第12話 友だちと下の名前

 鷺坂さんはまだ固まってしまったまんまだけれど、ここは勝負どころだ。

 なんでって、俺たちはすでに鬼札を切ってしまったのだから。「出逢った日のキーアイテム」というやつを。


 ここは会話をどうにかつないで、ぽんこつふたりがもうちょっと気軽に話せるくらいにまでは持って行きたい。じゃないとほんとに話が年単位になってしまう。

 鷺坂さん――に話を振るのは無理か。


「なあ宇佐美、その漫画のどこが好きなんだ?」


「全部」


「いやあの」


 それじゃ話が進まんから。


「好きなキャラとか」


 俺が読んでない設定になってしまったので(うっかりしていた)、あんまり深いところを突っ込んで聞けないのがもどかしい。


「あたしはクニコが好きかも。雰囲気とか、生き方とか」


 お、内川さんナイスアシストです。


「……へー、クニコ? どの子?」


 って。おい。なんで宇佐美も鷺坂さんも反応してやらないんだ。

 会話が成り立たないじゃないか。


「これ。この子」


 そうやって、登場人物紹介のページをこちらに見せてくる。

 ふむ。なんかツリ目だなあ。さばさばしてそう。


「……内川さんと似てる?」


「いや似てないでしょ」


「雰囲気が」


「似てない。というかあ――佐谷君、読んでないからわからないでしょう」


 おい、「あんた」とか間違っても言うんじゃないぞ。いやほんとに。


「じゃあ読むから貸して、宇佐美」


「今1巻持ってない」


 うーん、どうしても俺と内川さんの間で話が終わってしまう。


「あ、あの……佐谷君……」


 とか思ってたら、やっと復活した鷺坂さんがこちらに話しかけてくれた。

 どうして宇佐美じゃなくて俺に……まあいい。4人の中でスムーズに会話が回るようにするのも重要だ。

 ……と思ったら。なんすか。え、なんで手招きしてるの?

 なに。俺にそっち来いって? 耳元でしゃべるの? なにそれ?


 一応、内川とちらっとアイコンタクトをとる。問題なさそう。

 宇佐美は……まあいいや。お前がさっさと仲良くならんのが悪いんだぞ。


「ありがとうございます」


 俺の右耳を、鷺坂さんの囁き声がくすぐる。

 というか、大きい声出さなきゃ普通にしゃべれるのかな。

 それとも宇佐美に聞かれないなら緊張はしないみたいな感じなのかな、まあいいか。


「どういたしまして」


 いったん顔の向きを戻し、彼女と向かい合って返事をする。

 そういえば、これまで、鷺坂さんの顔をこんなに近くで見たことはなかったな。赤いメガネの奥の目が意外とぱっちりしていることを知る。


「実は私今1巻を持ってるんですけど。読みますか? というか読みましょう」


 今までの彼女の雰囲気とは違う。熱というか、勢いを感じる。

 何か自分が大好きなものを推す時の人の声をしている。


「ほら、読めばはるかちゃんとの話題も増えますし」


 ……ん?

 はるかちゃん? はるかっていうと……内川遙香、、、だよなあ。なんで?


「もっと仲良くなっちゃってください、ね?」


 ここまで囁くと、鷺坂さんは俺に紙カバーのかかった本を渡して離れていった。

 なんだいまの。台風かよ。



「ねえ、何話したの? 仲良さそうじゃない」

(ねえ、どうしてあんたが仲良くなってるの)


 台風の後は、川が氾濫するものと相場が決まっている。

 俺だけに向けて怒りを乗せて、内川が話しかけてきた。


「いや、1巻貸してもらっただけだって! ね?」

(特に怪しいことなにもしてないから。ほんとに)


 鷺坂さんも無言で頷く、けど。

 俺ら怪しすぎるんだよな。それだけだったらこしょこしょ話する必要ないもん。


 あ、今度は鷺坂さんが内川の耳に手を当てて――

 まるで彼女の手がヒーターなんじゃないかと思うくらいすぐに、内川の耳が真っ赤になった。首をぶんぶん振っている。いったい何を吹き込まれたんだよ。


「ねえ、佐谷」


 こうなると男の声で囁かれても嬉しくないな。


「僕も鷺坂さんに囁いてもらいたい」


 女性陣がわちゃわちゃしている間に、俺たちもこっそり話をしておく。


「正直かよ」


「どうすればいいかな」


「仲良くなれ。具体的にはちゃんと鷺坂さんと話せ」


「うっ……まあでも佐谷はちゃんとやってるもんね……」


 いや俺は向こうから囁かれただけなんだけど?


