第11話 英雄は去りゆく

 襄陽じょうようは陥落した。

「今さら悔やんでも仕方がない。我らは当初の目的を果たすまで」

 関羽は配下の将を集め、さらなる攻勢を指示した。


 だが、依然としてはん城は落ちない。

 後方からの補給も絶えた。関羽はさすがに焦りの色が濃くなった。さらに北方から大軍が迫りつつあるとの報告があった。


徐晃じょこうか、懐かしいな」

 それを率いる大将の名を聞いた関羽は表情を緩めた。かつて、関羽が曹操の許にいた頃に知り合い、親友となっていた。

 徐晃は、樊城を見下ろす高台に布陣した。生真面目な彼らしい、どこにも隙のない布陣だった。


 その陣頭に姿を現した徐晃は関羽に呼びかけた。

「かの美髯公びぜんこうも、年月には勝てぬようですな。髭が白くなっておりますぞ」

 その言葉に揶揄やゆする色はなかった。一抹の寂しささえ感じさせた。

 関羽も馬を進めた。青竜刀をぐい、と突き出す。

「かく言う徐晃どのも、その大斧が重くはないか。お互い、歳をとったものだな」

 ええ。徐晃は頷き、右手に持つ戦斧に目をやった。

「敬愛する関羽どのを斬らねばならぬとは、重くて仕方ない」

 ほざくわ、関羽は笑った。


「では、手合わせを願おうか、徐晃どの」


 ☆


 一騎打ちでは決着がつかなかった。

「ここまで衰えておられたか……」

 陣営に引き上げた徐晃はため息をついた。

 だが、決然と顔をあげた。


「関羽を討ち取った者には、千金を与えよう。励めや、者ども!」


 徐晃の軍は、一斉に関羽軍に襲いかかった。

 兵数差は明らかだった。

 関羽の軍は潰走することになった。


 ☆


 僕は関羽に呼ばれた。廖化りょうかという部将と並び、関羽の前に座る。

 すぐに、救援を要請する使者になるのだと分かった。

「廖化は、猛達もうたつ劉封りゅうほうに出兵を促せ」

 荊州の北方に駐屯するこの二人は、関羽からの命令にも言を左右にして動かないのだ。ぼくから見れば、あれだけ常日頃、暴言を浴びせていれば当然とも思えるのだが。だが、それを言ってももう遅い。


「均どの。そなたは成都へ赴き、長兄に救援を請うてくれ」

 僕は黙って頭を下げた。


 関羽は、僕たちを助けようとしているのだった。

 あるいは蜀のために生きて、まだまだ働けと言っているのだ。

 廖化は若いながら優秀な指揮官だ。しかし、率いるべき兵はもうここには居ない。

 このままでは確実に全滅する。ならば……。


 僕たちは振り向かず、馬を走らせた。


 ☆


 成都の城門前でうずくまる僕を見た孔明は、それだけで状況を理解したのだろう。顔色を変え、奥へ駆け込んで行った。

 荒い息をつきながら慟哭する僕の背中に、優しく触れた手があった。懐かしい匂いが僕を包んだ。

「お帰りなさい、均くん」

 蓮理れんりさんが、涙をうかべて微笑んだ。


 張飛を主将とした援軍が出発しようとした、まさにその時、成都に悲報がもたらされた。


 ☆


「劉備さまは、呉を討つと言ってきかないのだ」

 ため息まじりに孔明がぼやいた。

「気持ちはよく分かるのだが」

 いま蜀と呉が争っていては、喜ぶのは曹操ではないか。

「でも、それだからこそ劉備さまなのでしょう?」

 蓮理さんが言う。まあ、そうなのだが、と孔明も苦笑する。理や利よりも義を重んじる人だからこそ、こうして民衆の支持を受けているのだ。


「何か気分を変えてさしあげられませんかね」

 うどんという訳にはいかないでしょうけれど。蓮理さんが首を捻っている。

「うん。蓮理の打つうどんは美味しいけどね。自動機械は襄陽に置いて来たのだったな。残念だな」

 自動うどん打ち機、通称『木人』は襄陽郊外の家の中。今は呉の勢力圏だ。いまさら取りに行くことは出来そうにない。

「もう一度造ろうにも、細かいところの設計は忘れてしまったのです」

 そう言って蓮理さんは肩を落とした。


 ☆


 関羽の首は曹操の許へ送られた。劉備の矛先を曹操へ向けさせるための孫権の策略だとも云われる。

 曹操は関羽の死を嘆いたあと、諸侯の礼により丁重に関羽を葬った。この辺り曹操の方が役者が一枚上だと言っていいだろう。 

 だが曹操はこの頃からめっきりと老け込み始めた。かつて一時的とはいえ自分の配下にあった名将の死が曹操の心を弱くしたのかもしれない。

 ある日、激しい頭痛に襲われた曹操は数日の病臥の後、この世を去る。症状からすると脳卒中ではないだろうか。

 乱世の奸雄と呼ばれた男の最後は、どこかあっけなかった。

 

 曹操の後を継いだ息子の曹丕は、漢の皇帝を廃し自ら魏の皇帝を称する。

 ここに、高祖こうそ劉邦りゅうほう以来400年に亘った漢帝国は終焉を迎えた。

 

「こんな事を言っては不謹慎だろうが、好都合だ」

 孔明は複雑な表情で言った。

「何の事ですか」

 これを見ろ、と孔明は僕に一枚の紙を差し出した。嫌々ながらもそれに目を通す。

「これって、まさか」

 うん、孔明は頷いた。

「劉備さまに漢帝国皇帝へ昇っていただくための嘆願書だ」

 孔明の他、有力諸将、官僚が名を連ねている。

「これで本来の目的を思い出していただければいいのだが」

 敵は呉ではなく、漢王朝を簒奪した魏であると。


 百官に推戴され、劉備は漢の皇帝となった。

 その国は正式名称は漢だが、あくまでも地方政権であったため、一般には蜀漢しょくかんとよばれる。

 孔明は皇帝代理とも云うべき丞相に任じられた。


 皇帝位に即いた劉備は第一声でこう言った。

「呉の孫権を討つ!」


 劉備の呉への復讐心は消えていなかった。

 孔明は暗い気持ちでそのみことのりを聞いた。


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