アドニスとアフロディーテ
「福寿草は少年アドニスの血から生まれた花なんだ」
ハルが言葉を発する。声変わり前の甲高い声が病室に響いた。
病室の中央には介護用ベッドが置かれ、彼はそこに横たわっていた。
今話した福寿草に想いを馳せているのだろうか。
沢山のチューブに繋がれた体を見つめながら、彼は微笑んでみせた。ベッド脇の椅子に腰掛けていた冬美は、彼の笑顔を見て胸を痛める。
健気なハルの笑顔を見ていると、彼の境遇が憐れに思えてしまう。
ハルは難病のために、入院生活を余儀なくされていた。
病名は性染色体劣性遺伝型筋ジストロフィー、デュシェンヌ型。
先天的な遺伝子欠陥により筋力が次第に衰えていく難病だ。根本的な治療法は確立されていない。
幼い頃から症状が進行していたハルは、小学校にあがる頃には車椅子での生活を余儀なくされていた。中学にあがると、彼の体はベッドから出られないほど筋力を失っていた。
そんな状況にあっても、ハルはいつも笑っている。
冬美はそんな彼の強さを、痛々しく感じてしまうことがあるのだ。
口に咥えた筆をハルはこちらに向けてくる。笑みを深め、彼は言葉を続けた。
「日本の福寿草は綺麗な山吹色をしているけれど、西洋の福寿草は赤い花をつけるんだって。同じ花なのに全然違う。彼の恋人だった愛の女神アフロディーテは人々が彼を忘れないように、亡くなった彼の血から福寿草の花を咲かせたそうだ。咲かせたんだけど……」
思い悩むように言葉を切り、ハルは頭上を見上げる。彼は不機嫌そうに眼を歪め、頭上にあるスケッチブックを睨みつけた。
彼の頭上には大きなスケッチブックが固定された状態である。スケッチブックには赤い花が描かれていた。その花を見つめていると、無性に悲しくなってくる。
彼が話してくれた逸話が、花の絵をそう見せてしまうのだろう。
「日本だと縁起の良い花なのに、全然イメージが違うんだね……」
赤い福寿草を見つめ、冬美は言葉を発していた。
日本において福寿草は春を告げる花として、縁起の良いものとされている。
福寿草という名には長寿や幸せを祝うという意味が込められているらしい。西洋のそれとは全く意味合いが違う。
先ほどのハルの笑顔を思い出して、胸が苦しくなる。彼もこの花のよう悲しみを押し殺して笑っているからだ。
「そう、その違いを描きたいんだけど、何ていうかこうイメージが掴めなくて」
ハルの唇に咥えられた筆がひょこひょこと動く。小難しそうに眉根を寄せて、彼は絵を見つめ続けた。
「描き直し!!」
叫んで、ハルは筆を動かした。絵に真っ赤なバツ印が描かれる。
「また、勿体無いよ……」
「やだよ、ちゃんと描きたい。描かなきゃ、すぐ忘れられる……」
ハルは鋭く眼を細め、スケッチブックを睨みつける。
彼の鋭い眼差しを見つめ、冬美はハルの口癖を思い出していた。
――僕は母さんのように世間から忘れられたりしない。
何かあるたびに、ハルはこの言葉を呟く。彼の母親は一世を風靡し、忘れられていった筋ジストロフィーの画家だったという。
「冬美、お願い」
「あ、うん」
ハルの言葉を聞いて我に返る。冬美は慌てて椅子から立ち上がった。
冬美は固定されたスケッチブックに手を伸ばす。新しいページを捲り、閉じないようにクリップで紙の右上を押える。
「ほら、こんなことだって僕はできない…… せめて、描いて戦わなきゃ」
ハルは苦笑を滲ませる。細められた彼の眼が悲しげにみえた。
難病を患った若き少年画家。それが世間で知られているハルの姿だ。
筋ジストロフィーの画家であった彼の母も、唇を使って絵を描いていたという。
母親に強い憧れを抱くハルは、指先の自由を失っても絵を描くことをやめなかった。
