脱走者

世田谷の病院を出て、下北沢で何人かの外国人観光客から財布をすりとった。古着屋に入り良さそうなシャツ、パンツ、ジャケット、スニーカーを買い周りに溶け込んだ。土地柄か奇抜なファッションをしている人間もいるので病院のガウンもあまり目立たなかったが、流石に都心を目指すには不適当だった。

腹が減ったので、駅前のオオゼキで寿司を万引きして食べた。久々のシャバの飯はうまかったがそんなことを考えている暇はない。俺に対して間違った判断をした会社の社員を皆殺しにする、それしか考えていなかった。


ここ数日の治療で背中の腫瘍は小さくなり、熱も下がってきてはいたがそれも抗体がしっかり効いている間の話だ。連続して摂取しないとたちまち弱ってヤツらの仲間になってしまう。


津村は先日まで株式会社セーフフューネスの作業員として働いていた。前回の作業の際に、夫の遺体をかばう妻と娘に遭遇した。その際宮本と行動していたが、宮本は別所で遺体の処理作業にあたっていたタイミングでその家族には気がつかなかった。

夫がケーブルタイでベッドに縛り付けられているのを確認し頚椎破壊のためハンマーを持った際、娘が部屋に入ってきた。

「父を殺すところを見たい」と言い部屋の隅に座るとぼーっとこちらを見つめていた。。津村は娘を見て言葉にできない何かを感じた。そして犯したいと思った。


津村はもともとコンプレックスの塊だった。大きな鼻、ニキビだらけの顔、平均身長より背が低いという大きな三つのコンプレックスのため学生時代に酷くいじめられた。

特に女性に対するコンプレックスが一番酷く、幼稚園以来まともな女と喋ったことがなかった。仕事の絡みでオペレーターや同僚には女性とも接するが、津村から積極的に話かけることはできなかった。


「見せてやったら俺とヤるか?」

半分冗談で言ったが娘は着ているものを脱ぎ出した。


女を犯した後、父親の頚椎破壊ショーを見せてやり。宮本に連絡をした。久しぶりの女に興奮したのが分かりやすかったのか宮本にも課長の砂原にも何かあったのでは勘ぐられた。面倒臭かったので経緯を話し、避妊具をしたので問題ないと話をしたが検疫の結果はクロだった。


ありえない、避妊具をしたのにと思って身体を見ると背中に引っかき傷があった。犯した娘は感染していた。

そもそも父親が感染していれば何らかの形で娘も感染している可能性もあるし、何より自分も抗体の摂取を2週間ほど怠っていたのだった。

業務実施の際はメディカルとメンタルのチェックを受けるのだが、メディカルチェックの際に抗体の投与が義務付けられている。津村は注射が苦手で定期検診を避けて過去に受けた日付を改ざんして会社に提出していた。もっとも、いつかバレるだろうとも考えており、そろそろ打たねばと思った矢先の出来事だった。


感染が確定した後、津村は上北沢の病院に監禁された。そこは感染者を治療する隔離病棟のある病院で、もともと心因性の病気を治療するための閉鎖病棟だったがこういう状況になってからフェンスの中の感染者で変化しなかった人間がこちらで治療を受けるようになっていた。感染から活性までの期間が短くなるにつれ運び込まれる必要がなくなったが、生来抗体を持つものか抗体を摂取していたものが感染した場合にこちらの施設で治療を受ける。ただしこの施設に運び込まれた瞬間「感染者」の烙印が押されるので、退院した後の生活が難しいということで世間から批判を浴びていた。


津村は体が回復の兆しを見せると関係を持った女性(津村が犯した女だ)を誘い看護師を人質にして病院を脱走した。脱走の途中に女を殺した。自分をこんな体にした女を希望から絶望に突き落として殺したかったから敷地の外に出た瞬間喉をガラス片でひと突きしてやった。


病院からくすねた抗体を注射する。あと2本しかないがどこかで補給するわけにもいかない。小田急線に乗り新宿を目指す、目的地は池袋。俺を病院送りにした会社の人間、あの女を殺してやる。


しかし、セーフフューネスは通常の会社と同じでIDカードによる入退場管理と警備員が出入り口に配置されている。警備員に関しては元自衛隊員や警察官をリクルートしているため入館するのは一筋縄ではいかなかった。

日本で警察と自衛隊以外で銃器を扱う組織の建物だ、当たり前といえば当たり前だった。


「あのビルに入るには警備を殺してIDを奪えばいい」

津村にとって人殺しは初めてではなかった。


最初は母親だった。躾が厳しく勉強を強いてきた母と、コソコソ不倫をしていた父が両親だった。ある日父の悪事が母に知れ、発狂した母は父を刺した。音を聞きつけ降りてきた津村を見ると今度は津村に刃を向けてきたので玄関まで逃げ、傘立てに立て掛けてあった金属バットで母の頭をフルスイングした。

その後の調査でリビングに仕掛けたられていた盗聴器から両親の争う声と母親の絶叫、津村の悲鳴が入った音声データが回収されたことから正当防衛が認められた。もっともその盗聴器を仕掛けたのは津村自身で、自分の両親が離婚した際どちらに付けば金を自由に使えるかの判断材料にするために夫婦の会話を録音するためのものだった。


その後、母方の祖母に引き取られ大学まで進学したが馴染めず中退、今の会社の事務として入社し、経歴に目をつけた石川に引き抜かれる形で遺体処理の作業に従事していた。


少し汗をかいていることに気がついた。ちくしょう、俺が俺じゃなくなると思いながら額の汗を拭い冷静になろうとする。

感染者に傷つけられた人間は徐々に異常が現れ始める。発汗と唾液の増加、発熱、飢餓感の3つが主な症状で発熱により脳細胞を破壊され発汗と唾液の増加によりプリオンは外に宿主を求めようとする、発熱と発汗によって代謝したエネルギーを補うために恐ろしい空腹感に襲われ生きているのか死んでいるのかわからない状況になるというのが生きたまま感染するということだった。


やっと新宿についた。このまま会社に向かうのは得策ではないと考え途中下車して武装を整えることにした。あてはないことはなかった。先ずは高田馬場を目指そう。

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