第13話 元カノの呼び方
宇佐美と鷺坂さんの仲がだいぶ進展した翌日。
え? なんでって?
順を追って説明しよう。
昨日、主に鷺坂さんの勢いによって、彼らふたりは名前で呼び合う仲になった。
これまでみたいに、話そうとするたびに余計に緊張して全然会話が成立しないなんてこともなくなった。これはおそらく、昨日赤くなりすぎたせいでもう話すくらいじゃなんとも思わなくなったからだろうけど。
で。
仲良くなった彼らの進歩は、著しかった。
うさみ :あの、みきさん
ミキ :なあに、かずやくん?
うさみ :明日のお昼、一緒に食べない?
うさみ :ここの4人で、よかったら
ミキ :いいよ!
ミキ :どこにする?
うさみ :学食は?
ミキ :うん、OK!
うさみ :佐谷も大丈夫だよね
ミキ :はるかちゃんも
3分しか目を離してなかったのに、その間にうさうさの4人で昼ご飯を一緒に食べることが決まってたりした。
いやあの。なんで。
いつの間にコミュ力増大したの? 愛なの? 愛が成せる技なの?
ともあれ。
昼休みは基本的に暇と宣言してしまっているし、事実でもあるので、変な理屈をこねくり回して断るよりは行って頑張った方がマシだろうと思った。どうせ宇佐美とはよく一緒に食べてるし。
で、いつぞやみたいに4人席に収まったわけだ。
どうせ、宇佐美と鷺坂さんの様子を見守っている間に昼休みくらい過ぎると思っていたのだけれど――これに関しては、俺(と内川)の見通しが甘かったらしい。
「いやー、疲れた疲れた」
「かずやくんも午前授業だったんですか?」
「1限から、ね」
お前ほとんど授業聞かずにずっと頭の中で小説のこと考えてるだろ。俺は知ってるんだぞ。
……まあ、鷺坂さんからの好感度が下がるかもしれないから、曝露するなんてことはしないけど。
「わー、おつかれさまです」
「はるかさんは?」
「わたしは2限だけだったから」
「そっか」
なんとなく肉が食べたい気分だったのでチョイスした竜田揚げ定食。
値段の割にはちゃんとジューシーな鶏にかぶりつきながら、ふたりの会話に耳をそばだてる。
もうこいつら、俺たちのアシストいらないんじゃないか?
そんなことを考えていると、対面に座った内川と目が合う。奴も竜田揚げをかじっていた。なんで被るんだよ。メニューいっぱいあるだろ。
目が合ったついでに、ちょっと会話が途切れてるから話をつなげ、という感じの思いを視線に乗せて伝える。
「佐谷君は?」
伝わったらしい。内川さんから自発的に聞いてくれた。
「あ、俺も午後からだよ。3限から。そちらは?」
「へー。あたしも午後からなんだ」
俺と内川は4人分のタイムスケジュールを共有しているから、時間割は全部知っているんだけどな。
知っていることなのに、わざわざ声に出して確認していることが滑稽で、笑い出したくなる。抑えるけど。
「ふふふ」
内川の隣で、鷺坂さんが幸せそうに笑っている。
まさか、宇佐美と会えたから幸せとかそういうわけじゃないだろう。彼女の視線は、俺の方に向いている。
「あの、佐谷くん」
あんまり俺のこと構うとまた宇佐美がいじけちゃうぞ。……あ、名字呼びだから差別化できてるとかそういう感じだったりするのか。まあいいや。
「何?」
「やっぱり、はるかちゃんと仲いいですよね」
「いや別に」
「ぜんぜん」
ちょっと待て、友好的な関係を演じないといけないのに「ぜんぜん」はまずくないか、内川さんよ。
……どっちもどっちか。どんぐりの背比べだった。
「ほら」
赤メガネの奥の目がじとーっとなって、ほんとかなーと聞かれているような気分になる。
「いやだから、別に内川さんとはそんなに話してるわけじゃ――」
「ねえ、かずやくん」
「ひゃ、はい!」
慣れてきたとはいっても、予期していないとびっくりしちゃうようだ。それでこそ男子校出身ってもんよ。
「はるかちゃんと佐谷くん、仲いいと思いますよね?」
突然の質問にきょとんとしつつも、宇佐美がこくりと頷く。
その返事に満足そうに鼻を鳴らした鷺坂さんは、今度は俺たちふたりに問いかける
「それだけ仲がいいのに、いつまでも他人行儀な呼び方なんて。もったいないと思いません?」
「いや別に」
「思わない」
ふたり同時に、全力で、首を振る。
これは……やばい。
俺たちはそんな関係じゃない。仲がいいなんて関係じゃない。最悪だよ。冷えっ冷えだよ。
でも、そっちのふたりがあまりにくっつかなそうだったから。両思いなのは分かりきってるのにくっつかないから、手助けをしてやろうってだけの、ただの協力者だ。共犯関係だ。
別に、仲良くなろうだなんて思ってない。なりたいとも……思わない。
「そうだよ、佐谷。もったいないよ」
宇佐美ぃぃぃぃぃぃ。お前まで!
幸せそうな笑顔を浮かべて、「仲のいい呼び方」の良さを全力でアピールしてくる。
そういうわけだ。
こんな感じで、俺と内川は、窮地に立たされた。
だいっきらいな元カノと、仲良くならないといけない――そういう窮地だ。
だいっきらいな元カレの、名前を呼ばないといけない――そういう窮地だ。
……どうしてこうなった。
ふたりのオーラに押されて、内川と向かい合う。
こうなってしまうと目を逸らすのも不自然である。いっそ眼光で射殺すくらいの気持ちで向かい合う。
やっぱり顔はいい。
黒曜石みたいに真っ黒で、でも吸い込まれてしまいそうな大きな瞳。すらっと通った鼻。
怒っているのか、少し膨らんだ頬の曲線もそれはそれで美しい。
美しいだけに――むかつく。
なんでこんな女と俺は昼休みに向かい合ってにらめっこしてるんだよ。おかしいだろ。
さあ、どうすればここを切り抜けられるんだ。
さすがに昼休み終了までこのままの姿勢を保ってやり過ごすというのは無理がある。まだ食べ始めたばっかりだ。
というかどっちにしろ、俺が責任を持つのは嫌だな……って、待てよ。
内川の口が、ほんの少しだけ動いている。怒気を孕んで。
それだけで。それだけで、わかってしまった。
(あ・ん・た・の・ば・ん)
「嫌なことは交互でやろうね」制度。
こないだあっちに押しつけたから、次は俺がやらなければならない。
……マジか。
え、なに。どうすればいいの。
「内川さん」だとダメでしょ。
「内川」もダメだろ。「そんなんじゃ距離縮まりませんよ」なんて言われて帰してもらえなそう。
かといって下の名前は――絶対ダメだ。それだけは何があろうとダメ。だって、ねえ。一度も呼んだことないのに。
だったら、かくなる上は――ニックネームしかないだろう。そうだな、「内川」だから……
「うっちー」
内川は何度か目を瞬かせたあと、怒気がすっかり消えた声で、こんなことを言った。
「いっちー」
「賢一」とかけたんですね。はい。
どちらからともなく、無言で頷き合った。
まあ、ピンチだったにしては、そこそこうまく切り抜けたでしょ。
ニックネームじゃなく、コードネームくらいに思っておけば、きっと大丈夫だよ。うん。
「……ふたりがそれでいいなら、いいんですけどね」
鷺坂さんからは、どうも呆れられてしまったような雰囲気がした。
……解せぬ。
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