去年、小さなコンテストに出した彼の絵が賞を取り、ハルの存在は世に知られるようになる。地方紙が彼の功労を取り上げ、世間は彼に注目を集めるようになったのだ。
難病を患った少年の健気な姿に人々は心打たれたのだろう。
先月はとあるテレビ局がスポンサーとなり、ハルの個展を開いてくれた。
ハル自身の強い希望により、個展の売り上げは筋ジストロフィーを治療、研究する世界中の病院や研究施設に寄付された。
自分と同じ立場にいる人々の存在を知ってもらいたい。
テレビ局が組んだ特番でハルが話した言葉だ。
彼の姿に感銘を受けた視聴者の中には、直接手紙やメールをくれる人々もいた。
ほとんどが、ハルの勇姿を賞賛する内容だった。
だが、中には――
「下手くそなんて、言われたくないし!! 素直にアドバイスは受けるけどさ!!」
ハルが不機嫌そうに声をあげる。
送られた手紙やメールの中には厳しい意見もあった。
そのメール曰く。
――君の絵は未熟だ。難病をおもちゃにして注目を集めても、落書きしか描けないのであれば直ぐに忘れさられる。
高名な画家先生が書いたとうそのメールにハルは返事を書いた。いまだに、返信は来ていない。
さらには、難病を利用して金儲けをしていると、子供であるハルを非難するメールも大量に来ていたのだ。酷いものでは、ハルが筋ジストロフィーを患っている事自体、テレビ局がでっちあげたものだと非難するものまであった。
「本当、言いたい放題言いやがって。母さんのことは忘れてたくせに……」
忌々しげにハルは言い放つ。
自分と同じ境遇にあった母を世間はすっかり忘れていたのだ。ハルはそんな世の中に敵意にも似た感情を抱いている。彼は世の中に挑むように、絵を描き続けているのだ。
ここ数日間、ハルは寝る間も惜しんで創作活動に励んでいた。心配する冬美の気持ちなど、気づきもしないで。
「ちょとは、休んだら?」
彼の顔を覗き込み、冬美は言った。彼を責めるように、語調が強くなってしまう。
驚いたようにハルは眼を見開き、冬美の顔を見つめる。
眼を綻ばせ彼は苦笑した。
「ごめん、描きたいんだ。どうしてもこの絵だけは、ちゃんと仕上げたい……」
「ハル……」
「ねぇ、冬美。モデルになってくれない」
「私が?」
「そ、息抜き。冬美の言ったとおり、そうすれば少しは休める」
「本当? なら、いいけど……」
「いいの!」
冬美に、彼は笑いかけてくる。嬉しそうに彼は眼を輝かせていた。
「じゃあ、僕の横に寝てくれない?」
「えっ?」
「だって、近くにいた方が描きやすい。僕、首しか満足に動かせないし」
ハルは嘲るように眼を綻ばせた。彼はその眼で自身の体を見すえる。
「なんかさ、この体のせいで閉じ込められてるみたいな気分になるんだ。窮屈な箱に無理やり詰め込まれて、身動きがとれないっていうか」
冬美は彼の体を見つめていた。
シーツ越しにやせ細った体の輪郭がくっきりと浮かび上がって見える。その体はチューブに繋がれ、指1本満足に動かすことができない。
辛くなって冬美は彼の体から視線を逸していた。ハルに向き直ることなく、冬美は返事をする。
「ちょっと、だけだよ」
「うん。3時間ぐらいで終わるかな」
「3時間っ?」
「だって、ゆっくりじゃなきゃちゃんと書けない。手みたいにはいかないよ……」
ハルは抗議するように唇の筆を上下に振ってみせた。
健常者が1時間ほどで描ける素描ですら、ハルは倍の時間をかけて仕上げている。
だからこそ、だろうか。
彼の絵は決してプロ並みとはいえない。
それでもハルの絵に、冬美は惹きつけられるものを感じてしまうのだ。
