第2話 シけた店と店長


「ただいまぁ」


 目的地に着いた私は、けだるげな声とともに、青いペンキで彩られた扉を開ける。開けたと同時に来客を知らせるベルが控えめに鳴り響く。そして、寒すぎない絶妙な空調が私の体の隅々まで駆け巡り、さらに今までかいてきた汗が、肌に伝わる冷気をより強力なものとする。そのあまりの解放感に、私は片手に持っていたビニール袋をドサリと床に置き、大きく腕を広げて伸びをする。はぁ、気持ちいい。後は冷たい水があれば完璧だね。


 と、私が存分に冷房を堪能していると、店内の奥からコツコツと歩いてくる音が聞こえる。


「カナノちゃん、お帰り~。今日はいつもよりちょっと遅かったね」

「んー、まあちょっとね」


 そう適当に返事しながら、私は声の主へと顔を向ける。


 長い髪を後ろに束ね、猫柄のエプロンを身に着けた長身の女性…店長である愛川優日あいかわゆうひが、水の入ったグラス片手に、こちらにトコトコと近づいてくる。


「外暑かったよね。はい、冷たいお水!」

「それ今私が世界で一番欲しかったやつ。ありがとね。あ、あとこれ。はい、砂糖」

「わ~!ありがと~!」


 店長はそう言いつつビニール袋を受け取り、私はそれと引き換えにグラスを受け取る。手のひらに伝わるひんやり感に、思わずそのまま首元に持っていって冷やしたくなったが、さすがに口渇感の方が強かったため、私はグラスの中の水を一気にのどに流し込んだ。冷たい水が食道を通って胃に流れていくその快感に、私は思わず顔をしかめる。どうでもいいけど長時間何も飲まずに冷たいもの飲むと本当に胸のあたりがひんやりして気持ちいいよね。


「はぁ…。生きてるけど生き返る…」

「ふふっ。カナノちゃんってホント水が好きだよね~」

「安上がりな女で楽だな~とか思ってるでしょ」

「ねえ思ってないから!ていうかカナノちゃんほんと良くない!卑屈になる癖やめよう!?」

「世界一卑屈な女だからね、私は」

「自分でそんな悲しいこと言わないでよ…」


 店長が呆れた、といった感じに大きなため息を吐く。まぁ卑屈になる癖、というか、卑屈なことを言えば店長が面白い反応をしてくれるから言ってるだけなんだけどね。しかし、そのせいで卑屈な性格になりつつもあるのだが。


「ふう…。…それにしても」


 グラスの水を飲み干しながら、私はカウンター席に座り、店内を見渡す。私も別に非常識な人間ではないため、お客さんのいる前で店長とこんなやり取りをするつもりはない。が、したということは、今この店内には誰一人お客さんがいないということだ。ガラッとした店内、そして哀愁漂うバックグラウンドミュージック。それらすべてを含めて私はつぶやく。


「この喫茶店、終わってんね」

「!?…ちょっとカナノちゃん!真顔で現実突きつけるのやめてよぉ!」

「いや今更過ぎる。私が初めてこの店来た時から繁盛した試し一度もないよ」

「うぅ…。た、確かに最近は売り上げも右肩下がりかもしれないけど!何がきっかけで店が盛り上がるかなんて分からないよ!」


 店長は泣きそうな顔をしながらも、私のことを必死に説得してくる。確かに何がきっかけで店が繁盛するかは分からないとは思うが、かと言ってこの店が盛り上がるためのきっかけなどそもそも何も無いと思う。というかそんなに説得されても私としては正直な話繁盛しようがしまいがどちらでもいい。薄情者でごめんね。


 …それにしてもこのおなご、先ほどの発言からしてまだ現実が見えていない様子である。今の店長に色々と物申すのは気が引けるが、まぁ一応言っとくか。


「…あの、すみません。私の記憶が正しければ、肩ではなく終始Aカップの胸だったと思いますが」

「!!…。う、うわあぁぁぁん!」


 とうとう店長は、顔を手で覆い、膝から崩れ落ち、ワンワンと泣き出してしまった。その痛々しい姿に、流石に私もやりすぎたなと反省…するはずもなく、床に崩れ落ちる店長をただただ冷ややかな目で見る。


 まぁ当たり前の話ではあるのだが、この人は店長であるため、自分の店の経営状況は完璧に把握していなくてはおかしい。と、なるとここ最近の売り上げが右肩上がりであるか右肩下がりであるか、はたまたまっ平な地面であるかなどは、当然理解しているはずである。ということは、先ほどの店長の発言である、最近の売り上げが右肩下がりうんぬんかんぬんというのも、理解している上でわざと言っているということになる。まあ大方、普段から私が店長に対してキレのいいツッコミをしているからだろう。もはや店長のほうから私にツッコミをさせたいがために冗談を言うようになってしまうとは。これからは少しツッコミは控えるか。私のツッコミ待ちで店長が冗談ばっかり言うようになっても面倒くさいし。


 相変わらず床で泣いている店長の肩に手をポンと置く。


「まったく…。冗談はこのカフェの廃れっぷりだけにしときなよ」

「いやそこは全然冗談じゃないよ!?」


 叫びながら店長はスクッと立ち上がり、こちらを見る。その目尻には涙が浮かんでいた。


 まあ色々ひどいことを言ってしまったが、店長が本気で悩んでいることぐらいは私も分かっているつもりである。確か店長の夢ってオシャレな喫茶店でかっこいい男の子とかわいい女の子と一緒に働きたいだとか前に言ってたし。…よく考えたらめっちゃ欲にまみれた夢だな。やっぱりこの店がどうなってももうどうでもいいや。


「そんなことより店長。ちょっと聞きたいことがあるんだけどー」

「そんなこと!?ひどいよカナノちゃん!私本気で悩んでるのにぃ…!」

「いやもう大丈夫。このカフェはなるようになるから、とりあえず私の話聞いてくれない?」

「もう…!…それで、どうしたの?」


 店長は泣き顔から一変して、いつもの優しい表情になり、私の横の席に座り、話を聞く態勢になる。真剣に話を聞いてくれそうな所申し訳ないのだが、私が聞きたいのは先ほどの男二人組の会話から感じた違和感という漠然としたものなので、店長にこんな話をしてもキョトンとされてしまうかもしれない。しかし、私が話せる相手など店長以外に誰もいないし、この違和感をずっと胸の中にしまっておくのもスッキリしない。


 私は、グラスの中の溶けかかった氷を見つめながら、ぽつぽつと話し始めた。


「…私さ。この世界を理解しちゃったかもしれない」

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