉座の男は身を乗り出して何が起こったのか確かめようとして、その光景を理解できなかった。
剣が。鋼の剣が突き立っていた。機巧兵の胸部を貫き、呆気なくスクラップに変えていた。
剣を投擲して、機巧兵をいとも容易く破壊した少女は静まり返った広間を見渡す。
「殺し合いを続けたければ、そうしてくれて結構。けれど、本気で生き残りたいならその場で屈みなさい。剣を何枚か突き立てれば、弾除けくらいにはなります」
そして少女は走り出す。その速度は人間のものとは言い難かった。広間の端から中央まで踏破するのに要した時間は僅か二秒、空間が捻じ曲げられたのではないかと勘違いするほどに、少女は突如として機巧兵の前に躍り出た。
拳を握り締め、半身を引いて膂力を溜めると一気に突き出す。その拳は人間のものにしか見えなかった。それなのに、分厚い鋼でできている機巧兵の胸部を貫いた。機関部を潰された機巧兵は、断線したコードから火花を散らしながらその場に崩れ落ちる。
理解などできなかった。できるはずもなかったが、玉座の男は危機を感じて怒号を放つ。
「殺せえっ! その小娘を殺せ!」
命じられた機巧兵の群れは銃口を少女に向け、一斉に銃弾をばら撒いた。銃声が雪崩のように鳴り響き、硝煙が視界を埋め尽くす。少女は壊れた機巧兵を楯にして銃弾の嵐を防ぎ、続いて楯である機巧兵を蹴り飛ばした。同時に真横へと飛び出す。蹴り付けた機巧兵は手前にいた二体の機巧兵を巻き込んで壁際まで転がっていく。
機械に感情は備わっていない。少女がいくら常識外れのことを行ったところで驚きのあまり動きを鈍らせることなどなく、淡々と少女の動きに合わせて銃口をスライドさせていく。それなのに追い付けない。音速で射出された銃弾は、少女の背後に降り注ぐ。
少女は剣を拾い上げると真横に跳躍して、機巧兵を袈裟懸けに斬り付けた。続いて機巧兵の腕から重機関銃を捥ぎ取り、周囲の機巧兵の機関部を正確に射撃していく。
人間離れした攻防戦。およそ人間のものとは認められない戦闘力。
その場に居合わせた人間は驚愕の眼差しで少女を見つめていた。そして、驚愕は頼もしさへと、恐怖へと徐々に挿げ変わっていく。
少女は淡々と機巧兵を屠り続け、全てが終わるまでに五分とかからなかった。
積み上げたスクラップの山を一瞥すると武器を投げ捨て、玉座の男へと歩み寄る。男は恐怖と絶望のあまり震え上がり、逃げ出そうとして、少女に首を掴まれた。そのまま吊り上げられる。小柄な少女が大人の男を片腕で持ち上げている様子はどこか滑稽で、現実離れしていて、それでも、先程までの戦闘を見せつけられた者にとってはどこか可愛らしくもあった。
「あなたには、個人的に聞きたいことがあります」
酸欠で顔を真っ赤にしながら男は少女を見つめる。だが、少女からはすでに何の感情も汲み取ることができなかった。怒りも、敵愾心も、殺意も、優位に立っていることに酔い痴れる感情もなく、辛うじて認められるものがあるとすれば好奇心といった類のものだ。それも色めき立つものではなく、
「どうしてこんなことをしたのですか」
少女の瞳が、男の深淵までも覗くかのように揺らめく。
何か釈明しなければならないと男は焦る。少女がまだ男を殺していない理由は、男の行動原理を知りたいだけのようだったから。刺激的で、奇矯な何かを。だが、男に返す言葉はなかった。何もなかった。それが面白そうだったから。人間同士が殺し合う様子に
「何だ。その程度ですか……」
少女は興味を失ったのか男の首から手を離し、顔面を殴り付けた。玉座に後頭部を打ち付けて気絶した男を見下ろして、少女は何をするでもなく広間を後にした。
少女が依頼されたのは囚われた乙女を助けることだけ、王の殺害は含まれていない。
それは少女の管轄ではなく、この国の人間に任せるべきことだった。
旅人の少女はその後、この国に三日間滞在した。必要な物資を調達するためと、旅の本来の目的を果たすために。その間に国では様々なことが起こった。残虐な王は処刑され、血まみれの花嫁達と同じように広場に死体が吊られた。生前の悪行を考えれば当然のことだが、その処刑方法も、苦痛を最大限に引き出して、恐怖と絶望のうちに死に至る陰惨なものだった。それでも怨嗟と憎悪の猛りは治まらず、今でも死体に石を投げ、唾を吐きかける者が後を絶たない。
そして、少女が英雄視されることはなかった。もちろん国を救ってくれた英雄だと褒めそやす人は多かったし、それなりの歓待を受けた。だが、少女を見つめる人間の瞳には否応もなく畏怖が映り込んでいた。人間は、度を過ぎた超越者を対等の眼差しでは見られない。そこにどんなカラクリがあったのか探ろうとはしても、つまるところ、距離を置く他にない。
あてがわれた最高級宿舎の一室で豪勢な待遇を受けながら、少女は嘆息を溢す。
少女がしたことは、人間の善悪に当てはめれば正しかった。だが、それは少女に虚しささえ抱かせたものの、喜びとも誉れともなり得なかった。自分は普通の人間ではないのだと、普通の人間にはなれないのだと、まざまざと見せつけられるだけだった。
「ごめんなさい、旅人さん。あなたに救ってもらったのに、こんな仕打ちをして」
出立の日、見送りに来たのはツァーリだけだった。
「いいんです。慣れてますから」
旅人は報酬として貰い受けた四輪のバギーに乗り込み、冷めた声で言う。
「少なくとも、ただ使い捨てられるよりは、報酬が出ただけでも充分です」
「また、来てくださいね。次は、もっとよい国になっているはずですから」
返事はせず、ツァーリを流し見てバギーのエンジンをかける。
少女の旅はまだ終わらない。
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