ハルが描いた睡蓮の素描を思い出す。
鉛筆で描かれたモノクロの絵に冬美は心を奪われた。
色彩のない絵にもかかわらず、冬美は睡蓮の葉の色さえ思い描くことができたのだ。
睡蓮の生命力が溢れ出しているような不思議な感覚が、その絵には宿っていた。
「でも、3時間って」
「毎日、ちょっとずつでいいよ。いいから早く」
筆を激しく振り、ハルは甘えるように催促してくる。
冬美は戸惑いながらも、椅子から立ち上がった。ベッドの縁に片手を乗せて、そっとハルの隣に横たわる。
ふんわりと、ベッドを包むシーツから太陽の香りがした。寝そべるハルからは、かすかに薬品の香りがする。
太陽と、薬品の香り。嗅ぎなれたハルの香りに、冬美は眼を綻ばせていた。
「こっち、向いて」
ハルの声がする。息がかかるほど、すぐ側で。
どきりと心臓が高鳴った。冬美はゆっくりと体をハルに向ける。
迷うように彼を見る。ハルは嬉しそうに顔を覗き込んできた。
「そのままだよ。じっとしててよ。あ、そうだ筆から鉛筆にしないと…… 冬美が動いちゃう……」
困ったようにハルは眼を揺らしてくる。今、彼が咥えているのは色彩をつけるための筆だ。下絵に使う鉛筆は、ベッドテーブルの上に置いてある。
「もう……」
冬美は苦笑した。
冬美は起き上がり、ベッドテーブルにある空箱に手をのばす。そこから鉄製の古びた筆箱を取り出す。
「どの鉛筆が必要。B4? それとも、B5あたり」
「B2でお願い」
ハルの指示に従い、冬美は筆箱からB2の鉛筆を取り出した。
ハルの筆を指で持つ。ハルが筆を離したのを見計らい、冬美は彼の口元に鉛筆を持っていった。ハルが鉛筆を咥える。
「サンキュー」
にっと眼を綻ばせ、彼は鉛筆を得意げに振ってみせた。
「ハル」
「動かないでっ」
声をかけると、鋭く切り返された。冬美は、ハルの顔に視線を向ける。
厳しい表情をしながら、ハルはスケッチブックを睨みつけている。
彼はときおりこちらに視線を送り、口にした鉛筆で線を書き足していく。
先程までの陽気さは微塵もない。ハルは鉛筆をスケッチブックに走らせ、真摯な眼で冬美を見つめる。
「冬美。顔、もっと近づけて」
「えっ」
「いいからっ」
「はい」
有無を言わせぬハルの声に、冬美は従っていた。
ハルの顔が近くなる。すっと彼の眼差しが冬美を捉えた。
ハルは冬美の顔をなぞるように見つめる。凛々しい眼差しに、冬美は思わず息を呑んだ。
彼は顔を正面に戻し、スケッチブックに線を描きたした。
心臓が高鳴ってしまう。
疲れているのだろうか、ハルが荒い息を吐いている。
その息が、頬にかかる。
すぐ側にハルの顔がある。そう思うだけで、冬美は頬が紅潮していくのを感じていた。
いつ頃からだろう。絵を描くハルが、精悍な顔つきをするようになったのは。
自分とは違う、異性であると感じ始めたのは。
ハルの体は動かなくなっていく。それでも彼はその恐怖と戦い、絵を描き続けているのだ。彼は常に前を向いていて、いつも笑顔を絶やさない。
その勇敢な姿に冬美はいつも励まされていた。気がつくと、そんな彼から目が離せなくなっていた。
冬美は絵を描くハルの姿が好きだ。
真っ直ぐに、戦って生きている彼の姿は凛々しくて逞しい。
「B4」
「えっ」
「だから、B4!」
乱暴に声をかけられ、我に返る。ハルは苛立った様子で冬美を睨みつけていた。
鉛筆を取り替えろと、ハルは口に咥えた鉛筆を激しく上下にふる。
「ごめんっ」
冬美は慌てて体を起こし、ベッドテーブルの空箱へと手を伸ばした。
缶ケースを慌てて手に取る。
だが、ケースは手から滑り落ちて床へと落下した。乱暴に蓋があき、リノリウムの床に鉛筆が散乱する。
