第2話 懐古
大学入学のため上京してから嫌なことがあると昔の夢を見ることがたまにある。
その大半がただ純粋に楽しみながら友人たちと川遊びしていたり、虫かごと網を持って山に出掛けたりと将来の事に悩んだりする必要のない時期で、とても楽しかった時の夢だった。
それはだんだん増えてきて、いつしか未来への期待による夢は見なくなった。
昔は良かったなんて言葉は使いたくないけど、きっと今の自分は無意識のうちに過去のあの頃の思い出に縋って生きているのだろう。
今日また昔の夢を見たのは余程心が疲れていたからだろうか。あの夢を見たおかげで少しは心に元気が戻った気がするので良しとしよう。
そんな風に晴れた心ですっきりとした目覚めを迎えたオレは布団から起き上がる。
すーはーと体を伸ばしながら深呼吸をしてみると畳の香りが鼻に入ってくる。
・・・いや、おかしい。
オレの部屋はフローリングだし、寝ていたのはベッドの上だ。
思わず周りを見渡すと室内は少年漫画ばかりの本棚と上にゴチャゴチャと物が散乱した勉強机。
服が色々な引き出しからはみ出している木製タンス。
畳の上には何枚かプリントが散らばっている。
「ヒロ~あんた、友達と約束してるんちゃうの~?もう9時やで!」
状況を整理しようと必死に頭を働かせて昨日の出来事を振り返っていると部屋の外、おそらく下の階からオレを呼ぶ声がした。
・・・これは実家にいるはずの母の声だ。
というかこの部屋は実家の俺の部屋だ。確か前に一度だけ帰省した時は家中の色々な物が押し込まれて物置のようになっていたはずだが。
昨日は酒を飲むこともなく寝たので酔っぱらってここまで来ることはないはずだ。
そもそも実家まで帰るのに最低でも片道5時間は掛かる。
仕事が終わり家に帰ったのも終電ギリギリの時間だったし、帰ってくるのは不可能のはずだが・・・。
とりあえず、母に確認してみよう。
立ち上がると体に謎の違和感があった。・・・少し歩きにくい気がするし、二日酔いか?
何か視界もおかしいな。
もしかしたら覚えていないだけで、あの後酒を飲んでいたのかもしれない。
自分の部屋の襖を開けてすぐ前にある階段を数年ぶりの軋む音を聞きながら降りる。
降りると一階の廊下があり正面には曇りガラスの引き戸の玄関。
右手にトイレや風呂場等の水場がある。
そして左手にある開けっ放しの戸の先が母がいるであろうリビングだ。
入口に掛けられた暖簾を潜りリビングに入ると案の定、3年ぶりくらいに見る割烹着を着た母が台所で洗い物をしていた。
「母ちゃんオレいつ帰ってきた?昨日東京の家で寝たのは覚えとるんやけど、こっちに来るまでの記憶がないんや。」
実家だとついつい方言に戻ってしまう。標準語は堅苦しくて苦手だ。
それはまぁ置いといて。
今更だが今日は普通に仕事があるので出勤しないとヤバい。というか9時なら既に遅刻である。
スマホも財布も見当たらなかったし、その辺も聞かないと困るな。
「あんた何言うとんの?昨日夕方には帰って来とったやないの。東京の家って何や?わけわからんこと言うてないではよ朝ごはん食べて行きや。友達待っとるんちゃうの?」
そう言いながら振り返った母は3年前より明らかに若くて・・・俺よりも身長が高かった。
違う、さっきからの視線の違和感・・・これはオレの目線が低いんだ。
・・・は?
思わず自分の体を見た。
ランニングシャツに短パン、その下に見える足にはすね毛はない。
近くに姿見があったので正面で改めて自分の姿を見る。
・・・小さい子どもが写っている。・・・小さい。
オレの身長は170センチ程だったが、見た感じ150センチも無いだろう。
それは小学生くらいの時のオレの姿だった。
そういえばさっきは焦っていて気付かなかったが自分の声はまだ声変わりもしていない子どもの声だった。
おいおい、おいおいおい。
「はぁー!?なんやこれ!どういうことや!?」
「いきなり大声出してなんやの!まだ寝ぼけとるんか!顔洗っといで!」
母に怒鳴られてしまったオレは黙って洗面所に走っていった。
とりあえず顔を洗い、少し鏡を眺めて冷静になったオレはリビングに戻り食卓に用意された朝食を食べ始める。
これは昨日の夢の続きだろうか。だが、感覚は現実ぽい。
所謂タイムリープってやつだろうか・・・?
まぁ、とりあえず会社の心配はしなくて良さそうだし久しぶりに地元巡りでもしてみるか。
ややこしいことは後で考えよう。
夢なら覚めるのを待てばいいだけだし。
オレは朝食の最後の米をかきこんで一度部屋に戻り赤いTシャツと外用の半ズボンに着替えて家を出る準備をする。
夏だしこの格好とサンダルで十分だろう。
「行ってきますー」と一言母に声を掛けてから玄関を開け外に出る。
・・・外に出ると暑い夏の日差しと東京ではあまり聞くことがなかったクマゼミの合唱が聞こえた。
帰ってきたんだなぁ・・・。
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