雪の中のアドニス
猫目 青
雪の林
福寿草
属名: キンポウゲ科フクジュソウ属(アドニス属)
英名: Amur Adonis
花言葉 悲しい思い出
雪の花が咲いている。
林に足を踏み入れると、雪を纏った木々が冬美を迎えてくれた。夜闇の中、蒼い燐光を放つ木は花開いたように可憐だ。
気を仰ぎ、ほうっとため息をつく。
吐かれた息は冷たい外気に触れて、白く変色した。
風が吹いて、木に積もった雪を散らす。蒼い虹色の輝きを放ちながら、雪は地面へと落ちていく。
地面に眼をやると、なんとも柔らかそうな雪が降り積もっていた。
まるで、洗いたてのシーツだ。
彼がいつも纏っていた真っ白なシーツを冬美は思い出す。
鼻腔にシーツの香りが広がる。
強い薬品の香りに混じって、かすかに太陽の香りが染みついたシーツ。
彼がいつも漂わせていた、心地の良い香り。
いつも自分が病室を訪れると、彼は筆を加えた唇ににっと生意気そうな笑顔を浮かべてくれた。
太陽のように明るい笑顔とは対照的に、彼の体はやせ細り沢山のチューブに繋がれていた。
冬美はそんな彼が嫌いだった。
思い出す。彼が泣き叫んでいた姿を。
――どうして、僕だけが!!
いつも笑っていた彼の本当の思いを、冬美はそのとき知ったのだ。
でも、彼が自分の思いを口にしたのはたった一度だけ。
苦しい胸の内を誰にも明かすことなく、彼は逝ってしまった。
「もっと、怒ってよかったんだよ……ハル」
目頭が熱くなる。
視界が潤んで、冬美は眼から涙を流していた。
あぁ、またハルに笑われる。
泣き虫と笑いながら、彼はそんな自分が羨ましいと言ってくれた。
感情を素直に表せる冬美が羨ましい。
彼はそう言って、いつも悲しげに眼を伏せるのだ。
冬美が不安げに顔を覗き込むと、彼はいつも急いで笑みを取り繕ってきた。
その眼は今にも泣きそうだというのに。
体の力を抜く。
冬美は柔らかな雪の上に身を横たえていた。
長い黒髪が雪の上で散らばる。
小さな結晶が舞い上がり、白い靄が冬美の体を覆った。
月が見える。山吹色の明るい満月だ。
「福寿草……」
山吹色の満月を見て、福寿草の色を思い出す。
冬に咲く、春の訪れを告げる花。
雪の中に咲くそれは、小さな黄色い花を咲かせる。
ハルの笑顔のように、健気で明るい色彩の花を。
とても小さかった頃、よくこの林で福寿草を探した。
歩くのさえ覚束無いハルの手を引いて、そっと雪を掻き分けてあげて。
花を見つけると、彼は嬉しそうに明るい笑みを顔に咲かせるのだ。
けれど、彼は次第に歩けなくなって。
外にも出られなくなって。
最後は――
「ねぇ、ハル。福寿草、今年も見に来たよ……」
彼に語りかける。
そっと眼を瞑ると、ハルの声が耳元に蘇ってくる。
亡くなる数ヶ月前に聴いたハルの言葉。彼は、福寿草の話をしてくれた。
福寿草の花言葉が『悲しい思い出』である理由を。
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