妻の視点

夫は用事があると行って出て行った。明日から仕事に戻るはずだ、その準備をしに出かけたのだろう。

起きるのも気だるい、前日母を送り出す全ての行事が終わって完全に疲れ切っていたこともあるが突然降りかかってきた非日常をどう処理していいか分からなかった。


数日ぶりに自分のPCを開いてメールを確認した。事態を心配した何人からか連絡が入っていたので問題ない旨連絡を返して一息ついた。本当は問題ないわけなかったが何か書けば飛んでくるであろう友人の顔が何人か浮かんで何も書く気になれなかった。


友達は多い方だった。物心ついた頃から人見知りしない性格で習い事も集団で行うアクティビティも臆せずこなしていたタイプだと思うし、何より親が喜んでくれたので自分もそういった場面では率先して人と触れ合うことにしていた。

小学生の頃は学級委員も経験したし好きな男の子とも両想いになって嬉しかったことを覚えている。


中学生に入ってからもその性格は変わらなかった。合唱部に入ってクワイアを担当していた。その他大勢にまぎれることが出来たからだ。


「どうして人前に出ないの?割と声通るのに」


何度か友人に聞かれた。割とって何だよと毎回枕詞の様に返していたが歌が下手だったわけではないのは自分でも理解していた。

数人の男子生徒からも告白されたことがあった。別に悪い気分ではなかったし相手のことは嫌いでも好きでもなかったので交際まで至らなかった。


屈託無い性格で闇などない。ある時まではそう信じていた。


高校生の時、2人目の彼氏とセックスをしていた時、自分の額が彼の鼻にぶつかり鼻血を出したことがあった。顔面が血だらけになった彼を見て異様に興奮した。そこで初めての絶頂を経験した。


行為の後から関係がギクシャクして彼とは別れた。自分が恐ろしかったことが原因だった。


その後進学し、心理学を学ぶことになった。一般共有科目で法医学の授業を受講した際に講師が紹介した事件の現場写真を見たとき、過去に味わった興奮に予期せず出会った。


飛び散る肉片、飛散する血液、興奮した。


それから親や夫に隠れて世界中の殺人事件の現場写真や犯人のプロファイルデータを集める様になった。夜な夜なアングラなサイトに入り浸り事故現場や殺人事件のデータを集めていくうちに心が安らぐようになった。


大学を卒業後新手のベンチャー企業の企画職として採用されて暫くは寝食を忘れて働いた。恋愛とか趣味とかそういうものを一切捨てて働けることが嬉しかった。基本的に仕事以外は全て邪魔だと考えて金を稼ぐことだけに集中していた。そうすることによって精神を保っていた。自分はまともな人間で、何一つも瑕疵がないと信じて仕事をした。


ある日ベッドから起き上がれなくなった。身体が動かなくなった。


「やってしまった…」と思ってすぐに上司に連絡して休暇を申請した。

その日のうちにネットでプロザックを購入し服用しながら上司に相談し1カ月の休みをもらった。

手続きの後、会社からPCと資料一式を持ち帰り家で以前と同じ勢いで仕事を始めた。それを見て父と母から「仕事をやめるように」と説得されるに至った。


自分は病気じゃない、自分は病気じゃない…大学生の時と同じだった。そしてまた心が崩れていくのを感じていた。


そんな折に彼と出会った。きっかけは完全にアクシデントだったが、自分には彼が魅力的に見えた。


趣味や波長があったのは事実だが自分の抱えているものより大きい何かを抱えていそうだった。だから一緒にいて心が安らいだ。

夫に過去の話を聞いたことはない。聞く機会は何度かあったし、子供のころの写真を見せてもらったり話を聞いたりすることもあったが、いたって普通の人だという印象しか抱かなかった。その話が本当であればだが。


それに自分の父を適切に処分してくれたことが魅力的だった。銃という強大なパワーを出す道具を使ってだが肉体が壊れる様を目の前で見せてくれた。彼といれば今後も同じ経験ができるかもしれないと思うと狂いそうになるくらい興奮した。


その予想は当たった。ただし、彼に人並みのやさしさがあったことが誤算だった。


母が死んだとき、彼は私に配慮して自分を家に帰した。あの時泣き叫んでおけば母の死体を拝めたかもしれない。そう考えると彼も普通の人間だったのか。


着替えよう…そう思って立ち上がり寝室へ入る。クローゼットを開けて外用の服を選ぶ。Tシャツとジーンズを引っ張り出しさっと身に着けた。


ふと床を見ると赤い筒のようなものが落ちている。拾い上げると赤い筒の下に金属の蓋のようなものがついており、底面には「12 GA Winchester」と刻印がある。

直感的にそれが弾薬というは分かった。ただ何故ここに置いてあるのかがわからなかった。


夫は過去クレー射撃を嗜んでいたが今の仕事を始めるにあたり使用ライセンスを返上している。「仕事と趣味が同じになるのは嫌だから」と笑いながら話していた。


顔を近づけてじっくり観察する。これだけで人が死ぬ、自分に向けられれば自分が死ぬ、そう思うと胸が騒いだ。心の奥に秘めていたものが首をもたげるような感覚を覚えた。


リビングに戻りそれをバッグにそっと仕舞う。処方されている抗不安薬を飲み目をつぶった。そろそろ社会復帰せねばと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る