「あっ」
ハルに怒られる。そう思い、冬美の体を硬くしていた。
絵に向き合っている状態のハルほど、怖いものはない。以前、指定された鉛筆を間違えただけで彼は泣き出し、バカと冬美を怒鳴りつけてきたのだ。
「冬美っ」
ハルが声を荒げる。びくりと肩を震わせ、冬美は彼に振り返った。
「ごめん……」
ハルは顔を俯かせていた。弱々しい彼の言葉が耳に突き刺さる。
「なんか、絵描いてるといつもこう……。僕さ、冬美に手伝ってもらえないと絵もかけないのに、何やってんだろ……」
向けられたハルの顔には、自嘲が浮かんでいた。
歪められた彼の眼が潤んでいるようにみえた。今にもハルは泣き出しそうだ。
「ハル」
「ごめん、拾ってくれない? 早くしないと、冬美、帰るの遅くなっちゃうでしょ」
「うん……」
戸惑いを覚えながらも、冬美は起き上がる。
ベッドから降りる。不意に視線を感じて、後方へと振り向いていた。
ハルが不安げにこちらを見つめていた。眼を歪め、ハルは縋るように冬美を見つめている。
「ハル」
ハルに顔を向ける。彼は怯えたように眼を見開いてきた。
「何だよ、冬美。僕、なんか変?」
「ごめん、気のせい」
彼は笑ってくる。何かを誤魔化そうとするかのように、その笑顔はぎこちないものだった。
違和感を覚えながらも冬美はしゃがみ込む。床に落ちた缶ケースを手に取り、周囲に散らばる鉛筆へと手を伸ばした。
「冬美ー、早く早く」
「まってよ」
「やーだ。描けなくなる」
ベッドから甘えたハルの声がする。冬美は苦笑しながら鉛筆を拾い上げていった。
1本1本丁寧に指で挟み、缶ケースの中へと入れていく。
「また、1本はけーん!!」
そのたびにハルが弾んだ声をあげた。
拾った鉛筆の先には、ハルの歯型がくっきりとついている。いかにも彼の鉛筆らしい個性だ。
「これで、おしまい」
冬美は立ちあがる。
ぽんっと手に持った缶ケースの蓋を閉め、ハルに微笑みかけた。
「B4!」
ハルが催促するように唇を尖らせ、咥えた鉛筆を振る。
「はい」
冬美は素早くハルの振る鉛筆を捉え、彼の唇から引き抜いた。代わりに、B4の鉛筆を彼の唇に咥えさせる。
「やったなり」
にんまりと、ハルが得意げに笑う。
先ほど、自分を不安げに見つめていた面影は既にない。
冬美は安心して、彼に笑顔を向けていた。彼が咥えた鉛筆から指を放す。
とたんに鉛筆はハルの唇を離れ、彼の胸元を転がり落ちていった。
いつもならハルはきちんと鉛筆を咥え、得意げに上下させるはずなのに。
それが、唇から落ちた。
「あれ……?」
ハルが声をあげる。
彼はシーツに転がる鉛筆を眼で追っていた。信じられないものを見るように。
「ごめん、冬美。今日さ、もう帰ってくんないかな…… 僕疲れちゃったみたい」
鉛筆を見つめたまま、ハルは笑顔を浮かべてみせる。
「ハル」
「いいから……」
静かに彼は言い放つ。
ハルの顔からは笑みが引いていた。彼はじっとシーツに転がる鉛筆を睨みつけている。
冬美は血の気が引いていくのを感じていた。
転がる鉛筆を見つめる。
いつもは易々と鉛筆を咥えていたハル。今日に限ってそれができなかった。
背筋が寒くなる。嫌な予感がしてしまう。
「冬美」
ハルに呼ばれる。びくりと冬美は肩を震わせた。
彼を見るのが怖い。だが、勇気を振り絞り冬美はハルへと顔を向けた。
「鉛筆、片付けてくれない?」
優しく眼を綻ばせ、ハルは冬美を見つめてくる。さきほどでの眼差しが、嘘のようだ。
「あ、うん」
冬美は急いでシーツに転がる鉛筆に手を伸ばした。
「ねぇ、冬美」
伸ばした手をとめる。冬美はハルへと顔を向けていた。
「福寿草、今年は見に行けるかな?」
