夫の視点

今日も無事終わった。あとは装備を戻して勤務記録を取り帰宅するだけ。そう思うと少しだけ気が楽になった。

事務所は池袋のサンシャイン通りを抜けた先にある。元々アムラックスが入っていた建物の4階のフロアが事務所スペースだった。車を近くの豊島教習所跡に格納する。そこから事務所までは歩きだった。セキュリティの関係上銃器と車両は分けて管理しているためこのような手間ができてしまう。あまり好きではなかったがそれがなかったら妻と知り合うきっかけにならなかったんだと思うと文句も言えない。

事務所に戻ると副島が迎えてくれた。いつもならニコニコしている筈だが今日は何故か緊張しているようだった。

「何かあったのか?」と砂原課長が声をかけると、部長の石川が険しい顔をして出てきた。「砂原だけ残って。あとは所定の作業が終わったら帰っていいよ」と言い課長は奥へと消えて行った。自分も他の2人も只々なにも考えず本日の車載ボイスレコーダーのデータをアーカイブし、勤務時間の入力を行い業務終了とした。時刻は19時半を少し回ったところだった。携帯電話を取り出し妻へコールする、3コール目で繋がった。義母の付き添い等の話を聞きながら帰宅時間を連絡する。「今日は何かあった?」と妻に言われたが適当にはぐらかして電話を切った。


そのままフロアを地下まで降り、東急ハンズの下から地上に出た。金曜の夜だ、外は若者で溢れている筈だが、このあたりはフェンスに近いため人もあまりいない。西口かサンシャイン通りの方まで歩かないと酔っ払いには遭遇しないというのが今の池袋だった。ここから駅まで歩いて10分少々、一駅で家だし歩こうかと思ったが、今日は義母との食事会だったことを忘れていた。何か買っていったほうがいいかと思い池袋西武の地下街を目指す。いつにも増して人が多かった。ケーキ、果実、お菓子と彩豊かなフロアだったが、仕事の疲れもありあまり魅力を感じなかった。

そのままJRの改札まで歩き新宿・渋谷方面の山手線をホームで待つ。調べ物をしようとスマートフォンに目を落とすと「世田谷の病院で患者が脱走」というニュースが目に飛び込んだ。嫌な予感がする。氏名は公表されていない、だが同僚があの病院にいる筈だった。

ホームに電車が入ってきた。普通の人間になるという感覚が戻ってきた。このまま平穏に休みを迎えられることができればいいのだが。

今日は巣鴨駅近くの酒屋で18年もののグレンフィデックを入手することができた。前々からあの店にあることは知っていたが、捜索の対象にならなかったので寄ることができなかったのだ。

これで今日、そして明日からの休みは何もなく乗り切れるはずだ。


山手線で一駅、目白の駅から数分のところにマンションはある。オートロックのドアを開けて3階まで階段を上る。そういえば今朝ゴミ出しをするのを忘れてしまった、妻に怒られると思いながら家の鍵を開けた。ドアを開けた瞬間、少し焦げ臭い香りがしてきた。

身体が思わず緊張したが、妻の「おかえり」の声で力が一気に抜けた。

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