第3話 黄氏、うどんを打つ

劉玄徳りゅうげんとく、と名乗ったのか」


 兄、孔明はまた意味不明の文言を紙に書き散らしながら呟くように言った。

 今日はちゃんと、以前使った紙の裏に書いている。感心、感心。


「孔明さま。紙も安くないのですから、裏も使ってくださいね」

 先日、蓮理れんりさんにやんわりとたしなめられていたのだ。

 僕が言っても聞きやしないが、やはり彼女に言われた事はちゃんと守るようだ。まあ、一番いいのはこんな愚にもつかない文章など書かない事だが。


 どうやら孔明は、あの男たちに心当たりがあるらしい。

「それは、知っているとも。漢の左将軍、宜城亭候ぎじょうていこう 皇叔こうしゅくといえば、ちょっと有名だからな。きん襄陽じょうようにでて、知見をひろげなきゃいかんぞ」

 意見された。こんな男に。


「そんな有名人が、なぜうちなんかに来たんだろう」

 兄も首をひねっている。だがそもそも、本人かどうかも分からないし。


「そうだな。ところで、その人の耳はどうだった」

 耳? そういえば大きかった。

「……象みたいだったかな」

 ほう、孔明は頷いた。


「では、手は長かったか?」

 確か、膝まで届いていたような。

 いま思い出せば、ほとんど妖怪だ。なぜその時、気付かなかったのだろう。

「ならば本人だな」

 孔明は断言した。


 数日して、またその三人組がやって来た。

 ぽかぽかとした昼下がりの事だった。

 玄関先で大きな声がしたので僕が出てみると、先日の悪党面の男たちが立っていた。

「孔明どのはご在宅かな」

 真ん中の劉備がにこやかに言った。


「え、ええ。居ることは居るんですが」

 困った。兄は昼食後の午睡ひるねに入ったばかりだ。夕方まで起きて来ないだろう。

「叩き起こせばよかろう!」

 ネコヒゲの大男が怒鳴る。

「これ、控えろ。申し訳ござらぬ。こんな無礼者でして。ああそうだ、これは義弟の張飛、そしてこっちが」

 劉備はもう一人のひげの長い赤ら顔の男を指さした。

「関羽と申します」

 シブい声でその男は名乗った。ちなみに、顔が赤いのは別に酔っ払っている訳ではないそうだ。

「そこを是非、お会いしたいのですが」

 劉備が言った。


 仕方なく、中に入ってもらった。

 部屋の真ん中で孔明が長ーくなって寝ている。

「お恥ずかしい。こうなると何をしても起きないのです」

 そう言って一発、軽くけりを入れてみる。

 孔明は、んもー、とか何とか呻きながら寝返りを打つ。

 僕は、もう一発、そしてもう一発とけり上げる。

 それでも、へへへ、と笑っている。なにかいい夢でも見ているのだろう。

 腹がたってきた。

「お前なんか、お前なんかなあ! いつも僕がどれだけ苦労してるか!」

 止まらなくなった。げしげし、と本気でけりを入れる。


「お、おやめください。何もそこまでしなくてもっ」

 慌てた三人が僕を止めに入る。

 僕は我に返った。

「すみません。つい取り乱してしまって」


「どうしたんですか、均くん。お客さまですか?」

 奥から蓮理さんが出てきた。今日はメガネをかけている。床に転がる孔明を見て、ぷっと吹き出す。

「あらあら、ダメですよ。孔明さまをいじめちゃ」


 ちょっと片付けますね。

 そう言うと蓮理さんは、孔明の両足首を持って奥へ引きずっていった。

 男たちは呆然とそれを眺めていた。


「奥様でいらっしゃるのか」

 お茶を飲みながら劉備が問いかける。

「やだ、奥様だなんて。……はい」

 呼ばれ慣れていないからだろう。照れまくっている。


「今日は、あの方はいらっしゃらないのですね」

 劉備が部屋を見回した。

「あの、おっかない…」

 しっ! 僕は劉備に目配せした。

 勘のいい男だった。僕の不穏な気配に気付いたらしい。

「ああ、いや。他のお宅と勘違いしておりました。失敬、失敬」

 蓮理さんは不思議そうに小首をかしげた。


「孔明どのが起きて来られないのなら仕方ありません。また、日を改めましょう」

 劉備の言葉に、張飛が異を唱える。

「何を言うのだ兄者、我ら昼飯も食わずに来ておるのだぞ。失礼にも程がある」

 それでさっきから、きゅーきゅー音がしていたのか。


「ああっ、そうだったんですか。それは申し訳ありません、気がつかなくて」

 蓮理さんが慌てて立ち上がった。

「みなさん、おうどんで良いですか」

 あ、いや。そんなつもりでは、と張飛が引き留めようとしたが、蓮理さんは厨房へ入っていった。


 すぐに、ドタン、ガシャンと、およそうどんを作っているとは思えない音が響き始めた。家が揺れている。

「き、均どの。これは何の音だ。見に行かなくていいのか」

 ええ。僕は肯いた。

義姉ねえさんから、『私がうどんを作っているときは、絶対中を覗かないで下さいね』と言われていますから」

 ほー、と三人はため息をついた。


「さあ、出来ましたよ」

 蓮理さんがうどんを入れたお椀を持って現れた。

 つやつやと、なめらかそうな麺に、黄金色に輝く透明な汁がかけられている。散らした香草と汁の香りが相まって、強烈に食欲をそそる。


「こ、これは」

 劉備たちは、すごい勢いで食べ始めた。

「よっぽど、お腹が空いてらしたのですね」

 蓮理さんは天使のような微笑みで、男たちを見ていた。


「ですが、義姉さん。あれは今日の晩ご飯だったのでは……」

 劉備の箸が止まった。

 蓮理さんは急に真面目な顔になって、僕を見た。

「均くん。そこに座りなさい」

 はい。僕は正座した。


「いいですか。人は、一食くらい抜いたって死にはしないんです」

 ぶほっ、と張飛がむせた。

「それよりも、お客さまを心からもてなす方が大事なんですから」


 うおーん、と関羽が号泣をはじめた。

 いや、三人ともだった。

「一生ついて行きますっ!」

 むさ苦しい男たちが蓮理さんに縋り付いて泣いている。


 やめろ、僕の義姉さんに気安くさわるな!


 ☆


 結局やつらは、お替わりまでしてうどんを平らげ、帰っていった。

 いったい、何しに来たのだ。

 まあ、蓮理さんが満足そうに笑っていたからいいけれど。


 その頃になって。

「ねえ、蓮理。お腹すいたよ」

 孔明が起きてきた。


 本当に、こいつはどうしたものか。



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