柔らかな彼の眼差が、冬美に向けられている。
まるで、遠い昔を懐かしむようにハルは窓へと視線を向ける。
外では、白い雪が音もなく降っていた。
ハルは幼い頃に思いを馳せているのだろう。
2人で雪の中に咲く福寿草を見つめた頃のことを。
まだ、ハルが歩くことができた頃の話だ。
冬美はよくハルを連れて近所の林へと出かけていた。毎年、そこで咲く福寿草を2人で見つけに行くことが、何よりの楽しみだったのだ。
でも、今の彼は――
冬美は、ハルの体を見つめる。
筋肉が衰え、ベッドから出ることもできないハルの体。そんな体で外出などできるはずがない。
「冬美」
小さな声が自分を呼ぶ。
ハルの顔に視線を戻すと、彼は不安げな眼差しを向けていた。
冬美はじっと彼を見つめる。
「いけるわけ、ないよね……。うん、冗談! うそ、うそ!」
ハルが笑う。
乾いた彼の笑い声が病室に響いた。痛々しいその声を聴いて、涙が込み上げてきそうになる。
「行こうよ、ハル。福寿草を見に。約束」
涙を堪え、冬美はハルに微笑んだ。それでも声が震えてしまう。
「うん」
彼は微笑みながら頷いてくれる。綻ばされたハルの眼は、ほんのりと潤んでいた。
「ねぇ、冬美。スプリング・フィラメルって知ってる?」
「スプリング・フィラメル?」
聞きなれない言葉に冬美は首を傾げる。ハルは優しい声で続けた。
「春先に開花するまで、土中で冬を過ごす花のことをそう言うんだって。春を告げる花だからスプリング・フィラメル。福寿草もその仲間なんだ」
「知らなかった」
「ギリシャ神話でも福寿草は春を告げる花として描かれているんだ。
ある説話によると、女神アフロディーテはアドニスの養育を地下の女神ペルセポネに任せる。けれど、ペルセポネはアドニスを気に入って成長した彼をアフロディーテのもとに返そうとしない。
困った神々はアドニスに1年のうち3分の1をアフロディーテと、同じく3分の1の期間をペルセポネと過ごすように命じる。ただし、残りの時間は彼の自由。ねぇ、冬美。その自由時間をアドニスは誰と過ごしたと思う?」
「アフロディーテ」
「正解、良くわかったねっ」
「福寿草は長い時間を地中で過ごして、春になると花を咲かせに地上にでてくるんでしょ。
アドニス《福寿草》は冥府の象徴である地下から、アフロディーテ《春》に焦がれて地上に現れる。
死の国で時を過ごすより、アドニスは愛に満ちあふれた地上を選んだ。何だか凄いロマンチック。アフロディーテは毎年、花に生まれ変わったアドニスに出会えるんだから」
アドニスとアフロディーテ。冬美は2人に想いを馳せていた。
アフロディーテは幸せだったに違いない。毎年、雪の中から生まれ変わったアドニスが自分に会いに来てくれるのだから。
その逢瀬は世界が終わるまで連綿と続いていくのだ。
それはまるで――
「僕も、そうなれたらいいのに」
そっとハルは首を巡らせ、自身の体を見つめる。もう動くことのない、不自由な体を。
冬美はそんなハルから眼が離せなくなっていた。
ハルは誰よりも自分の運命を受け入れ、戦っている。
それでもときおり見せる彼の寂しげな眼差しに、冬美は胸が痛くなる。
「ねぇ冬美、福寿草の花言葉って知ってる」
「えっ」
「1つは悲しい思い出。アフロディーテとアドニスの悲恋を現した花言葉だ。でも、もう1つの言葉は……」
彼は口を閉ざし、ゆっくりと顔を向けてきた。
彼の眼が優しく細められる。唇に微笑を浮かべ、ハルは言葉を続けた。
「絵ができたら教えてあげる」
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