第5話 孔明、劉備と共に起つ

 天下、三分さんぶん

 蓮理さんのその言葉に室内は静まりかえった。誰もが、それぞれに深く物思いに沈み、その意味を考えていた。


 まず、静寂を破ったのは張飛だった。

 大きく膝を打って歓喜の声をあげたのだ。

「だから言ったであろう。これは、そういう意味なのだと!」


「ああ。それは認めざるを得ないようだな」

 劉備と関羽も肯く。こいつらは何を言っているのだ、僕は思った。

「お前の解釈を蓮理さんに聞いていただくがいい」

 なぜか自身満々に劉備は促した。


「この名文の冒頭は、漢の王朝が衰退してゆく様を表しているのだ」

 はあ、そうなのか。と、作者であるはずの孔明が呟いた。


『河は流れて、どこへ行く…』

 で始まっている。そして。

『行く河の流れは絶えずして、すでに、もとの河にあらず』

 はあ? としか言いようがない。


『多くの橋の下を水は流れ、海へとそそぐ』


「ここだけは、やはり私に言わせてくれ!」

 劉備が割り込んできた。

董卓とうたく曹操そうそうに簒奪され、今の状況に陥ってしまった事を先生は嘆いていらっしゃるのだっ」

 なるほど、と僕と孔明は感心している。いつからか、呼称が先生になっている。

「そしてこれは、海のような心を持った者が天下を救うという、お告げなのだ」

 劉備は感極まって天井を向いている。涙をこらえているのだろう。


「長兄の解釈はそこまでだが、俺は違うぞ」

 張飛は、真っ直ぐ蓮理さんの目を見て言った。

「問題はこの後だ」


『水は天に昇って雲となり、また雨になって帰ってくる』


 これだ、張飛は叫んだ。

「河と海、そして天。世界は三つに分けられるのだっ!」

「張飛さま!」

 蓮理さんが、張飛の手をとった。

「私も同じ考えでした!」

「おお、蓮理さま、わたしも愛しておりますともっ」


 孔明は、張飛の顔面に蹴りを入れた。


「で、天下三分とは、具体的にどういうことですか」

 孔明と張飛がにらみ合っているので、雰囲気を変えるため、僕は言った。


「なに。現在の状況を見渡せば答えは簡単だ」

 張飛のネコヒゲが得意げに動く。

「漢の朝廷は曹操に牛耳られているからな。ここへ食い込むのは当面無理だろう」

 うんうん、と僕と孔明は肯く。

「さらに、江東は孫権がしっかりと押さえている」

 ああ、確かに。

「西に目を向ければ、巴蜀はしょくは、劉章が天賦の要害をもって蟠踞しているし」

 ほうほう。

「つまり、我らはここ荊州を基盤に、天下を目指すべきなのだ!」

 なるほど。この張飛という男。見た目ほど、単なる筋肉バカでは無かったようだ。

 だが。


「あの、張飛どの。それでは天下四分、になりますが」

 孔明が、言わなくとも良いことを言う。


「まさか。三つでしょうが」

 指を折って考えている。

 1…2…3…、1。

「ほら、三つですぞ」


 こいつは、三つまでしか数をかぞえられないのかっ。


 ☆


「まあ、こんな素直な良い男ですから、逆に、料金を誤魔化す奴などいなかったのですよ」

 劉備が、張飛の肉屋時代のエピソードを語ってくれた。

 そうだろう。それに、もしバレたら叩きのめされそうだし。


「では、どうなさいますか」

 蓮理さんが、孔明に尋ねた。


 この男たちについて行くか、どうか。


「ああ。答えは決まったよ」

 孔明はさわやかな笑顔で言った。


「絶対、行かない」


 そうだろう。僕もそう思う。

 初めて兄と意見が合った気がする。


 そうですか。と劉備は首筋を叩いている。

 左右の義兄弟を交互に見た。


「よし、やれっ!」


 劉備のかけ声と共に、関羽と張飛は立ち上がった。

 そのまま孔明を両側から抱えると、家を走り出て、外に止めてあった馬の背中に彼を放り上げた。そして手際よく、縛り上げる。


「では、孔明どのをお借りしますぞ」


 ひえー、という兄の悲鳴を残し、彼らは去っていった。


「あらら、どうしましょう。均くん」

「仕事が決まったのなら、いいんじゃないでしょうか」


 それはそうなんですけど。と、蓮理さんは去りゆく男たちの背中に手を振っていた。

「せっかく、晩ご飯の用意もしていたのに……」


 こうして諸葛孔明は劉備の陣営に加わることになった。

 役職は、未定だった。



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