第6話 元カノと理由

 4限が終わってスマホを開くと、LINEのアイコンの右肩に赤丸数字がくっついていた。

 誰だろう。タップする。


   うちかわはるか:ねえ


 うっへえ。元カノあいつかよ。


   うちかわはるか:わたしたち、協力が必要だと思うの


 俺の既読がついたとみるや、さらに追加のメッセージが送られてくる。なんだなんだ。


   うちかわはるか:というわけで。打ち合わせしましょう

   うちかわはるか:[画像を送信しました]


 大学の近くのカフェ(宇佐美とよく行くところとは別)の地図が送られてきた。来いってことか。今から?


 うーん……

 でも、確かに、俺の目的を達成するためには、内川あいつとの協力が不可欠なんだろうなってことは、薄々感づいている。前もって相談しないから今日の1限みたいなことが起こるというのはわかる。

 しかたない、か。


「宇佐美」


「どうした?」


 まだ帰り支度をしている最中だし、今なら撒けるだろう。

 事情を話すとなかなか面倒ごとになりそうだし。


「ちょっと寄るところができた。今日はばいばい」


「え? ちょ! 佐谷!」


 早歩きで教室から出て、すぐのところにあるトイレの個室に入る。ここで5分くらい待つことにする。


 * * *


 首尾よく宇佐美を撒いて、やってきた喫茶店。チェーン店ではなく、昔ながらの喫茶店っていえばいいんだろうか。……まあ、俺は昔を知らないわけだが。


 少し重いドアを押し開けると、からんころんと音がした。

 その音に反応して、カウンターの端でポニーテールがぴょこんと揺れる。


「遅かったじゃない。来ないかと思った」


「誰かさんがギリギリに連絡してくるからだ」


 宇佐美を振り切るの、大変だったんだぞ。ちょっとはこっちの事情も考えろ。


 え。というか何。俺こいつの隣に座るの。マジ?

 昔でもこんなに近くに座ったことないんじゃねーの? ……まあ、そんな意識することもないか。

 よ、っと。


「ブレンドで」


 お財布も気になるところだし、何よりこういうお店でカフェオレは似合わなそう。


「はいよ」


 コーヒーの豆による味の違いとか、俺にはあんまりわかんないけどね。


「で、どうしたってんだこんなとこに呼び出して」


「あんたも気付いてるでしょ」


 隣に座っているけれど、目も合わせずに話を始める。

 ……意外とこれ、ハタから見てるとかっこいいんじゃない?

 まあお互い顔を見たくないだけなんですけどね。


「はあ」


「あのふたりをいい感じにさせるには、あたしたちふたりの協力が必要ってこと」


 どうやら、そういうことらしい。


 俺は今月頭から、宇佐美と鷺坂さんがいい感じにくっついてくれればなあと思って、ふたりを後押ししている。

 そして、今の口ぶりからすると、俺の元カノ内川も同じことを考えているようだ。薄々わかってはいたけどね。そう考えないと鷺坂さんの動きが不自然すぎるもん。

 に、しても。

 宇佐美と鷺坂さん、それじゃあ今両片思い状態なのか。もうさっさとくっつけよ……


「ねえ、聞いてる?」


 マスターが淹れてくれたコーヒーをひとくち飲んで考えにふけっていると、隣の内川がこちらの顔をのぞき込んでくる。

 こちらがそっぽを向く前に目が合ってしまって、黒曜石みたいに透き通った瞳からナイフみたいに鋭い視線が飛んできた。


 ……まったく。近いんだってーの。

 顔だけはいいんだからドキドキしちゃうだろ。絶対表には出さないけど。


「聞いてる聞いてる。宇佐美と鷺坂さんの話だろ?」


「そうよ」


 内川はというと、ウィンナーコーヒーを飲んでいる。

 誰もが一度はコーヒーにソーセージが刺さってるもんだと思うよな、このメニュー。正解はホイップクリームです。


「話を進める前に、ひとつ確認するから」


「なんだよ、藪から棒に」


「そっぽ向いてないでこっち向いて」


「なんで」


「四の五の言わない」


 肘で突っつかれた。痛……くはないけど、なんだよもう。

 諦めて内川と向かい合うと、彼女はじぃっと俺の目を覗き込んで、こんなことを聞いてくる。


「あんたがどうしてあのふたりをくっつけようとしているのか。理由を聞かせて」


 真剣な目をしているけれど、あいにく俺に本当のことを言う気はないんだ。すまない。


「野次馬根性」


「嘘ね」


「ほんとほんと」


「……あんたに限ってそれはないでしょうよ」

 

