妻の視点

今日から夫の会社に事務として働くことになった。働くまでのアレンジは全て夫が実施してくれたのでスムーズに事が進んだ。


午前中は面談と職場案内だった。面談を担当してくれたのは直属の上司になる人と夫の上司だった。何故夫の上司がいるのか不明だったが話をしていくうちに「夫はどれくらい家庭で仕事の話をしているか」を気にしているようだった。


別に嘘をつく必要もないし、妻として知る限りのことを話した。自分の両親のことや現在のメンタルヘルスの状態、夫との関係…思いつく限り正直に全て話した。


特段問題ないと判断されたようで午後からはオリエンテーションというか完全に仕事に入っている状態だった。日々送られてくる遺体の資料に番号を振り、それをデータベース化する仕事だった。そのデータが厚生労働省に送られ故人と照合されてから火葬される、上司からはそう説明された。その番号を振る作業を数名の職員と一緒に任された。


夫が行っている仕事の一旦が垣間見れるようでうれしかった。実際はもっと少ないはずだがかなりの数のこの会社はご遺体を適切に扱い遺族のもとに届けていると見える。


ただし、夫の話を勘案するとそれも一部なのだろう。以前夫は「家族との仲を引き裂く仕事だ。あまりいい気はしない」と言っていた。私が書類上番号を振り分けているのはざっと見た限りでも高齢者で、死後48時間以内に対応ができたご遺体だけのようだ。


夫は壁の外で何をしているのか。一度持ち歩いている銃器に関して聞いたことがあるが「壁の外でも殆ど使わないよ。あまり派手なことはしたくないしね」と言っていた。ただ、自宅に違法に銃器を隠し持っている人間がいうことだ。信じろという方が無理だろう。


時間は進み17時半、急にフロアの明かりが落ちた。上司もいぶかしがっていたが、10分後に「予備電源が付かないので今日はもう切り上げてください」と連絡があった。今日の仕事は呆気なく終わってしまいそうだった。


自分のロッカーに行きスマホを見ると夫から「迎えに行くから1Fで待機しててほしい」と連絡があった。1Fは大型スポーツ用品店の跡地で今はだだっ広いロビーとなっている。


そうと決まればフロアを異動せねばと思いIDカードを機械にかざす。が、反応しない。電源が落ちているので当たり前かと思うまで少しタイムラグがあった。上司にその旨伝えると「なるほど、そしたら一度ロックシステムを落とさないとダメだね。総務に連絡するから少し待ってて」と電話の受話器を取る。

「電話が通じない…」と上司がつぶやくとフロア正面の扉からガシャッと鍵の開く音がした。

「不思議だな、フロアのセキュリティシステムは独立しているはずなんだが…とにかく鍵も開いたし手動でドアを開けて出よう」と上司がゆっくりとドアを開けた。廊下には誰もいない様で上司の指示に従って全員が退社した。


退社時間としてはちょうどよかったのか殆どの従業員は帰り支度をしていたためスムーズに帰宅することが出来た。自分も安全に一階のフロアにおりて夫を待った。出入口の回転ドアを眺める。懐かしい、父が健在だったころよく連れてこられた。


父は車に乗るのが好きな人だった。休日はいろいろなところに連れて行ってくれたのを覚えている。でもそれも昔の話、今は私一人になってしまったと思って夫のことを思い出した。


夫はいつになったら私に壁を作ることをやめるのだろうかと思いながら17時半になるのを待っていた。

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