「よし、僕もがんばるよ」



 そして。

 宇佐美は有言実行だった。一歩がんばって、鷺坂さんに近付いた。


「あの、鷺坂、さん」


「ひゃ……はい」


 俺と内川は揃って息を呑み、ふたりの邪魔にならないように口をつぐむ。


「えっと、そのラノベ、僕も好きなんだ」


 鷺坂さんも、がんばった。さらに一歩踏み込んだ。


「うん、知ってます」


「え……」


「だって、入試の日に読んでたじゃないですか」


「あ……」


 宇佐美はもううわごとみたいに母音を発声するだけの機械になってしまったが、それを観察する余裕のない鷺坂さんが健気に言葉をつないでいく。つないでいってしまう。


「あの日はティッシュをありがとうございました」


 ここでいったん言葉を切ると、鷺坂さんは宇佐美の方をまっすぐ見つけて、一音一音を噛み締めるように彼の名前を呼ぶ。


「うさみ、かずやくん」


 3ヶ月越しのお礼。

 お互いがお互いのことを覚えていたことの確認。


 やっと、彼らの大学生活が、本当の意味で交わり始めたんじゃないだろうか。

 入学式でばったり会ってから1ヶ月もかかるだなんて、外で応援する俺たちからしても思いもよらなかったけどな。


「お、覚えてたんだ……」


 そりゃあ、ひらがなでデカデカと名前が書いてあるティッシュ渡された人はそりゃ忘れないだろうよ。


「もちろん。忘れませんよ」


 鷺坂さんの笑顔の返事に、ただ宇佐美はたじたじとするだけだった。


 そして俺たちも想定していなかったのだけれど――ここで、鷺坂さんはもう一歩踏み込む。

 どうやら彼女、好きな作品について語れそうな時はテンションが上がってしまう傾向にあるらしい。


かずやくん、、、、、は、これ、どこが一番好き?」


 右手に持ったラノベを掲げるところまではいい。その後のセリフが問題だ。

 ねえ。下の名前で呼んじゃうなんてねえ。男子校出身の宇佐美なんて心臓麻痺起こしちゃうよ。ほら。


「あ、あののの、え、っと、鷺坂さん」


 こう宇佐美が言った途端に、彼女の笑みが曇る。


「やです」


 へ?


「あの時にフルネーム教えてくれたんですから、私も今言います。鷺坂実紀です」


 それは自己紹介の時にやってるでしょ、とはつっこめなかった。


「ので、みきって呼んでください」


「鷺坂、さん?」


 ぶんぶん、と無言で首を振る。肩までの黒髪がふぁさふぁさと後を追って揺れる。


「えっと……みき、さん」


 宇佐美が鷺坂さんの方をまっすぐ見て、観念したように言う。

 なんだこいつら。進展早いぞ。


「えへ……かずやくん」


「みきさん」


「かずやくん」


「みきさん」


「かずやくん」


 なんだこいつら。初々しいカップルかよ。……そうだったわ。

 何往復かすると、ふたりの声が止んでしまう。宇佐美も鷺坂さんも、幸せそうな表情をにへらと浮かべて固まっている。ふたりとも、処理限界を超えてしまったのだろう。

 漫画だったら、頭から煙が立ち上ってるところだ。


「なあ、内川」


「なにかしら」


「成功、でいいんだよな?」


「いいんじゃない?」


 なんかもうほっとけばくっつく気がしてきた。

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