 そういう言い方ができるほど、深く付き合った記憶はないんだけどなあ。でも、なんでこう、ちゃんと言い当ててくるのかねえ。


 言い当てられたからといって、こいつにちゃんとした理由を言ってやる義理はない、のだけれど。

 何より恥ずかしいし。

 恋愛小説を引き続き読みたいから――あわよくば描写がグレードアップしてほしいから、その作者である友人の恋路をお手伝いします、だなんて。

 まだ女が言うなら「ロマンチックだねー」で許されるかもしれないけど、男が言うのはあかんやろ。


 だから俺は、続けて逃げの一手を打つ。


「理由は言わないまま協力関係を築くというのはいかがでしょう」


「ほら、理由あるんじゃない……」


「あっ」


 何これ。誘導尋問?

 いや、俺が勝手に自爆しただけか。


「まあいいわ。でもね、理由も言わずに、信頼関係なんて築けると思う?」


「それは……」


「思わないでしょう。まして、あんたとあたし、、、、、、、よ?」


 こんなことを、こんな風に諭される日が来るなんて、思わなかった。

 それも、それができずにすれ違ってしまった相手から。


 俺が過去に思いを馳せていると、内川が何かを決意したように一度頷き、ホイップの浮いたコーヒーを一口飲む。


「わかったわ。あたしが先に理由を言う。だからあんたも言いなさい」


「え、まっ」


「これが、あたしたちふたりの間に、協力者としての信頼関係をつくれる唯一の方法だと思うの。だから――言うわ」


 はぁ~と深く溜め息をついてから、キリッとこちらを睨んで、「笑わないでよ?」と念を押す。

 そんな風に表情がころころ変わる様子がなんか面白くて、もう笑ってしまいそうになるのをぐっとこらえた。


「あの子――実紀、漫画を描くのよ。上手なの。あたし、好きなの」


 ……ほう?


「実紀の書く、恋愛漫画が。だから――その、ね? 変にこじれたりして、あの子が傷ついて、描けなく――」


「ぷっ……」


 笑うなと言われていたので、あははと笑うのはなんとか抑えたけれど、ちょっともう我慢しきれなかった。

 こいつの前で、ポジティブに、笑う日が来るだなんてな。半年前の俺に言ったらどういう反応するんだろ。


「ってひどい! 笑った! やっぱ最低!」


 照れと怒りがブレンドされ、結局顔を真っ赤に染めた内川が叫び出す。


「ちがう」


「いいわ、もう帰――」


 怒らせてこじらせ――ても俺的には一向に構わないんだけど、宇佐美と鷺坂さんの関係的には、ここで俺らふたりが喧嘩別れするのは望ましくない。

 きっちりかっちり、お互いの利害が一致することを確認して、その上で協力すべきだ。


「違う違う。あのな、俺も似たようなもんだ。同類――って言うのはちょっとむかつくからやだけど」


 もうかばんを肩に掛け、席から立ち上がろうとしている内川を引き留める。


「何よ」


「あいつ――宇佐美もな、小説を書くんだ。恋愛、というか、ラブコメ、というか。で、俺、あれ読むの好きなんだ」


「はあ」


「だから、俺も、あいつの恋愛観を壊したくないんだよ」


 俺の方に向き直ろうとしていた内川が、その動きを中断してそっぽを向く。


「ふん、何それ。真似しないでよね」


 とげとげしい言葉とは裏腹に、すっかり怒りの色は消えていた。


「ほんとだっつの」


「まあ、いいわ。それならあたし達、協力できそうだから」


「そうだな。手伝わせて、、やるよ」


「ふん」


 鼻を鳴らしながら眼前に差し出されたのは、俺のよりやや小さい手。お互いそっぽを向いて、全力で握り合う。

 元カノと共同戦線を組んで友人カップルを応援するなんて、ほんと、奇妙なことになってしまった。



 2週間ぶりの握手を終えて、「ちょっとは手加減しなさいよ……」とか言いながら500円玉を俺の手に叩きつけ、内川は店を後にした。


 カップに1/3くらい残ったコーヒーを一気に呷って、俺も立ち上がる。

 冷めていたからか、とっても酸っぱい味がした。

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