第4話 天下三分の計

蓮理れんりさん、こんにちはー!」

 家の外で汚い声がした。


 僕が出てみると、やはり例の三人組だった。だが、残念だったな。

「兄なら留守ですよ」

 すると劉備は軽く手を振り、言った。

「ああ。知ってるよ。襄陽じょうようの街で見かけたからな」


「じゃあ、一体何しに来たんですか……」

「え?」

 三人は顔を見合わせた。そういえば何しに来たんだっけ、とか言っている。

 揃って、目的を見失っているようだ。

 どうやら、絶対に天下を取れないタイプの人間に違いない。


「あら、皆さん。いらっしゃい」

 メガネ姿の蓮理さんが奥から顔を出した。

「「「また来ちゃいました!」」」

 やめろ。声をそろえて言うな。いい年のおじさんが……。


「ご免なさいね。今日、孔明は留守なんですよ」

「いえ、貴女あなたがいらっしゃれば、それでよい。いや、

 そう言って関羽は真っ赤になった。いや、元からあから顔なので違いはよく分からないのだが。

「か、関兄。なにを抜け駆けをしている、卑怯だぞ!」

「まあ待て、張飛。蓮理さんが困っておいでではないか」

 そう言って劉備は、キラッと流し目を送る。


「本当に、何しに来たんですか。叩き出しますよ」

 さすがに僕も我慢の限界だった。

「なんだ、均くんは気が短いな。そんな事ではいいお婿むこさんを貰えないぞ」

「僕は男ですから、お婿さんはいりません」

 わはは、間違えた。だって主婦っぽいものな、と笑っている三人。


「ただいまー」

 玄関先で声がした。兄の孔明だった。

 鼻歌を唄いながら部屋に入ってきた孔明は、怪しげな三人組を見て、ずざざっ、と壁際まで後ずさった。

「だ、誰だこいつら!」

 そうか。初対面だった。


 ☆


「今日、ここに参りましたのは他でもない。名高い諸葛孔明どのに会うためでございます」

 劉備が真面目な顔で、深々と頭を下げた。

「ぜひ、私の許で働いては頂けませんでしょうか」

 まあ、来た目的からして嘘なのだが。

 わざわざの来訪も三回目と言うことで、そこは突っ込まない事にする。


「そうですか。いや、わたしごとき非才の輩がどんなお役にたてるものやら」

 言葉とは裏腹に、得意げにふんぞり返り白羽扇を揺らしている兄、孔明。

 軍師、いやいや丞相か? と心待ちにしているのが顔に出ている。


「実にお恥ずかしい事ながら」

 劉備は頭を掻いた。

「我が陣営には、字を書けるものがおりませんで……」

 そのレベルなのかっ! 

 僕は、思わず突っ込んでしまった。


「ああ、全く書けない訳ではありませんよ。特に、この関羽など」

 故郷では、習字の先生だったらしい。では、なぜ。


「紙をお借りできますか。ああ、紙ではもったいない。木ぎれでよろしいのだが」

 遠慮がちに、関羽が申し出る。

「ちょうど、クズ紙があります。お使い下さい」

 そう言って僕は兄の文箱から紙を取り出した。幸いまだ何も書いてない。

「汚れていて申し訳ないですが」

 その時、兄はすごく悲しそうな目で僕を見ていたが、気にしない事にする。


 さすが、元書道の先生だ。

 大胆な筆遣いで、まさに勇壮、豪放磊落ごうほうらいらく。書く者の気迫が字に乗り移っているかのようだった。書き終えて、関羽はふうっ、と息をついた。


「すごいです、関羽さま」

 蓮理さんが感嘆の声をあげた。思わず拍手している。

「なんて素敵な文字……」

 ふほほっ、関羽は喜びのあまり奇声をあげた。


「でもこれ、……何て書いてあるんでしょうか?」

 ちょっと達筆すぎて、と彼女は照れ笑いを浮かべた。


「まあ、こういう訳なのだ」

 部屋の隅で、壁に向かって膝を抱えている関羽をちらりと見たあと、劉備は言った。

「この張飛も元は肉屋なので、数の計算とか、字も書けるのだが」

「え、嘘でしょ」

 ほぼ反射的に僕は言った。

「嘘とはなんだ。殺すぞ、きさま」

 張飛は腰を浮かせたが、蓮理さんの視線を受けて、また座り直した。


 劉備の命令で、嫌々ながら張飛は筆を取った。

 書き上げた字は、一字一句、間違いなく読むことができた。

 すごく、ちっちゃいけれど。そして丸いけれど。

「女の子が書くような字ですね」

 蓮理さんが、ぽつりと言った。


「だから公式文書が出せないのだ」

 切実な訴えだった。

 ちなみに劉備は塾に通っていたが、勉強より手芸の方が好きだったとかで、いまだに自分の名前くらいしか書けないらしい。


「だから今は、これが精一杯」

 とか言いながら、どこからか手編みの髪飾りを出して蓮理さんに手渡そうとする。

「おのれ、長兄まで抜け駆けを!」

 また大騒ぎになった。



「それだけですか……」

 孔明が、ぼそっと言った。

 大きな声ではなかったが、皆、振り向いた。

「わたしの価値は、文字だけですかっ!」

 これもまた、魂の叫びだった。


「ああ、いや、もちろんそうでは無いのです。先生のこれ、この文章に私は惚れ込んだのです。この時勢を憂うこの名文にっ……」

 そう言うと劉備は懐から竹簡を取り出し、号泣し始めた。


「なんだろう、あれ」

 孔明をつついてみる。

「たぶん、わたしの作品の写しではないかな」

 小声で答える兄。作品? いま作品って言ったぞ、この男。


「見せてもらってもいいですか?」

 怖いもの知らずの義姉あねだった。


 にこやかな表情でそれを読み始めた蓮理さんだったが、次第にその表情が曇り始めた。二度、三度と読み返している。なんて強靱な精神力なんだろう。

 

 蓮理さんは、読み終えた竹簡を膝の上に置き、黙り込んだ。

 沈黙は長く続いた。

 僕たちは息を呑み、彼女が口を開くのを待った。


 やっと、蓮理さんは顔をあげた。

 自分の夫を見詰め、少しだけ紅潮した顔で彼女は言った。


「孔明さま。あなたは、天下を三分するおつもりなのですか」


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