4話 夕餉
時間が経ち夕方、食堂車の席予約を済ませたジョシュアとベスは時計を見ながら待っていた。ジョシュアの握る懐中軍用クロノグラフは午後6時から10分前を指していた。
「そろそろかな」
「混んできたし、席予約しといてよかったですね」
ベスの声は少し震えていた。レミ嬢の正体を聞かされてから、彼は緊張し通しだった。ジョシュアは時計をしまいニヤリ笑って肩を叩いた。
「落ち着けって、何もされやしないんだから。さっきみたいに軽く振る舞えばいい」
「そうは言っても三年兵殿・・・あ、来たみたいですよ」
連絡通路のドアが開けられ、着飾った二人の淑女が登場した。赤いドレスの前に両手を上品に添え、眼鏡を外したソフィアの姿は一瞬別人に見えたが、兵用軍服を見つけて笑顔一杯に早駆けてくるのは彼らの知るレミ・ロスコーだった。
「こんばんは、遅れちゃったかしら?」
「こっちも今来たとこさ。眼鏡、無くてもいいの?」
「うん、えーと、そう、コンタクトレンズに代えてみたの!どうかしら?」
「眼鏡はとても似合ってるんだが、素顔なのも可憐だ」
「えへへ、褒めてばかりくれるのね。席は大丈夫かな」
「もちろん予約しておいた」
「ありがとう!あ、でも四人で座れるかしら」
「なあに、丸テーブルだから椅子を増やせば大丈夫」
「ならよかった。この人が一緒でもいい?」
「大歓迎です。なあ、ベス」
「は、はい」
「紹介するわ。こちら、私の家庭教師をしてくださってるミシア・マルゴー先生」
ツンとすましたミシアは、二度目の対面であることを隠して自己紹介した。先ほどよりキツイ顔をしていないのはソフィアに絆されたからなのかとジョシュアは苦笑した。
「はじめまして、ミシア・マルゴーです。先ほどお嬢様がお世話になったそうで。お二人に何か失礼があるといけませんので、私も同席させていただきます」
「喜んで。お友達になりましょう。私はトリブ共和国陸軍下士官勤務兵長ジョシュア・ウォーカーです。ほら、ベス」
「ぼ、僕は、同じくトリブ共和国陸軍上等兵ベス・シュヴァイツアです」
「こいつ、レミさんとマルゴーさんがあまりに美人だから緊張してるんです」
「あら嬉しい!」
「お嬢様、あまり調子に乗らないように」
「ともかく入りましょう。ここの料理は美味しいと評判のようですね」
「元王室料理長が食堂長ですもの、彼の料理は最高よ」
「レミちゃん、食べたことがあるの?」
ミシアは、またやった!と手で口を覆うソフィアを肘で小突き素早くフォローを入れた。
「お嬢様は、お父様の仕事の関係上皇室の晩餐会に招かれたことがあるんです」
「そういうことね、納得した」
長い食堂車の角が予約席だった。向かいに鎮座しているグランドピアノに座ったピアニストが静かな曲を弾いている。良い雰囲気に一行は満足して席に着いた。ジョシュアとベスは連れ二人の椅子を引いてやる。
「ありがとう、紳士ね」
「ふふ、そう言われたのは初めてだ」
「ありがとうございます。思ったよりマナーのある方たちで安心しましたわ」
「こらミシア、失礼よ」
「みなさん、三年兵殿、メニューです」
料理はどれも最高級食材を使っている珍味で、一市民かつ下級兵士のジョシュアとベスには馴染みがなかった。ソフィアとミシアは楽しそうに悩んで料理を選んでいる。
「兵食ばかり食べてきたからよくわからない。我々には貴女たちのおすすめを注文してください」
「そう?ならこれがいいわ」
ボーイを呼び、小難しい名前をしたハンバーグステーキやシチューを注文してくれた。ジョシュアは酒なら多少の知識があり、ワインメニューを開いて注文した。
「リリービンクスの赤、二十年を。ベスも飲むか?」
「高いお酒だし、少しならお付き合いします。ミシアさんは?」
「私は結構です」
「じゃあ、グラスを二つ」
「三つよ」
声を上げたのはソフィアだった。20代にならなければ酒が飲めないトリブ共和国の二人は目を丸くした。
「レミちゃん、君は16なりたてだって」
「そう、16歳は法的にお酒は飲めるわ。そちらのお国じゃ、20になってからだったかしら」
「お嬢様!」
「悪いことしようっていうんじゃないわ。でも、お父様とお母様には内緒よ」
「いけません!」
「まあまあミシアさん、法的に許されるんならいいじゃありませんか。これもいい経験ですよ」
「そう、経験経験」
「まったく・・・」
すっかりソフィアのペースに乗せられるミシアは頭を抱える思いだった。内緒と言われても報告しないわけにはいかず、皇帝に見初められ平民から皇室入りした、より自由奔放な性格の皇后は笑って許すだろうが、思春期の娘に頭を悩ます皇帝にはなんて言おうかと、自身も酔いたくなってくる。
「三年兵殿、水をお注ぎします」
いつのまにかソフィアとミシアのグラスに水を注いでいたベスはジョシュアのグラスにもガラス製ピッチャーを傾けた。
ベスの言葉を聞いて、ソフィアは初対面からの疑問を口にする。
「ベスさんのいう、三年兵殿ってどういうことなの?」
「三年兵殿、ですか。本来ならそう呼ばなくてもいいのですが、寝台戦友になってからの癖が抜けなくて」
「寝台戦友ってのは、入隊してから寝台の隣同士になった者のことだな。ベスは俺の一期下だ」
「入隊したら皆二等兵ですが、半年の教育を経て全員一等兵に進級します。そこからの進級は成績次第なので、同階級の先輩がいることになります。ですから入隊して先輩が上等兵以上に進級するまで、何年兵殿、と呼ぶのです」
「俺はベスと違う階級だから、兵長殿と呼べばいいわけ。でも一等兵の時俺は一度原隊を離れて、帰ったら進級してたもんだから」
「原隊を離れることなんてあるの?病気?」
警護官になる前少しだけ軍隊にいたミシアは、身近な話題になったのを機に身を乗り出す。トリブ軍では特別教育などで原隊を離れることがあるにはあったが、ラグーシャ軍では下士官以上でなければ特別な教育はなく、病気以外で原隊から出ることはほとんどなかった。だが、ジョシュアの状況は少し違っていた。ジョシュアが頭をかいて略綬の由来を説明しようとすると、代わってベスが口を開く。なぜか誇らしげなのは、なんやかんや好きな先輩の手柄話だからか。
「動員部隊にいたんです。戦地で手柄を立てて三年兵殿は進級しました」
トリブ軍の一部は、他国との協定により紛争地域に派遣されていた。紛争が終結して復員したのは演習派遣の二ヶ月前だった。
「不良兵だったからなあ。人事の准尉ににらまれてたわけだ」
「戦争に・・・辛い思いもしたんでしょうね」
「いや、俺なんて大した思いはしなかった。酷い目に遭ったのは他にいくらでもいる」
「三年兵殿の手柄も、少し風変わりですもんね」
「風変わり?」
「ワインが来たようだ、飲みながら話そう」
ボーイが各々のグラスにワインを注いでくれる。かっこつけて香りを嗅ぎ口をつけたが、酒の銘柄だけは知っていても、貧相な舌では国産の安ワインと違いがわからなかった。
戦地でガブ飲みした甘いワインの香りが硝煙の臭いとともに脳裏に蘇る。
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