私と終わりと思い出と
応答せよ、こちら惑星スマートフォン
皆さんこんばんは、深花です。
前回と少し間隔が空いてしまったのですが、実は今日も更新する予定は特になかったんです。ただ忘れない内に書いておこうと思い、スマートフォンのブルーライトに照らされて、真っ暗な部屋で黙々と文字を打っているのです。
一昨日の夜に仲の良い同級生と電話をしたのですが、友達が、眠くないから眠くなるまで話すと言っていたのですが思いの外長引いてしまって朝の4時前まで電話が続いて。
最初は高校の思い出などを話していたのですが、話していると急に淋しさと卒業の実感が込み上げてきました。ああ、もう戻ってこないんだな、と。中学生の頃までは早く大人になりたいとか大学生になりたいとか成長を望んでいたのですが、今では過去に戻りたいとまでは思わないにしてもこのままで居たいと思うことが多くなりました。
無力な私達は時間という制限時間がつけられた生き物ですが、‘終わり’についてもよく考えてしまうんですよね。親とか友達とかが死んでしまうなんて考えられないけどいつかはその瞬間がやって来るんですよね。それを思うと無性に悲しくなってきて胸が苦しくなります。
自分が死ぬこと自体は抵抗がないというか怖いという感情はないのですが、死んだら自分の周りのものと別れてしまう悲しさが凄くあって。幼い頃から大切にしているぬいぐるみはどうなるのだろう、とか。コレに関してはトイストーリーが本当に大好きなんですけどその影響なのかぬいぐるみやモノに感情が宿ってると信じているんですよ。他の人には笑われるかもしれませんが。
ともかく私が1番恐れているものは「死や終わり」ではなくて「別れ」なんだなと最近分かりました。この別れがこわくてこわくてしょうがないのです。こんなに愛しているのにどうして終わってしまうのか。と思うわけです。どうすればいいのでしょうか?
この私のキモチを表してくれている曲がありまして、世界の終わり(SEKAI NO OWARI)の‘死の魔法’という曲なんですけど聴いていると無性に泣きたくなるんですよね。
心の中に漂っているキモチをひたすら文字に起こしているのでグチャグチャな文章ではあると思うのですがここで吐き出させてください。
人って何でこんなに別れとか終わりに恐怖を感じる一方魅力のようなものを感じるのでしょうか。死ほど人に美しさを感じされるものはないと思うんです。何かで見たのですがヒット映画や小説には必ずと言っていいほど死に関する何かが絡んでくると。その真偽は分かりませんが‘死’というコンテンツは太古から本能的に人を惹きつける何かがあるんでしょうね。
プログラムが停止するまで。制限時間を迎えるまで。それまでは生き続けてみようと思うわけです。「別れ」はとても怖いですが、‘「死」とは何か’が私の一生のテーマだと思うので歩き続けてみようと思った一日でした。
きっと明日の朝見返してみたら何を書いてたんだ。と自分でも思うほど可笑しな文章だと思いますが、それでも最後まで読んでくださった貴方に感謝。
深花
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます